「人間性を大切にする未来」非暴力コミュニケーションの意味と本の紹介

昨夜は祭礼の執行部会議がありました。3人で集まり今年の祭礼の開催にあたっての打ち合わせをしてたんです。予算の整理も行い、後は祭礼があるかどうかを待つだけになってきました。(まだまだやる事いっぱいあるんだけど)

非暴力コミュニケーションなんて役に立たないよ派の意見

いつもの雑談になり、ボクが参加している非暴力コミュニケーションのグループカウンセリングの話になりました。

なんでそんなカウンセリングに通っているの?

ライカー副長
ライカー副長

人権意識を身につけたいからだよ。

それ身になってるの?

ライカー副長
ライカー副長

わからないけど、自分を変えたいんだよ。

ハッキリ言って無駄だと思うよ。

そんな会話が交わされました。非暴力コミュニケーションに行ったところで、それは教科書な知識で汎用スキルにすぎないと言うのです。人間関係は個別性。その人を見て交流しないと意味がない。だから教科書な知識をいくらつけたところで実社会では役に立たないという主旨でしょう。

そんな彼らの意見に気持ちがもっていかれる心のざわつきを感じながら、彼らの視点で自分の取り組んでいる事を捉え直してみました。

なるほど、彼らの云う事も一理あるのです。ジェンダーがはびこる実社会でジェンダーレスを訴えたとしても誰も聞く耳をもってはくれません。

  • マニュアルはマニュアルにすぎない。
  • 理想論を学んだとしても、実社会で活かせる事が出来ない。
  • だから無駄な努力だ。

という事なのでしょう。

非暴力コミュニケーションに疑問を感じる時は?

ライカー副長
ライカー副長

ボクは非暴力コミュニケーションを身につけて自分を変える。そして変えた先に開けた未来が待っていると信じています。

ですが、時に疑問を感じたりもします。どんな疑問を感じるのかと言うと

なぜ過去の反省をし続ける事を強要されるんだろう?
(自分で選択しているのに被害妄想が入る)

あなたは癒しのコミュニケーションが出来ない人だと断定され、人格否定され続けなければならないんだろう?
(コミュニケーションの方法が悪いだけなのに、拡大解釈して人格否定されたと思う)

周りは変わろうとしないくせに、自分ばかりが反省して変わろうとしている事に意味があるのか?
(他人は他人という課題の分離が出来ずに自分の外に問題意識を抱く)

自分を知る事からはじめよう

実際にカウンセリングを受けていると、自分の選択(暴力を選択するという)に非があるのだと断定し、非暴力の選択をする考え方や発想を無理矢理見つけ出そうと試みます。

無理矢理というのは、根付いた価値観(ジェンダー感・白黒思考・ゼロサム思考・拡大解釈・被害者意識・承認欲求・完璧主義・責任の抱え込みなど)が思考パターンを形つくっているので、人はそれぞれの思考パターンに沿って世界を捉えています。だから非暴力コミュニケーションの方法がわからない、認知できない状態にあるところから、非暴力コミュニケーションの存在を探し出すという作業なのです。

自分に備わっていない世界の見方や考え方を学び、違った方向から世界を捉え直して非暴力コミュニケーションの選択の存在を探し当て選択肢を増やしてゆく。これに根気と集中力が必要になるのです。だから無理矢理こじあけるイメージで取り組みます。

ライカー副長
ライカー副長

慣れてくると非暴力の考え方が身についてくるので思考パターンまで落とし込めますよ。

人は変わる事が出来るのか?

つまりですね。暴力する人は変わらないという不変論は、暴力を認知していない状態だとその通りだと思います。ですが、一旦、自分に身についた暴力につながる価値観を認知する事が出来れば、後は学びで確実に変われます。

状況や環境に関わらず暴力(支配・コントロール)を選択した時点でダメ。その時の状況や環境を説明すると、自己の正当化をしてはいけないと激しく批難されます。暴力(支配・コントロール)の選択はいかなる理由があろうと許されないというのが非暴力カウンセリングの主旨です。

例えばケンカして感情的になったパートナーが挑発してきたとしても、パートナーが理不尽を言ってきたとしても、パートナーの問題はパートナーの問題なのです。パートナーにどんな理由があろうと、パートナーの意思に踏み込む時点で支配する事になり、すなわち暴力の選択をしたという事になります。非暴力コミュニケーションでは、気遣い、労わり、優しさ、協力、支援、受容を軸に、いかにして暴力を選択しないか。いかにして非暴力コミュニケーションの選択をするかを学び実践する事を求められます。

基本姿勢は、課題の分離を行い自分の問題にのみ集中する。他者との繋がりがあれば、他者に影響を受けながら、自己決定が行われるものですが、ここではあえて他者の問題は他者の問題と自分から切り離す事で、自分の選択にスポットを充てることで問題を浮き彫りにさせてゆくのです。暴力を選択する自分の考え方に問題意識を感じなければ、自己変革なんて無理な話なのですから。

基本姿勢に基づいて参加者のひとりが自分を正当化するような発言をした場合は、他の参加者やカウンセラー(ファシリテーター)が違った見方や考え方を提示して、非暴力コミュニケーションへと導きます。

DV加害者プログラムに参加する意義とは

ここで参加者(暴力を選択する人たち)が発言する意味は、同じ状況や環境に置かれた人の集まりのなかで相互扶助が働くからです。同じ悩みを抱いた参加者に元気をもらい、傷を癒し合い、互いに励まし合いながら自己革新への道を模索することになります。なぜグループディスカッションが必要なのかというと理由があります。

  • 「暴力を選択している」と他者から指摘され
  • 暴力を認知しはじめて
  • 過去の暴力の選択を再確認するに至り
  • 過去の選択を反省し謝罪の気持ちば芽生え
  • 自己革新のため暴力を選択してしまう自分の価値観を認知できて
  • 違った自分以外の価値観を学び続けて
  • 一方ではない多角的に物事を見れるようになり
  • 非暴力選択の存在を知る事ができて実践に繋げるようになる

このプロセスを辿ってゆくなかで、実は自分の自尊心を大きく削られ自信を失いうつ症状を発症するというところまでメンタルがやられてゆきます。この時期は排他的になり、社会的な孤立を経験することになります。そんな時に閉じられたコミュニティーだけが唯一の人との繋がりになり、非暴力コミュニケーションを身に着けて自信、自尊心、誇りを再構築するまでの助けになるのです。

何度も揺り戻しを体験しながら進む

話を最初に戻します。非暴力コミュニケーションのグループカウンセリングに通う事に意味はあるのか?という問いを今回は投げかけてみました。友達からも「そんなカウンセリングは無駄だ」と言い放たれ、気持ちがグラグラとぐらつきました。それでもグループカウンセリングに通い続けている今。

君の考え方はダメだ!

それは暴力だ!

あなたにはまだ暴力を選択する価値観がある!

パートナーを人間扱いしていない!

と否定され続け、違った見方や考え方を学んで身につけてゆくわけですが、時に否定されれば怒りの感情が湧き上がり辞めてやろうかと思う時もあります。

それでも湧き上がる感情を抑え込んで違った見方や考え方を学び、非暴力コミュニケーションを身につけてゆくのですが、自己否定の連続にストレスは溜まるわけです。そして次第に自分のしている事(非暴力コミュニケーションのグループカウンセリングに参加している事)に疑問を感じるようになるのです。

そんな時に「なんでカウンセリングに通っているの?」「それって意味あるの?」と友人から投げかけられると、気持ちが一気に萎えて、「非暴力コミュニケーションを身につける」という意思力が失われてしまう時があるのです。

ライカー副長
ライカー副長

ふつふつと湧き上がる自分の内なる言葉が囁きを大きくします。

「今やっている事は未来に繋がっているのか?」

「俺は一生懸命やってきた。なのにこんな目に遭うなんて」

「手前勝手な事ばかり言って、こっちの苦労も理解せずに・・・」

そしてぷつんと糸が切れて

「やってられるか。もう知らん。好き勝ってすればいい。俺も好き勝ってする。アホらしい。」

そしてカウンセリングに参加しなくなるわけです。そして自己の変革は出来ず、昔の暴力を選択する自分に戻ってゆくわけです。

苦しい時はパートナーと子どもたちの事を考える

一旦途切れかけた気持ちを立て直したのは、やはりパートナーとの想い出です。ネガティブメモリーよりもポジティブに目を向けて、幸せを感じていた記憶が今ボクを変革の道に留め置いてくれたりします。

話は変わりますが、社会心理学って知ってるでしょうか?社会心理学ってのは社会の中で人間はどういう行動をするのか?といった学問です。社会心理学では脳は傍観者だということです。人は自由意思で自己決定しているつもりでいても、他者や周りの環境に影響を受けながら自己決定させられているというのです。

たとえば、権威ある人(政治家・弁護士・医師・学者など)の云う事を無批判で受け入れてしまう心理を権威性パーソナリティーと呼ぶのですが、これも社会心理学のひとつです。こういった心理が無数にあり、周りの環境に左右されながら自己決定されているというのです。後づけで理由をつけているのが脳であり、だから脳は傍観者であるという事らしいです。ココから解る事は「人間という生き物は結構あやふやなものだ」ということです。

あやふやな自己決定をしながら、あやふやな価値観を身につけ、あやふやな正しさを固辞し続けているバカらしさ。もしかしたら、違う道があるのではないかと自分を疑いながら選択する事は、結構大切な事だったりするのかもしれないという考えに至りました。

非暴力コミュニケーションを自分なりに定義すると

なので、今のボクの非暴力コミュニケーションに向けてグループカウンセリングに参加する意味なんてあまりありません。このカウンセリングが正しいやら間違っているやらどうだっていいわけです。大切な事は「もしかして間違っているのかも・・・」という少しの疑念を持ち続けて自分の未来を選択する事が大切なのです。非暴力コミュニケーションの考え方も多くの考え方のひとつにすぎない。そのひとつを学び違った見方を身に着ける。そのためのカウンセリングだったりします。

大切な事なので繰り返し書きますが、白と黒で判断するのではなく、自分は正しい、相手が間違っていると決めつけるのではなく、もしかしたら自分の選択はミスっているのか?と自分自身に投げかける少しの問い。これが大切なのです。

非暴力コミュニケーションは、あらゆる問題を扱います。暴力を選択する価値観は、自分の体験のなかで身についたものなので、生まれて幼少の事の体験や、学生の時の体験、自分の過去と向き合い見つめ直す作業です。たぶんこれは死ぬまで永遠に続く作業で終わりがないのでしょう。なので瞬間瞬間に湧き上がる感情に押し流されていると、カウンセリングは続かないのだと思います。

人間性を大切にする未来

そして加えておきたいのが、この先の社会は経済成長が終わり、成熟期を迎えてゆく社会です。ここに売上や数字だけを求めた目的不在の生き方には限界があります。この先の社会は人間性を各々が見つけて「自分はどう生きていきたいのか?」といった問いに向き合って生きてゆく社会になってくるでしょう。

人間性とは内から湧き出る衝動そのものであり、瞬間瞬間に湧き上がる感情や疑念も、非暴力コミュニケーションを身に着けるために必要な体験です。感情の浮き沈みがあり不安定さも俯瞰で捉えながら、断定ではなく疑念を抱きながら自分の道を探ってゆく。そこに人間性も含まれているのだと思います。

パートナー・子どもたちの感情を受容し、人間性を尊重しながら、コミュニケーションの在り方を探ってゆく。これはボクが死ぬまで模索することになるのだと思っています。

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