ちょっと暴力のことについて考察していきたいと思います。
被害者意識の強い人
DV加害者更生プログラムに研修生が2名参加していまして、女性と男性、20代ぐらいじゃないかな?と思います。
女性の研修生が「ZOOM会議に遅れてくる人がいてますよね。デートとかに女性としては遅れてこられたら気分が良くない」と言って、「嫌な気持ちにさせられるということは、それもDVではないですか?暴力ではないですか?」といった言われたんです。
DV加害者更生プログラムのなかで扱う「暴力の定義」のひとつに、嫌がる事を無理強いすると暴力というのが出てきます。
例えば、嫁に親の介護をさせる、嫁に子どもの世話をさせるなどです。
ちなみに嫁もNGです。
理由は、夫側の親から見た息子の配偶者は「嫁」といいまして、反対の妻側の親から見た娘の配偶者を「婿」といいます。嫁とは年上から云われる代名詞であって、夫婦間の平等な関係で上下関係を持ち込むのは・・・・暴力と捉えるわけですね。
だから妻と呼称しないといけないし、名前も呼び捨てではなく「さん」をつけないといけないと教え込まれます。
なかなか細かいんですよ。
なにが暴力かを整理する
話を戻して、「遅れてくるというのも暴力ではないですか?」という問いの考察に戻ろうと思います。
時間に遅れてくるとか時間にルーズというようなものは、男女限らず発生するわけで、その人の考え方とか時間に対する向き合い方とか、あとは信用っていうようなものの捉え方とか、個人の考え方に起因するところが大きい問題なのかなと思います。
このことから、「私が嫌な気分になった、嫌な気分にさせられた、だからこれは暴力であってDVだ」というような主訴に対するボクの個人的な意見としては、これだけでは暴力にはならないと思います。
生きていれば嫌なことって遭遇します。 個々違う人間なので考え方や価値観が違います。 互いに主張が異なるとか、往々にあり、 事あるごとに自分の気持ちを伝えて、摩擦を取り除いていくしかないわけです。
「遅れてこられて嫌な気持ちになった」そして、「私は遅れてこられて嫌な気持ちです」と伝え、その先にDVや暴力が発生する可能性があるといことです。つまり相手がどう捉えて行動するか?です。
具体的には
- 無視をする。
- 身体的暴力を行う。
- 言葉の暴力を振るう。
- 物を叩いて威圧したりする。
これらの言動を相手に向けて行い、相手を支配してコントロールしようと意図された行動にでたら、これは暴力という事になると思います。
つまり相手が時間に遅れてきた行動そのものが暴力にはならない。というのがボクの意見です。
もう一度書きます。
相手を服従させたりコントロールしたり支配したりとかいった内容を総称してDVというので、この場合だと「遅刻しないでほしい」と伝えた後の会話に支配的なものや、コントロールされるような言動が含まれておればDVとなるのだと思います。
加害者よりも被害者のほうが先
この研修生の言う「遅れて来られて私は嫌な気持ちになりました。だからこれはDVではないですか」といった主張には、ここ話し合いとか、自分の意見を伝えるとかがないわけですよ。
自分の主張を言わずに一方的に遅刻されたという事象に対する彼女の不満なんですよね。ここに話し合いもなければ 気持ちのすり合わせもないわけです。
単なるひとりよがりの、被害妄想の一種ではなかろうかと思うわけです。単純にこれで暴力だと言われるとなかなか厳しいものがありますね。
自分の都合のいいように他人は動いてくれないわけです。あんなことされた、こんなことされたと悶々と閉鎖的に不満を募らせる。自分の心の中で勝手に不満を膨らましている。
ただでさえ、このコンプライアンスのご時世に、言葉の暴力、心理的な暴力、こういうのが含まれて、暴力の定義が大きく変わってきています。
で、「私は嫌な気分になった、だから暴力だ」というのであればですよ。被害者意識の強い人は、勝手に被害者になり、相手が悪いと批難する。これで加害者の誕生というわけです。
これは加害者がいるから被害者が生まれるんじゃなくて、被害者意識をもたれれて、加害者が生まれるんです。つまり受動的に加害者が生まれてしまうんですよね。この場合は予防行動をとるしかないわけです。痴漢の冤罪と同じですよ。
付き合う人を選別せよ
被害者意識を抱きやすい人を生物学で深堀すると、鉄分の足らない人はセロトニンが分泌されないので、日常的に心に平穏がない、精神的な不安定を慢性的に抱えているという性質を持っていたりします。
環境で深堀すると、育ってきた環境の中でネガティブ思考な人、物事を悪い方へ悪い方へ考えていく人は、被害者意識を持ちやすい性質になりますね。
何気のない会話においても、こういう性質を持った人との関わりは、相手が被害者意識を持ちやすいので、関わった人は加害者になりやすいわけです。
こういった人との会話は避けるという予防行動が必要なりますが、仕事や夫婦などで日常的に接すのであれば予防したとて被害者意識を持たれるのは時間の問題です。
暴力が発生しやすい、加害者が生まれやすいというリスクがあるので、考えながら話さないといけないので非常に疲れます。
そう考えると入口を間違えないという事がとても大切なポイントになります。
- 危ないとこには近づかない。
- 話す相手を間違えない。
- 関わる相手を間違えない。
暴力発生の予防につながってくると思います。
見極めるポイントとしては、まず健康かどうか、そして物事をポジティブに捉えられるかどうか、前向きかどうかによって決まるわけで、 男女で決まるわけではないということがわかってくるんですよね。
暴力を行使する人は圧倒的に男性のほうが多い
男女関係なく被害者意識をもつ人は存在する。
一方でDVや暴力をふるう性質を持つ人は男性に多い。これは社会的にジェンダーの価値観が世の中にはびこっており、男性特権の考え方が幼少の頃より教え込まれてしまうからです。
だから男性側が能動的にジェンダーを学ぶ事が大切なのです。学ぶ事で男性特権の価値観を客観的に捉えて、自分の中からジェンダー思考の手綱をとっておく。そしてコミュニケーションのなかで、ここから先はDVや暴力の領域に踏み入ってしまうと手綱を引き立ち止まる。
加えて被害者意識をもつ人との関わりを極力避けておくというのが、このコンプライス重視の世の中でのトラブル防止に繋がるのではないかと考えるのである。
被害者になりがる人に関わらない
以上のことから、この研修生においては「遅れて来られたら嫌な気持ちにさせられて、それがDVだ」なんて言っている被害者妄想傾向のメンヘラ女子なのでおのずと予防策として取れる事は決まってくる。
逃げるしかない。関わらないのが一番。じゃないとすぐ加害者にされてしまう。
最後に
しかし話は変わるが、非暴力を貫くなんてことは、この暴力の世界でどだい無理な話だと思う。無理な話を無理くりしているようなものなので、非暴力の扱い方としては局地的にしたほうがいい。
DV加害者更生プログラムのなかで、ある参加者がアンガーマネジメントを実践していて、それがとても極端で、自分の中から湧き上がる感情を否定していた。喜怒哀楽は自分の人生を豊かにするものなので、怒りだけを排除することは出来ないとボクは考えている。
怒りという感情は抱いてもいい。その感情表現が暴力であってはダメなだけだ。
それに相手から暴力を受けた場合も同じく、相手が大切な人以外であれば、応戦したとていい。暴力に暴力で対応して自分を守るのは正当な行為だと思う。
だた覚えておかないといけないのは、暴力を使って解決を図ろうとすれば、相手との人間関係が著しく損なわれるということだ。損なわれても良い関係であれば思う存分暴力をふるえばいい。その場合は相手からの反撃も覚悟しないといけないし、それを見ている周囲の目もあるので社会的なイメージが崩れる事も覚悟しないといけない。
暴力で解決を図ってはいけない関係は、いうまでもなくあなたが大切にしている人だ。自分の正しさに固執したり、自分のプライドを最優先で考えると、あなたの大切な人はあなたの元を去るだろう。去ってから愛しているのにと言ったところで元には戻らないのだ。
暴力と上手く付き合っていく術を身につけておいた方が良い。 そのためのヒントになればと書き綴った。