2025年5月の副長日誌「春画先生レビュー」

さあやっていきましょうか。

今日で5月に入りました。今日5月1日は金曜日、半分休みで半分仕事みたいな日です。

目次

自分の位置を知る事は大切

さてさて、1人スタッフが辞めます。介護福祉士を取得して、新しい世界を見たいということです。

彼女の次の就職先は、サービス付き高齢者住宅で、このサービス付き高齢者住宅というのが、過剰介護の温床。介護保険の限度額いっぱいいっぱい使って、訪問介護で抱え込んでいく。

過剰介護で残存能力を奪われていく入居者。訪問介護での抱え込み、週1回のみのデイサービス、これで外出機会を奪われ社会とのつながりを断たれていく入居者。出るに出れない監獄で生きる意欲を奪われていく入居者。

これがサービス付き高齢者住宅の現状。

こういった現状の中へ、何も知らない介護福祉士取ったばかりのスタッフが、転職していく。僕たちケアマネージャーや介護福祉士などの専門職は、自立支援を軸に介護をすることを教えられてきた。

しかし、サービス付き高齢者住宅で行われている介護は、それとは全く逆のことである。自立するところか生きる意欲を失い寿命を縮めてゆく。それがサービス付き高齢者住宅であり、有料老人ホームの実態である。

これをホワイトボードで説明をして、僕の意見は伝えておいた。それをどう受け止めるかは彼女の問題。それでもサービス付き高齢者住宅へ就職することを選択するのも、僕の問題ではなく彼女の問題である。

僕にできることは僕の知り得る現実を彼女に伝える。それだけである。

これは無知が原因。まずここに就職斡旋業者が入っている。彼女には担当者がつき、次の職場を紹介する。担当者から見れば、人を引き抜き次の職場へ紹介する。この斡旋が成功すれば給料の3ヶ月分が斡旋業者の売上になる。だから担当者は彼女をあのてこの手とその気にさせてゆく。

「転職するだけでスキルアップになるんですよ」

これを真に受けた彼女は、有頂天である。転職するだけでスキルアップできるんなら、転職しまくっとるわ。転職するだけで就職斡旋業者の売り上げが上がるだけ。彼女のことを考えて就職斡旋業者は動かない。どんな就職先であろうと条件の良い取引先に人材を紹介して、懐を温めてゆくだけである。

つまり食いもんにされているということだ。

さらに無知なのは、介護福祉士が素晴らしい資格だと信じ切っていることだ。介護福祉士は国家資格であるが、実は誰でも取れたりする。高校卒業して福祉専門学校に入学したとして、ほぼ自動的に介護福祉士は取得できたりする。また外国人労働者が、ある一定の優遇を受け介護福祉士を取得できたりする。そして合格率はだいたい60%ぐらい。参考書に目を1回通すぐらいで合格できちゃったりするわけだ。

だから介護福祉士はゴロゴロいるし、メリットといえば責任者になれると言ったところである。介護保険では人員基準が決められていて、管理者や責任者相談員、これを必ず配置しなければならない。この人員基準の条件に介護福祉士がある。

つまりメリットというのは、介護保険で決められた人員基準の中に、介護福祉士でなければならないという項目があるので、正社員で責任者に雇われると言った事が、最大のメリット。それ以上もそれ以下もない。

正社員は役職つき。管理者や相談員、サービス提供責任者などになる。そうすると業務は現場のほかに

  • 契約に行き
  • サービス担当者会議に出席し
  • 計画を作り
  • 出勤簿を作り
  • 他のスタッフの指導し
  • 事故があれば家族に謝罪し
  • ケアマネージャーと打ち合わせをして
  • 利用者が足らなければ営業に行く

つまり仕事が増える。責任も大きくなる。だから見える景色が変わる。責任者の職責のおかげで視座が上がるからだ。

反対に考えれば、パートなどの短時間労働者は、介護福祉士を持っていればなお良いぐらいの評価しかない。こういった自分の位置を正しく知るということが、とても大切になってくるのだけども、彼女は自分の位置さえもわからず有頂天になっていたりする。

非常に危ういなと感じたわけであって、転職したとてほぼ変わり映えしない景色が待っている。いや、今以上に見える景色は悪くなるんじゃないかと危惧してたりする。

理由は、やっぱりサービス付き高齢者住宅という、非常に自立支援からはほど遠い介護を行っている現場だから。目の前で生かさず殺さず、食いもんにされてゆく、高齢者を目の当たりにすることになると思う。

これを彼女に伝えたとて、今の彼女には伝わらない。

それは僕の問題ではなく、彼女の問題であり、何を選択するかは個人の自由。

そろそろ怒りを手放してラクになれたら

広末涼子が双極性障害ということで、芸能界活動休止と発表した。

双極性障害とはなんぞやと調べてみると、

  • 不安で眠れなくなったり、
  • 今のままではだめだと衝動的に行動を起こしたり、
  • 今の自分は何だろうとアイデンティティが欠落したり、
  • うつ症状になったり、
  • またまたエネルギッシュに躁状態になったりするらしい。

人生の方向性を変えようと結果を急ぐあまりに、衝動的に行動する決断する。周囲を巻き込んで。

こんなことしてるとろくなことがない。

不安であったり、恐怖であったり、感情が暴走し始めたら、逃げようと行動するのではなく、嵐が過ぎ去るが如く待てばいい。

平静さを取り戻すまで待てばいい。

平静さを取り戻してからゆっくりと行く末を考える。冷静に考えられる時が来るまで待てばいい。

イライラの感情が募っているのか、はたまた余裕がないからなのか、相手に無茶ぶりをして、いついつまでに出て行けと。多分それを親から言われる子供の困惑は、計り知れないものだと思う。

親はいつまでも親であり、子供はいつまでも子供である。子供は親に甘えるものだし、だから口答えをするものだし、親はそれを黙って受け止めてやればいい。

親が子供に何かを期待して、自分の思い通りにしようとしたとて、子供は自分なりの考えで自分の人生を切り開くようになる。苦労し始めて、初めて親の気持ちもわかってくれるというもので、今何かを期待するよりも、今何ができるのか、今何を体験できるのか、今何を感じているのか、推し量り黙って見守るが吉。

何かストレスや問題があれば、子供の方から連絡を取ってきてくれるものだし、その連絡の取り方が素直ではなくても、何かあったのかなと気に留めてやり、相談してきた時、愚痴を吐いてきた時、そんな時に聞くに徹するがよし。

広末涼子が双極性障害だという。気分がコロコロ変わり、ストレスから衝動を抑えられなくなる。これが暴力につながり、何かを変えようと焦って離婚を決断し、四方八方に暴力的に当たり散らかしているようだ。

気分や感情が自分で抑えられなくて、思い通りにいかなくて、余裕がないのだとしたら、もう少し素直になってみればいい。怒りの感情の奥底には悲しみが眠っている。その悲しみをそっと手ですくい、自分の悲しみに素直に向き合い、ただ悲しいと受け入れて泣けばいい。

自分の悲しみを誤魔化して怒りの感情をむき出しに、相手に無茶な要求をして、人間関係を潰してしまうより、まだマシだと思う。

腸内環境を整える

体が痛いです。朝起きてお腹の調子がいいんだか悪いんだか、わかんないんだけど、昔よりは幾分調子が良くなってきました。

昔は本当に便秘気味で、排便があったら異臭がしたり、とても体がだるくなったりして、自分の体が何か病気に蝕まれているような感覚になっておりました。

そういえばバイクに乗ってる時も、お腹が少しおかしくて、それでもバイクに乗りながら家に帰るのを避けてたように思います。

今はそんなことがなく、排便しても謎の異臭は現れないし、体もだるくならない。本当に体調が良くなってきたなと実感しています。

今日朝起きて、背中の辺りからお腹にかけて、少し違和感があるんだけども・・・。

そういえば昨日ヘレステーキを食べたな。そうかお肉をたらふく食ったので、お腹辺りが重いんだな。

今僕がおすすめしたい健康食品それはヤクルト1000。ヤクルトにしては珍しい細長いケースに入っていて成長作用がある。

ヤクルトの乳酸菌が、腸の中の善玉菌を増やし腸内環境を整える。

腸内環境は整うと免疫細胞は活性化し、人間の体の中の免疫細胞の約7割が腸に住んでいるので、理論的には一気に免疫力が上がる。

そうすることで腸内で作られるセロトニンというホルモンが活発に分泌されて、それが気分の安定につながってくる。

前向きに考える力であったり、やるぞと言った熱意ややる気に満ちてくる。つまり日々活力を持って生き生きと過ごすことはできるようになる。

うつ病というのは心の病気でも脳の病気でもなく、このセロトニンの分泌量が著しく減った時に起こりうる病気だったりする。

だからお腹の調子が悪い時というのは、後ろ向きでネガティブで悪いことばっかりを考えるような精神状態に陥り、極めつけにうつ症状が発症したりする。はたまた躁状態になっていくと、そこから逃げるように意味のわからない衝動にかられて、悪い方向へと行動を起こしたりする。

だからお腹の調子が悪い時は要注意。何とかして腸内環境を整える努力をした方がいい。

そのために色々試したが、このヤクルト1000という飲み物がとてもいい。手軽に乳酸菌を取れて、朝起きた時の何も食べたくないと言った感覚。これを水分という形で喉とお腹を潤してくれる。

だから続けられる。これは本当におすすめの一品。

春の天皇賞

明日はですね、春の天皇賞があるんですよ。京都競馬場11レースです。

もう本当に毎週競馬をやっておりますが、競馬馬鹿というかギャンブル依存症の佐藤さんという男性。承認欲求のかたまりのような人なんですが、いや本当面白いんですよねこの人、昔の自分を見ているみたいで。

他人にどう思われてるのか気になって仕方がないという。

もう僕はそこは卒業しましたが、だって他人にどう思われてるのかと気にして生きる生き方なんてものは、他人に支配されているようなものだし、他人の評価を気にして生きるということは、まさに他人の人生を生きるということで、本当に面白くないんですよ。

だからそういった生き方はやめました。

僕は僕が面白いと思ったことを選択し、それに対して他人がどうのこうの言おうと、それは僕の問題ではなく他人の問題です。だから気にしません。

話はめちゃくちゃそれましたが競馬の話です。明日は春の天皇賞。本日土曜日ですが、もう買い目は決めました。ここで開名しちゃいましょう。

まず券種はですね、フォーメーションです。3連単フォーメーション。

軸は2頭です。5番サンライズアース・6番ヘデントール。こちらは1番人気と2番人気。この軸の2頭が負けるのを期待しましょう。ということでフォーメーションはこの軸の2頭が、2着3着に入るのを期待して、1着に来る予想を1番7番9番11番13番14番15番と組みます。

3連単フォーメーション 14点 各100円 合計1400円 

  1. ①・⑦・⑨・⑪・⑬・⑭・⑮
  2. ⑤・⑥
  3. ⑤・⑥

馬券は回収率だと思っています。なのでこの買い方は1番人気と2番人気が追い込んできたけども、惜しくも1位には届かなかった。というシナリオです。

馬券はみんなが買っているような買い方をすると、配当が低くて何をしていることやらわからないので、思い切って中穴・大穴狙いで、配当がっぽり稼ぐという方向に舵を切っていきたいと思います。

ちゃんとこれ予想はしているんですよ。予想したところに自分なりの予想印をつけています。で、馬券を買う時に初めてオッズを見て、1番人気2番人気を確認しています。そこからの軸に選んでからの、負けるのを期待しつつ、自分の予想馬を1着に配置すると言ったフォーメーション。

ここ最近の僕の競馬のスタイルになりつつあります。

以前は、的中率重視で当てよう当てようと躍起になっていましたが、当たったところで配当が低くてがっくりすると。そんな経験を繰り返してくると、こんなもの取ったとて配当はめちゃくちゃ低くて面白くないと。そう思うようになりまして、今の買い方になっております。

外れるのがほぼ確定といった馬券でございますが、当たった時は大きいんです。まあ取ったことはないんですが・・・。

結果

  • 6  ヘデントール 1番人気
  • 14 ビザンチンドリーム 6番人気
  • 8  ショウナンラブンタ 4番人気

きっちりと一番人気が来ました。もう一番人気来られたら仕方がないよね。こちらは人気馬が負けるのを期待して買ってるわけですから。

しかも8番ショウナンラブンタは、候補から完全に消してますから、完全に期待はずれの馬券になってしまいました。残念です。

ウインドサーフィン

春画先生

春画先生という映画をAmazon プライムビデオで見つけて、特に興味もなくボーっと観てた。

レビューでは面白くないという意見が多いようだけども、世間が面白くないという映画ほど僕は面白いと感じたりする。この春画先生もその類だろうと思ったわけだけど、少し違っていた。

まずセックスというものが、江戸時代ではおおらかな性の表現であったものが、明治維新を得て秘め事に変化していくという時代の流れ。そもそもこういった時代の変化に僕たちは翻弄されているということを再認識した。

ずっと見ていると、この映画の主題は女性の嫉妬心を描いているのかなと思っていたが、結末は単純で男が自分好みの女に育て上げるという、何とも男尊女卑な映画だったように思う。

この男尊女卑であったり、ジェンダーであったり、ジェンダーからの暴力であったり、今のホワイト社会ではなじめない考えであるが、結局は「男の欲望に主軸を置いた」昭和時代の価値観で終始するという、小さなまとまり感がなんとも滑稽だ。

今、ダウンタウンの松本人志であったり、SMAP の中居正広であったり、女性問題で叩かれていて社会的な抹殺の刑にあっているが、これは昭和の時代では許されたことであり、令和の時代ではアウトになる。これは単に時代の流れであったりするので、何が正しいか、何が間違っているかという事よりも、時代は変わったのだという事で説明出来て、そして将来は必ず揺り戻しがあり、ホワイト社会は廃れてゆくのであると思う。

その証拠に、アメリカではトランプ大統領が、白人至上主義であったり、トランスジェンダーを否定したり、事細かに成長してきた多様性を否定している。

これはまさに時代の揺れ戻しであり、右へ触れれば左へ触れる、左へ振りすぎれば、また右へ戻る。歴史はこの繰り返しであったりする。

結局、暴力であったり、ジェンダーであったり、フェミニストであったり、多様性であったり、こういったものは過剰にホワイト社会の中で組み込まれて過剰なほどに広まりを見せるが、ある一定の臨海点が来ると、揺れ戻しがあり一気に元に戻り、時代はまた元に戻り、更に一周回る。

この時代の変化の中で、僕たちは翻弄されているわけで、冷静に時代を分析できるものが、自分を変化させて適応させてゆく。変われるものは生き残り、変われないものは社会的に淘汰される。

これが今のダウンタウン松本人志の位置であったり、SMAP 中居正広の位置であったりする。

春画先生という映画をこの度見て、色々思うことはあり想像することもあったが、結局は男が自分好みの女に変えていくという男尊女卑でありジェンダーの物語であり、種明かしされればなかなか小さくまとまった映画であったなという印象。

物語の前半で展開されるような、女性の嫉妬を掘り下げる宇宙的な香ばしさがあれば、哲学的な側面を評価して、僕はこの映画に星★★★★★をつけたと思うのだけどもね。観終えたらつまらの映画だったという感想かな。

アドビアフターエフェクト

僕が動画編集に目覚めたのは、初めて行った友達との旅行だった。

男4人で行った旅行。それを友達は見事に編集してきた。こういった旅行の記録を、取りっぱなしではなくて、手書きでテロップを入れたり、カット編集でストーリー性を持たせたりするのは、当時の僕にはとても斬新。

非常に面白く鑑賞できた。

これがきっかけで、僕は2回目の旅行から編集作業を担当するようになる。始めはリニア編集で、ビデオカメラとビデオデッキを繋ぎ、再生ボタンと録画ボタンを同時に押し、その間にテロップを挿入するキーボードのような機械をつないで、リアルタイムにテロップを表示する。

3回目の旅行から、アドオンプレミアという編集ソフトがプレイインストールされた、ソニーバイオというパソコンを購入して(当時30万もした高額なパソコンだった。)、ノンリニア編集にチャレンジした。

ノンリニア編集はとても快適で、BGM を合わしたり、テロップをつけたり、今では当たり前の手法になっているが、当時はパソコンを使った動画編集と言うと、9分30秒ぐらいの動画が2ギガの容量で、レンダリングに24時間を費やすことも多々あった。

それでもこの画期的なノンリニア編集には、魅力があったし、面白さもあった。

そこから僕は、動画の合成というところに興味を引かれに アドビアフターエフェクトに手を染めることになる。当時レイヤーという概念がなじみのなかった頃に、短い動画のレイヤーを重ねるという作業に、線しながらも没頭したような記憶がある。

それでも1つの作品を作りきり、ある一定の達成感も感じた。

それから30年ぐらい経ち、再び僕はアドビアフターエフェクトと向き合い苦戦をしている。ただ単なる動画のはめ込み合成をしたいだけなのに、なかなか思ったような効果が出てくれない。

動画の4隅の比率を変えるだけなのに、そのやり方が全くわからない。どこをどう調べようと明確な答えを教えてくれるようなサイトが見つからない。

結局2日ほど苦しんでいるが、未だ解決の糸口が見つからず、今日は頭がパンクしそうなので、明日に持ち越し、今日は諦めた。

こんな感じで1つのソフトに四苦八苦するのは何年ぶりだろうか。なかなか懐かしい。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

目次