見届けてから

「中山(仮名)さん。ちょっと一緒にダイエットしようか?」

コップを食器棚に並べていた中山さんの後姿を見て、どこをどう見ても、栄養が乗りすぎていると思った。

振り向いて、力こぶをつくり「やっぱり思います?」と自覚しているようで、中山さんは笑っていた。

「僕もお腹がヤバいからさ、ウォーキングしているんだよ。互いに励まし合ってするとダイエットは成功するっていうからさ、アプリ使ってやってみようか。」

実体重は表示されい仕様で、ダイエットを始めた体重を基準に、体重の増減をグラフにしてくれる。互いの体重増減を見て、影響し合うという仕組みだ。

仕事も終わり、「主任、今日はもう終わりますね。じゃぁ。」という中山さんは、腕をプルプル振り、二の腕のお肉をタプタプと震わせてバイバイを表現して「きゃははは」と笑っていた。

なんて絵なんだと呆れた。とことん笑いに変える中山さんのモットーは、「笑って生きよう」だった。

1時間ぐらいのウォーキングだったから、駐禁を気にせずウォーキングしたかった。二色の浜のバイク無料駐車場へバイクを駐車して、僕はさっそく歩きはじめた。

夕陽がキレイで、風が気持ちがよかった。堤防に沿って遊歩道が整備されていて、真っすぐに伸びる道を潮風を感じてウォーキングする。なんて贅沢な時間だろう。

ウォーキング中は、スマホで柳瀬博一のリベラルアーツ入門を流し聴きしていた。ウォーキングと勉強のマルチタスクが日課だ。こんな時間をいつから続けているだろう。インプット、インプット、とにかく情報と知識をインプットして、自分と違う他者の意見や生き方を知る。

挫折に向けて落ちてゆく時は、そこでしか見えない景色がある。

  • 何がダメだったのか?
  • どうしてこうなってしまったのか?

と深く内省するキッカケになる。大失敗の痛い経験が神経系まで流れ込み、四方八方にアンテナがビシビシと立って、どんな些細な事でも心身に触った時期が、挫折の貴重な体験だったと思う。

どん底まで落ちた時、今までの土台が空襲後の焼け野原になっていた。

そこから徐々に這い上がってゆくと、再構築がはじまる。そして時代にマッチした生まれ変わった自分が出来上がる。

僕は50歳で一度死んで、もう一度生まれ直した。

めまぐるしい変化の中で、自分の再構築が続いていた。怖いのは停滞だった。停滞は何も生み出さない。だから常に行動、行動の毎日だった。一日たりと無駄にした時間はない。狂ったように行動して、家へはほとんど帰らなかった。

今日の二色の浜でのウォーキングの最中でも、ひたすらインプットの時間だった。

大股で歩き、手を大きく振り、少ししんどいなと思うぐらいの速度でウォーキングをする。橘玲が語る「残酷な世界の生存戦略」を流し聴きながら、再び、僕は学びを求めていた。


目次

人それぞれの生き方

「友達が苦しんでいるんだけど」と息子は続ける。

「高校を卒業して働いてる友達がさ、なにも面白くないと愚痴ってるんだよ。そんなに面白くないなら辞めろよとアドバイスしたけど、辞めれないんだって。そんな事ある?」

身振り手振りで友達の話をして、行動しない友達について話す息子は、もどかしさが立っていた。嫌なら辞めたらいい、面白い事を見つければいい、やりたい事をやればいい、やる事は見えているのに、友達は行動に踏み切れない。

「行動を起こさない友達は、お前はいいよなとか言うけど、行動もせず言うなって」と息子はイラ立っていた。

息子の言う事は、良くわかったけど、誰もが行動できるわけじゃない。やりたい事をみつけるのも、誰もが見つかるわけじゃない。流れに沿ってひとまずの安心を手に入れて停滞の中で、惰性で人生を送るのも、ひとつの生き方だと思う。

息子には、やるか?やらないか?の2択だった。友達はやりたいけど、勇気がないだった。見ている世界が違うから噛み合うハズがない。

「そういえば、芸人のみやぞんが、嫌々する努力は報われない。好きな事をする努力は報われるって言ってたな。そういう意味ではお前はラッキーなのかもしれないな。」

と、運ゲームのように、今の息子は幸運だったという意味を伝えた。服作りに目覚めるまでは、やりたい事がなかったわけだから表裏一体だ、っと伝えたかった。

「やりたい事をみつけるのが、そんなに難しい事かなぁ。」

息子は、自分に出来る事は、他人も出来るだろうと考えている。だけど、人には向き不向きがあって、頑張れば何でも出来るというのはウソだ。

息子にしか選べない選択があり、それは息子がもつ気質だから出来る事だ。だから誰もが息子のように生きる事は出来ない。反対に息子は、友達のように停滞の中で、折り合いをつける事が出来ない。

生き方の問題なのかもしれない、っと思う。

息子の個性は、面白い事に全振りして得意を伸ばして光る生き様だと思う。ただ、そういう気質の人は、戦う場所を間違えると、才能ごと苦しむ羽目になる。

実は、それを息子から学んだ。普通に考えていたら、全部失敗に終わったろう。息子を見て感じて考えて、こういう生き方もありだなと思えたのは、息子から立ち上がる質感を知ってからだった。

僕もよく息子の質感を感じれたもんだと、自分でも驚いている。


世間の評価よりも大切なもの

僕には子どもがふたりいる。娘はどうったろうと思い出すと、娘は受験向きの知能が備わっていた。論理的に考え、数学的な思考力もずば抜けていた。このふたつの知能は、受験社会においては優位に立てたし、社会の評価軸のど真ん中だった。

勉強が出来ると社会に評価されやすい。現に、僕はママ友とかパパ友に、羨ましがられた。

「お前の娘さん勉強できるんだって。すごいよな。」とか、「どこの高校受験するの。うちの子も頑張って欲しいわ。」とか、会うたびに探られた。

娘のおかげで、僕は常に優越感に浸る事ができた。

だけど、娘の関心は他にあった。

ハイレベルな高校に入学を果たし「合格おめでとう!」と僕は娘に言ったが、娘はあまりうれしそうじゃなかった。

周りが羨む高校に受かったというのに、嬉しそうじゃないのは、親友が不合格だったからだ。娘は仲の良い友達と一緒が良かったのだろう。偏差値の高い学校へ進学するよりも、仲の良い友達との学園生活のほうが大切だったんだろう。

僕や世間と見ている世界が違うようだった。

廃部寸前の声楽部に所属して、メンバーが3名とかで、「掛け持ちでもいいから入部してくれないか?」と友達に交渉して、ギリギリでNHKのコンクールに出場したりしていた。文化祭では派手な軽音部の演奏の後に、3名で声楽を歌い上げていた。

軽音部の後、荒れた空気を、じわじわと整えてゆく馬力があって、堂々と歌い上げたのは見事だった。娘は好きな事を軸に自分の土台を固めていた。堅実にマイペースに積み上げていった。例え、誰に評価されなくても、自分が好きな事には真摯に向き合った。

娘は、他人に評価されることなんて、どうでも良いのかもしれない。何が好きで、何が嫌いか、どう生きていきたいのか?というほうが、娘にとって大切な事なんだろう。

今になって、娘の世界が見える。

自分を大切にすることがどんな事なのか、娘の生き方に学びをもらっている。


偏差値では測れない幸福

娘と最後に会ったのは7年前の事だ。目をつむれば娘の質感は感じられる。

喧嘩をすれば、絶対に折れなかったし、キレられたら陰湿な仕返しがまっていた。仕返しのターゲットにされると、もう諦めるしかなかった。スマホを見ていたらLINEスタンプが連続で娘から届き、さらに5分以上も続くから、その間は通知だらけでスマホを見れたものではなかった。

寝ている時に、枕を引き抜かれた事もあった。身体を布団に預けて寝ていると、頭が宙に浮いたと思えば、ストンを布団に後頭部から落ちて、はっ!?と起こされる。横を見ると娘は僕の枕を抱いてスヤスヤと寝ている。

娘の寝顔を見ると幸せになったので、「まぁいいか」と諦めた。娘は僕の宝物だから何をされたって許してしまう。

カメラをプレゼントしたら、馬を撮っているらしかった。たぶん馬娘にハマったんだろう。きっとたぶん、これは高確率で当たっていると思う。

娘もそのうち高給取りになれば、たぶん馬主になるだろう。これも、たぶん、高確率で当たるだろう。ただ高給取りになるのかというと、なかなか怪しいとも思う。

やりたい事と仕事が一致してくれればいいけど、美味しいパンを焼きたいとか言って、ハイレベル大学を卒業してパン職人になって「楽しい」とか言ってそうだ。なんかあり得そうで、想像してほのぼのする。

大切なのは、娘の適正だと思っていて、息子と一緒で、娘を活かす設計は必要になると思う。集中力が発揮出来て、娘の論理的な推察と、数学的な仮説、そして楽しいを軸に努力できる場所で、じっくりと時間をかけて成果を積み上げられる環境。小さくてもいい、娘の幸せにとって押さえておくポイントだと思う。

好きな事、没頭、気の合う仲間、それだけで娘の幸福度は爆上がりで、娘はにんまりだろう。

娘にとって、幸福は偏差値の先には無いのだ。誰もがうらやむスキルを持ち受験エリートコースを進みながら、他人の評価軸なんて関心がない。

それが僕の娘の質感だと思う。


遅れて気づいたこと

以前だったら、娘の幸せは、偏差値の先にあると思っていた。

世間から評価される娘は、もう大丈夫だと思っていた。だけど、違った。偏差値がどれだけ高くとも、やりたい事を娘はしっかり見つけて、目立たなくても、地味でも積み上げている。

どうしてソコを見なかったのだろう?と、いつも遅れて気がつくのが僕だった。

息子と関わるようになり、思い通りにならない事を受け入れ、点ではなく線で見て状況が変わるのをじっくり待つ。

「なにがしたいの?」と尋ねた僕は、息子が黙り込む。今、たぶん自分と会話をしている。この沈黙を待つ時間に変えて、息子の本音が湧き出るまでじっと待つ。

「あー、わからん。」と息子は困った挙句に「パパの会社はダメなの?」と言う。「福祉の会社だよ。福祉が好きなの?」と問うと「そんなに。」と答える。

辛抱強く問答を繰り返し、何も無いという事を息子は自覚した。このプロセスが必要だった。自分にはやりたい事が無い、ということを確認できたのが大きい前進だと思う。

「留学はどう?どうせやりたい事ないんだろ?英語も勉強できるし、視野を広げてこれば?」

そして息子は留学に旅立った。向こうでは出席率が伸びずに遊びまくった挙句に、卒業出来ないところまで出席率を下げたが、ちゃんと戻した・・・、というか、戻し方が型破りだった。先生と交渉して出席率を上げたらしい。これにはさすがに呆れた。

帰国してからブラブラする毎日で、英語を活かして関空勤務か、大阪万博で通訳か、外資系で就職かと思っていたが、まったく思い通りにならなかった。

それでも、息子を観察しながら、どう関われば良いか試行錯誤のなか、思いがけず留学の友達からヒントをもらい服作りに没頭しだした。留学の時に遊びまくっていた経験がココで活きたわけだった。

やりたい事が見つかった。

昔の僕ならば、型にはめて「就職しろ」と息子の質感など考えなかったろう。息子に影響された友達が、親に留学したいと言ったら「ダメだ。大学を卒業して就職しろ」と言われたらしい。

だいたいの親はそうだろうな、と思う。それが正解だと思っていて、自分の考えを子どもに押し付けてゆくのだから。自分の成功体験を、そのまま子どもにかぶせてゆくのだから。

以前、僕は娘の天才っぷりに中学受験を強引に進めたことがある。

「あれはしんどかったわー」と後から娘は愚痴っていた。よっぽどしんどかったのだろう。僕は良かれと思って行動したのだが、それは娘の質感を見ずに、世間の評価を見ていたのだ。

今になり、あの時は本当に悪い事をしたなと思う。

挫折を経験して、自分を再構築して、自分らしさを発見するようになり、それぞれのらしさを大切にする価値観が身に着き、あのときのいろいろを思い返してみると、違った視点から見れるようになっていて、都度の反省が沸き上がる。

痛い目を見ないとわからない。失敗してわかる事もあった。

二色の浜の堤防、遊歩道を夕陽に照らされて歩いている。潮風を感じて、今はバラバラの家族の事を考えながら歩いている。

娘は好きな山を登るだろう。

息子は面白い方へ走るだろう。

妻は妻の景色を歩くだろう。

僕はまだ堤防を歩いている。

みんなが先へ行くのを見届けてから、最後に僕は自分の道を歩こうと思う。今は夕陽に照らされながら、家族を想って歩く。

川べりの家

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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