「いつ寝たんだろう?」
僕は記憶を探していたけど、一片のキッカケさえも引っかからず、ただ僕は息をしているだけの肉塊だった。時計の針は朝6:00を指していた。
掛け布団は体に絡まってはいて、敷布団からカバーは外れていて、寝室というよりは、洗濯物が乱雑に積み重なっている様だった。整頓からは程遠い散らかった部屋で、去年のグアム旅行の時のキャリーケースがそのまま置いてあったり、畳んでいない下着やタオルが折り重なったりして、畳が見えなくなっていた。
最後に、いつ掃除機をかけたかさえ記憶になく、埃はたまっていたし、ゴミの中で寝ているようなものだった。7年前に空き家になってしまった我が家は、朽ちてゆく運命だったろうが、残された僕がかろうじて、生活感の名残りとして生きながらえていた。
別れた妻の化粧台は、すっかり埃がかぶり、風と谷のナウシカの腐海のようになって、そこで生活する生態系もたぶん存在した。
押し入れは、引き出し収納ケースが何個か積み上げられて、中には何かが入っていたが、それは主を失ってそのままになってしまったアレやコレが、未だに整理されずにいた。
「いつからこうなってしまったんだろう?」
僕は記憶を探していたけど、一片のキッカケさえも引っかからず、ただ僕は息をしているだけの肉塊だった。
こういう朝を7年も続けている。
危ういバランス
足のしびれがジンジンと、親指から足の裏にかけて、しだいに感覚が鈍くなってきているような気がした。足首を持ち、ぐりぐりと回したり、寝ながら脚を抱えてまるまって、腰の筋肉を伸ばしたりするにつれて、次第に感覚を取り戻す。
深く息を吸い込み、吐きながら起き上がる。口の中がカラカラに乾いていて、きな粉を食べた時のように、水分がないの口の中の渇きを潤そうとリビングに向かった。
足を運べそうなスペースを見つけては、なにかを踏みつけながら移動する。「今日こそ、掃除をしよう。」と、いつもこの瞬間に思うが、ソファーに辿り座り込んでしまったら、記憶は熔けてカタチを失ってしまう。
洗ってはいないだろう、なにも入っていないコップを手にとり、浄水器のレバーをひねり、冷たいミネラルウォーターを一気に飲み干して、やっと体の細胞が生きていたことを思い出す。
IH調理器の鍋には、じゃがいもの欠片と、ニンジンの欠片と、糸こんにゃくの欠片が、食べ物の質感を失って、鍋の中にあった。そして横には、静かに存在感を醸した炊飯器がある。しだいに記憶が蘇ってきて、昨日、ジョーシンで炊飯器を購入したこと、そして肉じゃがの材料をイオンで買った事、そして息子にLINEを入れて既読がつかなかった事が思い出された。
- 「肉じゃがいるか?」とLINEをしたが既読がつかない。
- 「仕事かな?」とLINEをしたが既読がつかない。
- 「今週の養育費を入れといたよ」とLINEをしたが既読がつかなかった。
◇
ある夜、僕は息子とデイルームで話していた。
「仕事どう?」と尋ねても返答はないだろう。息子から話を引き出すにはコツがいる。「仕事の感触とか質感とか感じたものがあったか?」と聞いた。
言葉を引き出すのではなく、感覚を惹きだすのが正しい。
「店舗をくるくる回ってひょい。くるくる回ってひょい。くるくる回ってひょい。」こんな感じ、と言って実際に店舗を見回る様子をコミカルに動きを持たせて、服をたたむ仕草をして答えてくれた。
今の店舗はデイルームの2倍ぐらいの広さだったので、ここら地元で展開する店舗とはかなり違う。
「そうか。じゃぁ、空港店に行けばデイルームの広さだから、めっちゃぐるぐる回らなきゃいけないな。」と笑って言うと、「そうだよ。めちゃ目がまわると思うよ。」
たった4日ほどの研修勤務で、だいたいの仕事を覚えてしまった息子は、この先を見切ってしまったように、表情を歪めながら話をしていた。実際に、未来が見えてしまたのだろう。
息子は、頭の回転が速いから勘が働くのだ。なまじ見えてしまうから、やっかいだと僕は思っている。
僕は口元まで出ていた言葉を飲み込んだ。僕はこれを言ったら、息子が直面するであろう光景を確定させてしまう。息子が体験で学んでこその結論は、今はいわないほうが良いだろうと思った。
「まぁ、研修が終われば、環境も変わるから、感じるものも違ってくるさ」と言いながら、僕は呼吸を整え、核心の言葉を避けた。
「たぶん。外人と話せるから退屈しないとは思うけど、失敗したかなぁ。レザークラフトのほうが良かったかなぁ。」と身をよじっていた。
息子はうっすら気がついている、っと僕は感じた。これが確信になるまで、そう時間はかからないだろう。
「他の店舗の時給と比べると、お前の時給は破格といっていいだろ。実際に英語が話せる事で時給が高くなっているんだから、軍資金を稼ぐための職場と割り切ってしまえ。それにストレス溜めたほうが、アイデアも沸いてでるんだろ?」
僕はメリットを説明したけど、これがどこまで息子に響くかは、正直わからない。
「そうなんだよね。普通の店舗時給より、僕の時給のほうが高いし、夜はさらに時給は跳ね上がるからさ、生地を買うには十分すぎる給与が入るんだよな。」
息子も、それはちゃんとわかっている。わかっているからこそ、危ないんだ。
親が出来ること
あの会話を重ねたのがいつだったろうか?
そういえば、あれ以来、息子と会っていないない。1週間ほどの間が出来ていて、改めて息子の状況が変わったのだと、僕は思った。
昔、武部(高校の時の友達)と毎日ぐらい呑み歩いていた。彼は失業中の身で時間に融通が利いたし、会社側の理由で解雇になっていたので、失業保険が1年支給されたわけだ。お金には困らなかったし、時間もあったから、毎日飲み歩けていたわけだけど、今ではほとんど会わなくなった。
状況や環境の変化が、人の距離を変える事を知っていたし、関係性さえも変わるのだと僕は思っている。だから、僕は息子が働き始めた事で、会う頻度や話す内容が変わってゆくのだろうなと、少し寂しいけど、仕方のない事だと感じた。
いつか、息子はこの家を出てゆくだろう。息子の夢は、この地元の狭い地域では成り立たない。もっと都心に出るか、生地のある工場近くか、もしかして海外で活動する可能性だってある。
その時、僕が出来る事は、「しっかり気張れよ」と見送る事ぐらいで、見送った後は、打ちのめされた時に帰る場所を残しておいてやる事ぐらいだった。
親の出来る事は、考えてみれば、少ないんだなと寂しく思う。
自分の時間を過ごす
ただ僕は息をしているだけの肉塊だった。こういう朝を7年も続けていた。
寝室からリビングに移動して、寝起きの薄暗い部屋で、ソファーに座り、「さて、どうするか。」と息を深く吐いた。
今日は日曜日だったし、雨予報だったけど、予報がズレて日中は晴れ予報になり、夜から雨予報だった。せっかく晴れたし、日曜日だし、今日の計画を考えはじめる。
◇
「こんど倉敷にいこうよ。ジーンズの生地が欲しいんだよ。」
以前、ソロツーリングで倉敷の美観地区を観光していた時に、ジーンズのお店があった事を想い出した。
「そういえば、帆布工場があったらしいからな。以前、財布っぽいものをプレゼントしたろ?」
息子は思い出したようであいづちを打った。
そんな会話をしていたのを思い出して、息子を誘って岡山まで行こうかとも考えたけど、昨夜既読にならなかったのを考えると、夜遅く帰ってきて、今頃寝ているだろうとも思った。

◇
「あゆを食べに行くのよ。毎年」と利用者さんの畑中(仮名)さんが、あゆを丸かじりするマネをして「かぷ」と続けて、「ホントに美味しいのよ。」と楽しみにしているようだった。
「へぇ。それどこにあるんですか。美味しそうだなぁ。」
話を聞いているだけで、本当に美味しそうだった。あゆの塩焼き、あゆの八丁味噌焼き、あゆのお刺身、聞いているだけでよだれがでた。
「岐阜のね。運上館っていう旅館でね食べるの。友達が連れて行ってくれるのよ。」
畑中さんは年齢の割に若い。友達が若いから、パワーをもらえるんだそうだ。
そんな話を思い出して、鮎を食べに行くのもありだなと思った。大阪からだいたい3.5時間の旅だから、今から出発すれば、十分お昼時には間に合った。だけど、ひとりで行くのも何か味気ないし、やっぱり息子を誘ってゆくのが、僕としては楽しい旅ができそうだったので、それも次の機会にとっておくことにした。
さてと、ふりだしに戻った。
とりあえず、バイクを出そうか。はやめに出発して晴れているうちに、ツーリングを終わらせて、炊飯器で今度こそ旨い米を食おう、そう思ってソファーから離れた。
今日はひとりの時間だ。
気の向くままに
スズキSV650はV型2気筒で、エンジンが縦に配置されていて、だから普通のバイクと比べて、重心が少し上になっている。だからこそ少しの体重移動で、ヒラヒラと舞うように右へ左へと旋回する。

最新式のバイクはいろいろとコンピューター制御があるけど、SV650にはそれがない。唯一装備されているのがABSぐらいで、ブレーキの挙動をコントロールしてスリップを防いでくれる。
だからこそ、ライダーのイメージどおりの挙動を返してくれた。信頼を預けてバイクと一体になれた。
空は晴れていたけど、風が冷たく、この風は雨の中を通り抜けてきたのかもしれなかった。一応、防水のジャンパーは持ってきているけども、このまま空は青いままでいてほしかった。
大阪からトンネルを抜けて和歌山へ入ってすぐに、くしがきの里という道の駅へ寄る事にした。そこで朝ごはんにした。以前、ここで買った柿の葉寿司の味が忘れられなかった。
思ったとおりの安定した味で、柿の葉寿司で腹ごしらえをした。

スマホを眺めながら、このまま橋本から高野山へ抜けて、龍神スカイラインを走って和歌山の新宮まで出るのもいい。山や海やで楽しめる。もうひとつは、曽爾高原へ向けて奈良へと走り、プチ登山をして森林浴後の、亀の湯温泉でゆっくりするのもアリだ。
どっちにしても良い休暇になりそうだった。
微妙なズレ
Youtubeで「とよの山遊び」で知った曽爾高原が新緑を迎える季節だから、そこで自然を感じようと曽爾高原へ向かった。それに曽爾高原のふもとにある温泉も魅力的だった。
お亀の湯は、泉質はナトリウムで、ぬるぬると肌にまとわりつく。そして熱すぎないので、露天風呂で自然を感じながら、ウトウトするのも、ストレスが溶けてゆく最高の贅沢だと思う。
昔は別れた妻と、岩盤浴に良く行った。
◇
「岩盤浴?なにそれ?」
僕は聞きなれないワードに、少し抵抗を感じた。慣れたものならいいが、新しい体験をするのは不安だったからだ。
「りんくうの湯にね。岩盤浴があるの。寝ているだけで、汗がぽたぽた落ちて、健康にもいいんだよ。」
妻は勢いがあって、有無を言わせぬ魅力があった。岩盤浴という得たいの知れないものを、どこから仕入れたかわからない情報を、食い気味で勧めてきた。
「まぁ、どっちでもいいわ。付き合うよ。」と僕は妻の後をついていった。たぶん、この姿勢が妻にしては物足りなかったのだと、今ながら思う。
はじめは妻の勢いに負けて、勧められるままに入った岩盤浴だったが、黒い丸石が骨格に合わせて沈み込んでくれて心地が良い。さらに、遠赤外線効果というやつで、ウトウト眠ろうものなら、吹き出る汗で目を開けていられなくなった。
それから、岩盤浴に僕もハマりだして、良く一緒にいったものだった。
一度ハマれば僕は何度だって行く。それが僕の昔の質感だった。平たく言えば「行動までが遅い。」
◇
このお亀の湯も、本当であれば別れた妻と訪れたい場所のひとつになったが、ついぞや叶わぬ夢となった。
曽爾高原は、2月頃に山焼きをする。すすきの名所だが、一度焼いてリセットすることで、新しいすすきが生えてくるそうだ。春に新芽が出て新緑の高原になる。このタイミングがとても美しい。
僕も離婚を契機に、曽爾高原と同じく、自らの人生を山焼きした。古い価値観は燃やしてしまって、ジェンダーも灰になり次の土壌となった。
しかし、今回は新緑の季節の美しい鮮やかな緑を期待していたけど、どうやら早すぎたようで、まだ赤茶けた薄汚れた緑だった。これは、たとえ別れた妻と来たとしても、感動を共有できるような景色ではなかったけど、たぶん妻ならば、時期よりも誰と時間を共有するのかが重要なんだろう。
今は、そう思える。
なぜはやくに気がつかなかったのかと、いつも僕はズレていた。
変化を恐れない歩み
曽爾高原は、すすき名所なので、木が生えていない。だから雨が降れば、その流れが土を流してしまう。登山道は木材を使って階段に作り替えられていたが、土が流されてしまって木材だけが残ってしまったので、階段ではなく、もはや障害物となり果てていた。
木材をまたいで歩く登山道は、登山客を無駄に疲れさせたし、さらに木材のない場所を歩くには、登山道の端を歩かなければならなかったので、一歩足をすべらせればススキ高原に転げ落ちる危険もあった。(結構な急こう配だった)

初めて訪れる人は、途中の中腹で折り返して下山してしまうが、実は亀山山頂まで登ってしまえば、ぐるっとすり鉢状の高原を一周するように、下山が叶う。
それを知らない人は、僕が登ってゆく姿をみて「見て、あそこも登れるみたいだよ。」とカップルが僕を見て言っていた。
岩盤浴を初めて知った頃の僕は、常に安定を求めていたけども、今の僕には守るものはなかったから、変化するのに躊躇が無かった。
行けるところはどこへでも行き、道を発見しては、自分なりの楽しみ方を探求した。もちろん失敗も多いが。
似た者同士の共鳴と反発
曽爾高原をぐるっと一周して下山してきた後、
お亀の湯でゆったりするつもりだったので、先にクラフトビールを飲んだ。
今日の競馬の結果を確認しながら(もちろん大穴狙いの馬券はかすりもしなかったが)、疲れた体にビールの泡が溶けてほろ酔い気分で夢心地になった。

思い描いた休暇は、このお亀の湯で叶えられた。露天風呂に浸かりながら、女湯のほうから子ども泣き声が聞こえてきた。どうやらママが子どもをあやしているらしい。
ママはいつだってたいへんだ。子どもたちは、いつだって父親よりも母親だった。
◇
ディズニーリゾートで家族旅行をしたときの事だ。
「ママがいい。ママがいい。」と娘は、弟がママを独占するのですねていた。
妻は娘の甘えたい気持ちがわかったので、「ちょっと頼める?ちょっとだけ一緒に遊んでくるから。」と、息子を僕に預けて、娘との時間をもった。
ママにおいていかれた息子は「ママはどこ?」と泣きじゃくり、子どもだましで僕は「このアトラクションに乗ってママのところへ行こう」と息子に物語を語った。
それがニモ&フレンズ・シーライダーというアトラクションだった。
息子と僕は、ママに遭いたい一心で冒険をした。ガタガタと椅子が揺れて、舞台前からスモークが噴き出す冒険をして、最後は何かが衝突したという演出で、会場の天井からシステマティックに構造物が突き破ってきた。
アトラクションの最大の見せ場で、お客さんが沸き立つ演出に、見事に息子も引き込まれて、というか息子よりも僕が一番興奮したけども、そんな冒険をして、そしてやっとママと会えた。
息子はママへの甘えがあるし、ママはもちろん息子を心配する。だけど今は距離があるようだ。そう深刻に考える事でもないだろうし、今は互いに意地を張っているだけだとも思う。
妻と息子は、質感が似ているから共鳴も反発も大きいのだろう。
僕は息子の質感を知るほどに、息子の大切な人を守りたいと思った。というか、結婚してからも、付き合っている時からも、大切にしているつもりなんだけど、なぜだか僕はズレているようだ。
伝わらない。
そんなことを思い出しながら、僕は半時間ほど湯に浸かってウトウトしていた。
ループされる日常
帰りは天気予防は正確で、雨がポツポツ降り出した頃に、僕は奈良から大阪へ向けて高速道路を突っ走っていた。
いつもならメットを開けっ放しで風を感じるのだが、雨粒が顔に強く当たるために、ヒョウがバチバチと当たるように雨が痛い。
たまらず、僕はシールドを閉めて、傷だらけのシールドで歪んだ視界のなか、前の車のテールランプを頼りに、帰宅した。
びちゃびちゃで家に辿り着き、今日の出来事が、次第に輪郭を失ってゆき、水炊きをおかずに、炊飯器からよそう少し硬めの米と、ハイボールと共に晩酌をする。
味わうというよりは、食べ物を口に入れるといった感じで、僕はコントロールを失い始める。良い休暇から、次第にぼやける輪郭に抗えず、僕はまた記憶が途切れ始めてくる。
幸せのカタチがわからず、それでも「今日は幸せだったか?」と自分に問う。
僕のカタチは熔けてゆき、いつのまにやら電灯で部屋が明るいまま、僕は意識が混濁する。
再び長いトンネルに迷い込む。
7年間、ずっと探し続けていたものが、未だ見つからない。僕は、わからないモノは無い。そう思っていたけど、わからないものだらけだった。
