見たままを言葉に置く。
思い出す。あの光景をそのまま言葉にする。丁寧に言葉をつなげて文章にする。
風が舞い唸っていたり、朝日を浴びた花が輝いていたり、君が空気を変えてゆく様を言葉にする。僕の胸がじわっと温かくなったり、腹からゆっくり息を吐いて肩の力が抜けるのを感じたり、心の動きを風景にする。温かいアールグレイから湯気が立っていたり、曇天からポツポツと霧のような雨が降りだしたり。
以前の僕の文章は、胸が苦しくなるほどに余白がなかった。君がこうしたから、僕はこうして、だからこうなった。原因は結果を産み落とし、右といったら右だったし、左といったら左だった。それ以上の解釈は存在しない。
僕の文章が変わったのは、江國香織の「シェニール織とか黄肉のメロンとか」との出会いが大きい。

彼女は風景を描く、空気を描く、読んだ者の感性に届いて、想像を膨らます、その余白がやさしく在る。
「シェニール織とか黄肉のメロンとか」を読んで、僕は7年前に自分の価値観を捨てたように、自分の文章を捨てた。
僕は江國香織の文体に影響を受けて、言葉を書くより、言葉を描くようになった。
これが最近の僕の文体だ。
夢一喜
僕と息子は夢一喜にステーキを食べにきていた。
僕のいつもの晩御飯は、じゃがいもとブロッコリーを中心に蒸し野菜と雑炊だったので、食費はかなり節約できていた。
「肉が食いてぇ」
と息子が言うので、ちょっと奮発してステーキ店に来たわけだ。ここで渋沢栄一が何名か飛んでゆくわけだった。まぁいい、ひさしぶりの息子と食事だから、食べたいものを食べさせてやろう。
「この数週間で連勤してたからさ、もう地位は盤石になったよ。」
息子は目を輝かせていた。テーブルにある、この店の特製ハムと玉ねぎを口へ運ぶ。
「めちゃくちゃ売りまくっているからさ、店長もにんまりだよ。これどうしたらいいと思う?とか、バイトをあと数名雇おうと思うんだけど、どんな人が欲しい?とか相談されたりするんだよ。」
型にハマらない息子の教育には、副店長の八尾さんが手を焼いていたみたいだったが、そのマニュアルを仕込む教育方針も、息子の接客の実績を見て、今は影を潜めているらしい。
「パパの言うとおりだったよ。帰る客は余った現金を使い切りたいという心理があるからさ、この前はインド人と雑談していて、お前おもしろいなって言われてさ、お前のおすすめの服を買うから、店を案内しろよとか言われて、かご一杯に服を買ってもらったよ。インド人ひとりで5万円の売り上げだったよ。」
息子は笑っていった。皿に盛られたハムはあっという間に少なくなり、「残ってるやつ、お前全部食ってしまえよ」っと、息子の食欲を見て気持ちが良かった。
「もう敵なしかな。午前を担当しているバイトリーダーの橋本(仮名)さんも、仕事中、ずっと僕を見てきてさ、マジでやりにくかったけどさ、僕が考えて動いている事を知ってターゲットから外れたんだろうね。店では自由にやれてるよ。しかし、ホントに支配型の人が多いわ。」
息子の実績を伴う動きは、誰しもが認めざるを得ないらしい。一番年下のガキが、売り上げのエースを突っ走っているわけだ。10歳も年下に無双されりゃぁ、年上だからこそ妙なプライドもあるだろう。黙っているしかなかない事情が呑み込めた。
「その橋本さんって人さ、視野が広いとか言ってたじゃん。午前担当のバイトリーダーだろ。仕事の出来ないスタッフに圧をかけるタイプか?」
30歳で英語や韓国語を扱うわけだ。たぶん上昇思考だろうし、努力しない奴を格下に見ているのかもしれない。それを確かめるために息子に尋ねてみた。
「仕事の出来る人だけ自分の身の回りに置いている印象が強いかな。仕事の出来ない奴を見て、イライラが圧になっている感じかな。」
なるほどな。そういうことか。僕はなんとなく現場の風景が見えてきた。
「現場はギスギスしてんじゃないか。圧のある人に仕事をじっと見られるとさ、そのスタッフの良さが発揮できないんだよ。また何か言われるんじゃないかってビクついてミスが多くなるんだ。」
僕の現場でも良く見る光景だった。
「あ。そうかも。そんな感じだわ。一緒に組んだ時、めっちゃやりにくかったもん。」
「だろ。そしてな。圧を掛ける人の周りには、人は寄って来ないからな。そうすると報告が上がってこないんだよ。もちろん相談もしてくれないからさ。情報を自分から取りに行かなくちゃいけないし、悪い報告ほど上がってこないから非効率なんだよ。」
僕は息子に少し知恵をつける事にした。今の息子は吸収力が半端なくて、成長速度を傍で感じていていると、今まで僕が時間をかけて会得してきたものが、アホらしく思えてくることがあった。
僕は呼吸を整えて言った。
「橋本さんは半面教師として観察しといてだな、そこと対極の道は、みんなで頑張ろう、がスローガンだ。スタッフを観察して、仕事の出来ないひのきの棒を持ってる奴に、隣の町へ行って鉄のつるぎを買ってこい、と越えれそうな課題を渡す。フォローしながらスタッフの課題を一緒にクリアしてやれば、一気にお前に人望が付くぞ。」
息子はスタッフの特性を見ている。そしてそれぞれの特性をどこに配置すれば良いのかを考えていた。そこにちょっと味付けを提案してみた。みんなで成長しようっと。
「人は指示された仕事だけこなしていてもモチベーションが上がらないんだよ。小さい成功体験を作ってやると、楽しいという気持ちが沸き上がるから、一気にチームは伸びるぞ。今の橋本さんには出来ない事だよ。」と、僕はほくそ笑んだ。
「そうか。そんな発想なかったな。」と息子は最後のハムを平らげた。そろそろメインディッシュのお時間だ。
「それ試してみるか」と言って息子は明日のシフトを確認した。すると身を仰け反らせて「明日はハズレの日じゃん」っと顔を歪ませる。
「仕事出来ない奴ばっかだ。客をさばけずにどっかで崩壊するわ。今まで何度もあったから。」
息子の頭の中では、ちゃんと客の動線が出来ているようだった。お土産を買うアニメTシャツ目当ての客。日本円を使い切りたいと、目的もなく店に入ってくる客。試着してレジまで行き、実際に買ってくれる客。この3パターンの客を効率的にさばいてゆく絵を描いているけど、そこを任せられる能力値のあるスタッフが明日はいないというわけだ。
「これやって。これをあっちに持って行って。バックヤードいって品出ししてきて。とか指示はするけどさ、このメンバーじゃどこかで詰まるわ。そしてぐちゃぐちゃになって崩壊するわ。」
息子には明日の光景が見えているようだった。この何週間で立派にリーダーを務めていたが、どうパターンを組んでもダメらしい。
僕はそれを聞いて、「じゃぁ組ませたらいいじゃん。」と息子に言った。
息子は僕を見て「組ませるって?」と聞きなおす。
「だからさ、ひとりで仕事が出来ないだったら、ふたりで一組にして、お前らちゃんと連携してここを回せよっと指示する。そしてお前と、仕事出来る奴には自由枠を当てがって、オールマイティーに動けってやればいいじゃん。幕末の京都での新選組みたいなもんだよ。新選組は基本、3対1で相手を攻撃する多戦法をとっていたんだよ。技量がない奴は組ませりゃ負けないというわけだ。」
息子はきょとんとして僕を見た。
そこへ熱々の鉄板にヘレ肉がジュージューと焼けて運ばれてくる。
130グラムのお客さまは?と店員が言うので僕が手を上げて、160グラムの肉は息子の前へ置かれた。
「鉄板が熱いうちに、お肉を焼いてお召し上がりください。」と店員が去ってゆく。
まだ赤いヘレ肉を箸で倒し、鉄板に押し付けて煙が出る。肉の焼ける香りが広がり、スライスされたにんにくを広げて鉄板で焼く。みるみるうちに肉は焼けていき、添えられた新玉スライスも香りを放ち食べごろになってゆく。
いただきますっと言い、肉をほおばり、口の中に肉の旨味がいっぱいに広がった。一気に唾液が湧き出し、肉汁と共に腹に入ってゆく。
食欲が満たさてゆく。僕たちは「ふぅ」っと喜びの表情を浮かべる。
「うまい!」と息子が言った。
成長
「息子さんと昨日なに食べに行ってきたんですか?」
中山(仮名)さんが満面の笑みで言った。
「夢一喜だよ。ヘレ肉を食ってきたよ。客がいなかったよ。あの店つぶれるんじゃないかな。」
「そりゃぁ気軽に食べに行くような店じゃないですよ。」
中山さんは心底驚いた様子だった。
「まぁ普段はじゃがいもとかブロッコリーとか節約蒸し料理だからね。この節約貯金が息子との食事でチャラだ。」
と僕は笑い飛ばして続けた。
「息子との食事につかうのなら別にかまわないよ。楽しいからね。」
中山さんはにっこり笑い僕の気持ちを察したようだった。中山さんも子どもに手を焼いていたが、そのぶん愛情をもって接している。僕に自分を重ねてみたのかもしれない。
「いろいろ話をしたよ。」と僕は中山さんと話す時は、力を抜いて自然に話せた。
橋本さんという人がいて、そのスタッフが現場スタッフに圧をかけて仕事を回していることや、圧をかければスタッフは萎縮して力を発揮できない事や、人望が離れる事などを話した。
「そうですね。いつだったか、うちのスタッフで山田(仮名)さんいるじゃないですか。あの人の仕事の提案を私は反論してしまいましたけど、横にいた主任が、やるだけやってみてダメだったらやめればいいじゃん、って言ったんですよ。あの時、私の作ろうとしていたチームを主任が実践していたんですよね。あの時は感謝しました。」
中山さんは、もう笑ってはいなかった。
「山田さん。何度も提案していたから、たぶん私に反論されても、納得できていなかったんだと思ったんですよ。チャレンジの芽を私はつぶしてしまっていて、そんなチームは私は作りたくないんだけど、私は部下の意見を否定していたんですよね。あの時、ホントに主任の一言が助かりました。」
僕は一瞬なんのことだかわからなかった。
「あぁ、八木(仮名)さんの尿失禁対策のことか。今の大きい尿取りパットよりも、もっとコンパクトな小さい尿とりパットにしたほうが良いと山田さんが言ってたな。」
中山さんは真剣だった。彼女のリーダー論は、みんなで頑張ろうというもので、自分が率先して動き、これして、あれして、と細かく指示して、ちゃんと「ありがとう」を添えていた。そして部下の意見を吸い上げて、みんなで意見を出し合うチーム作りを目指していた。
「私、忘れていたんです。主任の一言で思い出したんです。」
いつの間にか、息子の仕事の話が、僕たちの仕事の話に変わっていた。
「私が入社していた時って、主任は死んだ魚みたいな目をしていたんですよ。」
唐突に、話が訳の分からない方向へ飛んだ。中山さんの話はいつだって四方八方へ飛ぶ。相変わらずだと真剣に話す中山さんを見て可笑しく思った。
「それが今の主任はイキイキしてて、仕事が楽しいって言ったりして、あの頃とめっちゃ変わりましたよ。視野が広くなって、スタッフひとりひとりを見てて。」
僕は黙って聞いていた。
「いつだったか、スタッフが辞めるって言った時、ここでスタッフの話を聞いてたじゃないですか。その時、私が思ったのは、スタッフのことをなんにも見ていないんだなって思ったんです。」
当時の中心的なスタッフ2名が辞めるという時があった。そのスタッフらの不満を聞いて、なんとか考えを変えてもらえないかと思っていたのだが、どんな話をしても空回りで不満は大きくなるばかりだった。
結局、あのふたりがチームを離れて、中山さんがひとり友達を誘い、僕は育成会で一緒だった知り合いを誘い、今はなんのもめ事もなく、スタッフの間には心的安全性が横たわって、中山さんを責任者に、穏やかなチームが少しずつ育っている。
「さっきの息子さんへのアドバイス、ちゃんと伝わると思いますよ。だって、みんな主任だから頑張れるんですよ。」
こんな発言を照れもせず、真剣に話せるのが中山さんだ。この人はどこまでも真っすぐで、熱意をもって、相手の身になって考える事ができて、人に好かれる。
「ありがとう。自覚がないけども、中山さんにそう言われると自信が沸くよ。」
僕はなんだか照れ臭かった。
「褒められるのも悪くないね」
と、僕は笑ったら、
「息子さんも成長されているかもしれませんが、主任も良い感じですよ。」
と、ニッコリと彼女は笑った。
