正しさという危うさ

米を洗うシェイカーというものを買って来た。

1合の米を入れて、上から水を入れて振った。20回ぐらいシャカシャカすると、下に真っ白なとぎ汁が溜まったので、下の蓋を取ると、ばしゃーっととぎ汁が落ちる。

それを3回ぐらいすると、水は写真のように透明になり、すっかり米がキレイに研がれていた。それを炊飯器に入れて水を灌ぐと、やっぱり透明な水のままだったので、キレイに研がれたのがハッキリとわかった。

なかなか楽しい。



なにかひとつこだわる事で、なんだか楽しくなってきて、晩飯を作ろうという気になってくる。

炊飯器で米を炊く息子を想像して、息子の分も買っていってやろうかと思ったが、これは息子が試行錯誤するのを奪ってしまうかもしれないなと思ってやめた。

ここまで息子との関係を育ててきたんだ、僕からこれはこうするんだと答えを置くよりも、探す楽しさや、発見する喜びを、息子に渡したほうがいいだろう。

そう考えれば、僕も少し楽しくなった。

目次

晩飯

「主任、今日の晩御飯はなにするんですか?」と中山(仮名)さんが聞いてきた。

「まだ決めてないな。中山さんはなにするの?」と逆に聞いてみると「私はオムライスです。」っと言った。

「だけどオムライスは、旦那さんが嫌いなんですよね。ケチャップライスが嫌いみたいなんですよ。」

中山さんの旦那さんとは山登りという共通の趣味があったので、YAMAPというアプリで繋がっていた。だから親近感が沸いていたのだけど、ケチャップライスが嫌いだとは意外だった。中山さんが僕と旦那さんが似ていると言っていたので、好みも同じだろうと勝手に思い込んでいたからだ。

「だからね。旦那さんが、ケチャップライス嫌いなのわかってて、オムライスするの?俺のだけホワイトソースとかしてあげようとか思わないの?って聞いてくるので、私は、思わない!ってキッパリ答えるんですよ。」

いつになく中山さんの口調が勢いキツイなと感じた。

「そもそも、なんで私がごはん作らなきゃいけないのよ。なんで女性ばかりが家事に追われなきゃいけなんですか!」っと口調はやっぱり強くて、僕を見る。

「俺に怒らないでくれよ。」っと理不尽な気持ちになり、「僕は君の旦那さんじゃないんだからさ。」と妙な感覚になった。

中山さんは僕の話など聞いてなくて、「なんで私だけ家事しなきゃいけないのよ。」と感情の波がいつもと違う。怒りの再体験でもしているのか、ふつふつと湧き出る感情と共に、過去と今を行き来しているように感じた。

どうやら、感覚的に心の動きがわかったのだが、どうやら僕に影響を受けているような気がした。

「ジェンダーレスに、もしかして目覚めちゃったわけかい?」と中山さんに問いかけると、少し笑う表情を見せたと思ったら、すぐに真顔になり、淋しそうな表情を浮かべ、さらにうっすらと笑った、ように感じた。

それを見て、僕はざわっと胸が騒いだので、忠告の意味も込めて言った。

「ジェンダーレスはいいけど、溜めて爆発しちゃダメだよ。小出しでポンポンと発散しなよ。一気に大爆発しちゃうと、大勢の人を傷つけてしまうからね。」

彼女はなにも答えなかった。

法的距離感

「またお客さんを失ってしまいました。」

そう彼女は言った。彼女の名前は新家(仮名)さんと言った。新家さんは真面目で、まっすぐに物事に取り組むケアマネだった。

「お客さんを怒らせてしまったんだね。」

僕はだいたいの事の顛末が想像できたから、それ以上なにも言わなかった。

以前、僕も同じ理由でお客さんを怒らせてしまった事があった。

「君はいくつかね?」っと喉にマイクを当てて抑揚のない声がマイクから響く。

「僕は25歳になります。」と言うと、その利用者さんは「せめて30歳になるまで黙っとれ」と言った。

まだ介護保険が始まったばかりで、僕も会社も大きなお金の流れに翻弄されている頃だ。毎日が混乱とトラブルが続いていて、なにをどう手をつけてよいのかわからない中で、目の前の利用者さんに真摯に向き合わなくてはならなかった。

利用者さんは僕を睨んでいた。

利用者の名前は平松(仮名)さんと言った。会社の創業者であり、今もまだ経営者ではあったが、経営はいきずまり会社を解散させようと整理しているところだった。

「こちらは君のところのサービスを利用しているんだ。わかってるのか?」

そう平松さんは僕を睨んだまま喉にあてたマイクから言った。声帯を摘出していたので、このような会話になる。もし平松さんの声が健在であれば、場を響かすぐらいの怒号となっているにちがいなかった。

「そうはいいましても、犬の散歩やら、お庭の草むしりとか、電球の交換とか、平松さんの居室以外の、例えば応接室とかの掃除は出来ないという決まりになっているんですよ。」

平松さんは依然、僕を睨んだままだ。

「平松さんの仰っている事は、家政婦さんの仕事の事で、介護保険の訪問介護では出来ないんです。」

僕は丁寧に説明したつもりだったが、平松さんの表情を見る限り、納得していない様子だった。平松さんの拳は強く握りしめられていて、眼光鋭く僕を睨んでいた。

この間がどうしても苦手だった。埋めようのない間だった。

「介護保険のルールは、国が決めたんだから、僕にクレーム言われても困るんですよ。国に言って下さい。」

そう言ったのが最後だった。

「帰れ」と言うので帰った。

平松さんへのサービスが終わった。契約を切られて、他の事業所へ移っていった。

心理的距離感

平松さんとの一件から、20年が経っていた。

永野(仮名)さんの退院が近づいていて、その打ち合わせに家族と会っていた。

「私、介護が初めてなんですよ。大丈夫でしょうか。」

ベット脇で不安そうに語るのは長男の嫁だった。

「永野さんの様子をみると、前向きですし、多少の認知があったとしても、ひとりで留守番出来そうなので、デイサービスで日中をカバーすれば、なんとかなりそうですよ。」

今までの経験から、在宅介護は十分成り立つだろうと考えていた。だけど、ひとつ気がかりがあった。

「旦那さんは、介護手伝ってくれそうですか?」

不安な表情が、さらに深くなって、「うちの人は何もしないんです。」と小さく答えた。

息子の母親なのに、息子は何もしない。その家を支えているのは、実質的にこの僕の目の前に座る女性なのかと状況が見えてくる。

「そうですか。じゃぁ、僕は永野さんと、あなたのお手伝いをすればいいわけですね。」っと言うと、深く不安に染まった表情は、少し和らいだ。

これは、たぶん今の世の中からすれば、DV事例にあたるのかもしれないなと感じた。このご家庭には専門学校に入学したばかりの女の子と、高校生の男の子がいる。

良かれと思って世の中の価値観を持ち込んだとして、誰が救われるのだろうっと考えると、僕はこれ以上、この家庭の事情には踏み込まないほうが良いと思った。

ほどなくして永野さんは退院し、サービスがスタートした。

「あの、私、仕事が早くて、お母さんを家にもおいておけないし」と相談を受けた。

「そんなに心配なら、退院後1週間は、デイサービスに6時に開けますから。送ってきてくれれば、受け入れられますよ。」

お嫁さんの事情を踏まえて、僕は介護保険のルールを拡大解釈で対応した。家族の介護負担軽減のための、拡大サービスだ。

そして1週間、朝早くお嫁さんはデイに送ってきて、そこから仕事に行くようになった。この1週間で、永野さんが自宅ベットで何事もなく留守番できるのがわかれば、デイの送迎に切り替えて9時の迎えで対応できる。

実際にそうなったし、サービスがスタートしてから、何年か経ち無事に子どもたちも社会人となり自立していった。最後は永野さんは施設へ入所となったが、今頃、あの夫婦はどうしているだろうか。

ふと思い出す。

関わらない

新家さんがうちの事業所を辞めて何年になるだろうか。

当時のスタッフは、もうほとんど残ってはおらず、当時とは違った関係性で一緒に仕事をしている。

「主任、もう出発しないと間に合いませんよ!」と中山さんが声を掛けてきた。

「メダカに餌をやってからいくから」と庭のお花に水やりをしながら言うと

「そんなのいつでも出来るでしょ。ほら、はやく、はやく。」と立川(仮名)さんが網戸から顔をのぞかせて、僕を急かした。

送迎車を乗り込み、一人目の利用者さんの家に着いた時、うどん屋で働く新家さんが掃除をしていた。

声を掛ける気にはならなかった。

僕は利用者さんの手をひき、今日はまた天気がいいですねとか、雑談をしながら送迎車に乗せた。ドアを閉める時に、僕の正面に新家さんはいたが、改めて、ここに関わらないでおこうっと視線を外した。

エンジンを掛け、車を出して、新家はどんどん小さくなっていった。離れれば離れるほどに、呼吸が出来るようになってきた。

彼女は、未だ、法律で世界を見ているような気がした。表情や立ち振る舞いから感覚的にそう感じたのだ。

そして、「良かれと思って伝える価値観が、時に人を傷つけることもある」と僕は経験から学んだ。自分の言葉が、どんな影響を及ぼすのか、慎重に言葉を選ばないといけない。正しいから人を救うのだと言うのは、おごりでしかないと僕は思う。

たぶん、また中山さんはジャンダーレスやら、DVの話を持ち出すだろう。

「君だって、子どもたちにお父さんに言うで、とか言うじゃない。それは旦那さんの暴力を盾にとってるんだろ。それって、どう違うんだよ。」

と答えようと思う。

そのひとことで、彼女は考え始めるだろうから。

誰が悪い。誰が正しい。

そうやって、ひとつの答えだけを探し始めると、人は考えることをやめてしまう。

人との関係を育てるのに、とても邪魔な基準だから。

OLD DEVIL MOON

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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