「やっときたよ。」
大阪府社会福祉施設等従事者支援事業で、介護職に3万円のギフトカードが送られる。商品券30枚で賃金の低い介護職に支援をしようというものだ。3月ぐらいに申請をして、到着したのが6月ぐらい。そしてすべてのスタッフに配り終えたというわけだった。
「主任は何に使うんですか?」と中山(仮名)さんが言うので、「僕は息子に全額使うよ。」と答えると、「うわー親バカだわ。」と中山さんが笑う。
「中山さんは、自分に使うのかい?」
逆質問をすると、「私は、私に1万円、娘に1万円、息子に1万円かな。」と言うので、「旦那さんが入ってないじゃん。」と僕が言うと、隣に座っていた立川(仮名)さんも、「私も中山さんと同じかな。旦那にはあげない。」と言った。
旦那はいつも蚊帳の外なんだな・・・と思っていると、
「こんなんもらったわ。って報告はするけど、あげない。」と立川さんが追撃のひと事を言い放つ。
ギフトカード3万円の使い道は、なかなかの荒れ模様だ。
平和なチーム
夜勤明けの水曜日だった。今日は雨だったから、朝の送迎を手伝ってから上がりにした。
看護師の吉原(仮名)さんにも、帰国子女の堺(仮名)さんにも、「あとはよろしくね」と僕は声を掛ける。僕なりの「ありがとう」の意思伝達だ。
吉原さんも、堺さんも、「お疲れ様でした。」と送り出してくれたところに、送迎から帰って来た中山さんに出くわした。
目の前で送迎者が到着しちゃぁ、知らんぷりも出来ず、利用者さんを降ろすのを手伝って、「後はよろしくね。」と中山さんに託した。
すっかり髪の毛を、イメチェンした中山さんは、短髪もじゃもじゃ赤毛のアンのような短髪刈り上げを、ふわふわと揺らしながら「お疲れさまでした!」と頭を下げた。
平和なチームがココに在るので、僕は素直に休みを喜べた。
感動を共にしたかった
帰ってからシャワーを浴びた。ひさしぶりにマインドフルネスをしながらシャワーを浴びた。
メッシュでシルバーに染めていたから、色落ちして金色になりつつある。どうしたもんかと悩んでいたら、ウインドサーフィンの仲間で、SUPをメインにしている木下(仮名)くんに「副長、ムラサキシャンプーしなよ。ちょっと高いけど、黄ばみが取れるよ。」っと教えてくれた。
木下くんとは、縁があるほうで、ついぞや高野山の参拝をしていると、赤いジャンパーを着た男性が近寄ってきたと思ったら「副長!こんなとこで何をしてんの?」と声を掛けられた。
「木下くん、どうしたんだ、こんなとこで?」と海で会うならいざ知らず、高野山で会うとは妙な感じで尋ねると、高野山町石道という九度山から出ている参拝道を7時間かけて登ってきたのだった。
「縁があるな。」と木下くんは笑って、一緒に参拝をすることになった。
「副長、嫌やろ。わかってるから。でも、ちょっとだけ辛抱してよ。」と木下くんは、僕の性格を見抜いていた。なんだか彼は勘が鋭いのだ。
「木下くんが嫌という話じゃないんだけどね。まぁ付き合うよ。」と僕も開き直って言った。
木下くんの言う通り、僕は途端に呼吸が浅くなり、窮屈な感じをしたが、それでもなんだか顔見知りがいるということが、こんなに心地が良いと思わなかった。
奥の院への道を、ひんやりする杉林の歩いていった。有名武将の墓を巡りながら。石畳が歩幅をつくり、ぶらぶらと道に沿って歩いた。御廟橋の前で僕は立ち止まり、一礼をする。
「副長、信心あるんやな。」
「いや、そうでもないけど、一応ここからが神聖な場所だからね。なんとなくだよ。」
木下くんも僕の真似をして一礼をして、厳かな寺院へ入り、人が多くいる空間で妙に静かな空間に、般若心経が響いている。弘法大師御廟へ行くとゆらめくロウソク群と、線香の煙と香りが立ち込めるなか、腰を掛けてしばらく木下くんと話しをした。
僕から問いかける事は少なく、木下くんのほうから話題がぽつぽつと出てきて、ウインドサーフィンのクラブで働いていた若い子が辞めるとか、北海道に行って牧場を手伝うらしいとか、内部の事情を教えてくれたりした。僕はというと、ある程度の距離感をもって所属していたので、人間関係のゆらぎはどこにでもあるものなんだなぁと、ぼーっと聞いているだけだった。
そろそろ帰らないと、ゴマ豆腐屋が閉まってしまうから、と話を切り上げて立ち上がると、木下くんは、ツレと一緒に登ってきたとのことで、まだ着かない仲間を待つという事だった。
「じゃか、また海で」っと僕は木下くんに別れを告げて、バイクで帰る事にした。
その日は雨と曇りの境目だったから、降ったりやんだりで、ハッキリしない天気が続いていた。バイクで高野山の町を通り過ぎて大門に差し掛かると、見事な雲海の中に夕陽が差し込んだ。
素晴らしい景色だった。
木下くんは、この景色を見れていないから、少し残念に思ったが、なにかの拍子の選択の違いで、素晴らしい景色に辿り着くこともあり、そんな偶然の刹那に妙な感じが沸き立った。
そして、この素晴らしい景色を共に共有したかった女性は、今は傍にいない事も。
だけど、確実に一緒にいてた時間は在ったから、そのまま大切にあるがままに感じている。
しばらく雲海の中の夕陽を、体いっぱいに感じて、深く深く深呼吸をした。

マインドフルネス
中山さんと、吉原さんが通う整骨院があって、その先生が言っていたというのだ。
「瞑想すると、今以上に見えるものがあるんだけどね。」っと
その整体師は中国人だったので、発音はカタコトだけど、精神世界と霊感と、整体の腕は確からしい。
「主任も、そこに行ったら身体がうんと楽になりますよ。」と中山さんが言ったが、僕は他人に身体を触らせるのが苦手だった。
「もんでくれよー」と僕は妻に言うと、妻はしぶしぶながら僕の身体をほぐしてくれた。
「あー 気持ちええわー」と僕はご満悦で、僕は妻だけにはなぜか警戒心を抱かなかった。ゆったりした空気がそこに在ったし、テレビの音が聞こえ、蛇口から出る水の音、食器のぶつかる音、洗濯機がまわる低音や、子どもたちの足音がそこに在った。
彼女が傍にいることで、僕は僕でいられたのかもしれない。
そんな事を想い出しながら、「整骨院は絶対にいかないわ。」と言うと、「そうでしょうね。」と中山さんが僕をみて悟ったようなそぶりで、「主任は他人に心を許しませんからね。」と意味深い言葉を添えた。
そういう意味で捉えるのか・・・と、中山さんの僕への印象を、そのまま受け取った。
とにかく、僕は夜勤明けの疲れた体を、シャワーで休ませようと思った。ムラサキシャンプーは、5分を置かなきゃ効果がないようなので、その5分間をマインドフルネスの時間にあてた。
髪染めの5分間、マインドフルネスの5分間、シャワーで身体を癒す5分間で、一石三鳥だ。なんてコスパの良い時間の使い方だろうと、我ながら感心して、静かに目を閉じた。
口元から胸にあたるシャワーを感じ、目を閉じて光の残像を追いかけて、そして足の親指の感覚を探し、薬指から続けて小指までの感覚を丁寧に追った。そして身体のど真ん中に、湿気を含む空気が入ってゆくのを感じた時に、下半身のちんこはど真ん中だよな・・・なんて思ってしまって、意識をちんこに集中したら、みるみるうちに大きくなった。
素晴らしい、僕はまだ衰えていない事を発見できたマインドフルネスだった。
エッセイと小説
風呂から出てから、マインドフルネスの影響で頭がスッキリと集中力が戻ってきていた。これはマインドフルネスの効果で、それ以上のことはないとだけ書いておこうと思う。マインドフルネスをすると、不安や恐怖の感情を司る脳の「扁桃体」の活動が鎮まることが学会で発表されている。
日本の禅の文化は、実は脳に良いわけだ。
スッキリとした頭で、僕は新人文學賞の執筆にとりかかった。エッセイならば、僕の目線で感じた事をかけばいい。そして時折、感情の動きを風景で書いてやれば、それなりのエッセイが出来上がる。
しかし、小説は違っていた。書いてわかるのだけど、僕の意識が登場キャラを追い越してしまう。キャラに代わって僕がセリフを言うわけだった。
登場キャラは、そこまで成長していない。経験もしていない。だからそのセリフは言えないわけだ。そこに僕が介入して、登場キャラの人格を奪って、セリフを言わせてしまうのだ。
これはハッキリいって暴力的だ。
登場キャラの成長を待つ余裕がない。これが小説の難しいところだと発見してしまった。
僕が主人公ではないのだ。登場キャラがその時々の主人公になる。そのキャラにいろんな経験をさせて、やっと僕の想っているセリフが言える環境が整うわけだ。
小説には忍耐が必要だ・・・。
俯瞰で分析する
夕方からは息子と買い物の予定だった。
「いつも外食なの?大丈夫か?」
息子は帰りがいつも終電になっていたので、いつも駅前の「すき屋」で弁当を食べていた。
若い時は、何を食べても身体に堪えないのだろうが、若い頃の食生活が習慣になり、成人病になってゆくのを、僕は知っていたので、息子の食事情を心配して言った。
「おいしいごはんを炊けば、なにを食べても旨いんだよ。」っと。
さらに、「豚とキムチさえあれば、フライパンで豚キムチでメシを食えるよ。ウインナーやコロッケだけでも、うまい米だけあれば、最高なごちそうに化けるよ。」っと。
息子の想像をかきたてるように、言葉を置いた。
息子には押し付けはダメだ。ふわりと言葉を漂わせる感じで、余白を作って語り掛けると、その言葉は言霊となって、息子にふわふわと届いてゆくのだ。
「炊飯器は、象印とタイガーの2択なんだよ。」
「どうちがうの?」と息子は思った通りに食いついてきた。
「タイガーは土鍋窯で米粒を丁寧に焼き上げて、一粒一粒を際立させる。そして象印は高火力で激しい対流をつくって米どうしをぶつけて、やわらかく炊き上げる。」
土鍋で粒立ちか?高火力でふっくらか?って感じで、どちらも捨てがたいわけだが、息子は「米はしゃっきりがいいな。」という事で、タイガーに軍配が上がった。
梅田ヨドバシカメラに行く前に、服の生地を探したいというので、僕たちは船場に立ちよった。
「シャッター街だな。今日は水曜日の平日だぞ・・・」
「いつもこんな感じなんだよ。もうすぐ目当ての卸問屋なんだけど、会社相手に商売してるから、僕みたいな個人じゃまともに相手してくれないんだよな。」
と、息子は言ったが、その通りで船場の店は「素人お断り」とか、「小売りしてません」とかの張り紙がしてあって、大阪商人の商売根性が見て取れた。
「ロールで箱買いしてくれるお客さんは歓迎。小売で切り売りなんて小銭はいりません。」そんなハッキリとした態度が感じられた。大きく儲けたいわけだろう。
結局、思った生地は見つからなかった。
「ないなぁ。ホントにデニム生地って無いものなんだな。」と僕が言うと息子は僕を見て首を振った。
「あるにはあるんだよ。だけどそれは倉庫にあって、僕みたいな切り売り客のために、倉庫から持ってくるのは、ごめんなさい、という事なんだ。ロールで買ってくれるんなら取ってきましょう。切り売りなら、店頭にある生地で我慢してちょうだい、という話かな。」
と、息子はドライに見ていた。僕は感心してしまった。店の都合まで考え及ばなかったから、息子の俯瞰で世の中を仕組みを見る、そんな感じが、もうすでに職人目線になっているのだと思い知らされた出来事だった。


やっと見つけた道
タイガーの土鍋圧力IHで決まりで、お値段は明日から7万円台に跳ね上がるギリギリで、5万円台で購入することができた。
「最近の物価高で、明日から大幅に値上げになるんですよ。」
と女性店員が教えてくれて、それが作戦かどうかはわからないが、どうせ購入するつもりでいたので、5万円台で購入することにした。
そして、ここで10%のポイントが入ってきたので、実質的に4万円台で購入することができた。

「米は何を炊けばいいの?」と息子が言うので
「魚沼産コシヒカリが旨いらしいぞ」と答えたが、これは個人差があるだろうし、息子が旨い米を探すのも奪いたくなかったから、晴天の霹靂でもいいし、ゆめぴりかでもいいし、ただ「無洗米はやめとけ」とだけ息子に伝えておいた。
3万円分が冒頭で書いたギフトカードで、あとはカードで支払いを済ませて、そのままレストラン街へエスカレーターで登った。
ここは家族4人で良く来た。どうしても妻の質感が立ち上がる場所のひとつだった。
水曜日ということもあり、博多もつ鍋 おおやま リンクスウメダ店は、予約なしでも入る事ができた。
「ここ、いつも1時間待ちが普通なのにな。」
そう僕は息子に言い、店員に案内された。
「奥に座れよ」と僕は行ったら、「いいの?」と言うあたり、息子は優しい。これはママに仕込まれたものだ。この優しさは、きっと未来の妻を幸せにすることだろう。
「当店は、みそ味が人気です。」と店員がメニューを差し出して言ったが、「しょうゆで」と僕と息子が言ったものだから、再度店員が「味噌が人気でございます。」とみそ推しをしてきた。
「味噌は口に合わなかったんだよ。辛いんだよね。」とハッキリ僕は断った。
女性店員は苦笑いして、去っていった。
「味噌推しするなら、メニューにしょうゆも、水炊き風も乗せなきゃいいのにね。」と僕が言うと、息子は「まぁ、そんなこと言うなよ」という顔をして、僕の言葉を受け流した。
大人になったものだ・・・
「最近、友達が僕の影響を受けてきてさ、どうしたらいい?と聞いてくるからさ、何がしたいんだよ?って言うと、カネを儲けたいって言うんだ。だからショート動画とか教えたら、その通りに行動するんだよね。あいつは変化し続けているよ。」と息子は数少ない面白い友達の話をしはじめた。
「互いに影響しあえる友達はいいな。人は影響しあって生きているからさ、そういう友達は大切にしておいたほうがいいと思うよ。」と、僕は息子の話を聞いて素直に思った事を伝えた。
「だけど、その友達さ、カネを儲けて、何がしたいのかがわからんらしい。」
やりたい事がないわけだ。熱意はあるのに、どこに向けたらいいかわからない。今のままではダメだという想いはあるが、どう変わったらいいのかわからないというわけだった。
「まぁ、そりゃ行動するしかないわな。面白い事をやってたら、そのうちやりたい事に辿り着くんだけどな。」
僕の言葉は、すでに息子が存在で証明していた。
「点を線で見れる奴って、結構いるんだけど、その現象を言語化できていないんだよね。」と息子は続ける。
「点で見るな、線で見ろ」というのは、僕が息子に教えた考え方だった。しっかり息子は自分のものにしている。
留学から戻ってきてきても、息子はしたい事が見つからなかった。そこからの激動を息子は話す。
「ファッションが好きで、服を買い集めて、だけどなんだか思った感じの服じゃなくて、じゃぁ思った感じのを作っちゃったらいいじゃんって発想になったんだけど。」
そして、今の服作りというやりたい事に辿り着いた。
「だけどさ、面白い事にさ、もがいている時期が、今思えば一番面白いんだよね。やりたい事が見つかったのに、さらに苦しくなるわけ。アイデアは出てくるけど作れないんだよ。そして、感性も育っていないから、ふたつのズボンを作って、ずっと眺めているんだよ。どっちの世界観がいいのかひたすら悩んで迷うんだよ。ここを越えると楽なんだけど。」
よっぽど苦しんだのだろう。息子の苦労話は真に迫っていた。
「そうだな。パパも小説を書いているけど、なにを書きたいのか迷いの時期はあったな。今は人の存在を置くという書き方になったけど。ただ、物量が多くて書ききれるか心配なところはあるけど。」
息子とは「創作」というキーワードで話はいくらでも出来る。産みの苦しみを知ってい同士で、語れる時間がとても贅沢で、隣の客が座って、食べ終わり、そして次の客が来て食べている。なかなかに長い時間を話し込んでいる。

息子と同じく、僕もやっとやりたい事が見つかった。
とりあえず9月30日締め切りに間に合うように、新人文學賞の作品を書き切ろうと思う。
