夢にむかって

長居公園の植物園でチームラボが常設の展示をしている。夜の植物園をライトアップしている。以前、京都植物園のライトアップを観に行った事があったが、それと同じだろう。

「インスタで見たんだけど、どうだろう。行かないか?」と息子を誘うと、息子も知っていたようで今夜行く事になった。

7月16日(木曜日)のことだ。

「19時出発だぞ」とLINEを入れると、「おっけい。今から帰る。」と返信が来た。どこかに行ってるようだ。息子は仕事以外の時は、やっぱり活動している。日々、なにかを感じ取り、興味が向いたところへは惜しげもなく足を運ぶ。その行動力は夢へ向かった歩みなのだろう。

どんな時でも楽しんでいる。

仕事上がり僕は小説を書いていて、いま書いているところは、なんでもない日常に違和感を感じ、そして決定的な事件が起こったところで、順調だった人生がガタガタと崩れてゆくところだ。僕の人生で言えば、家族がいなくなって、転落が始まった時期と重なるところだろう。離婚の物語ではないけれど、あの感覚を思い出して書くから、どうしても気持ちが億劫になり、一行書くだけで息がつまりそうになる。

小説を書くという事は、自分の何かを差し出すことなのかもしれない。自分の奥底に眠るものを掘り起こして言葉にする。書くたびに何かが剥がれて傷口が広がるような気がする。

目次

好きの情熱

デイルームのドアがガタガタと開いたと思ったら、息子が大きな何かを担いで入ってきた。その大きな荷物を床に置き、重さから解放されて「あぁー マジやばかった」と座り込んだ。

「なんだよ、それ?」

汗だくの息子は「ジーンズの生地だよ。」っと目を輝かせて「掘り出し物ゲットしたよ。」とクーラーで冷えた空間を堪能した。

「この暑いのに、この重いものを担いできたのかよ。」と、僕はどんな重さなのか担いでみようとデニムのロールを持ち上げようとしたが、いっきに腰に重圧がかかり、一瞬で持ち上げるのを諦めた。

「今日は気温34℃だぞ。酷暑のなかこの荷物を担いで帰ってきたのか?」

正気の沙汰ではなかった。好きな事をしている時の努力は、努力と思わないというが、この重量を酷暑の中を担いで帰ってくるのだから、好きへの情熱は半端ないものだと感心する。

「見てよ。このレザー。このレザーは6万円なんだけど、切れ端だから3000円でゲットしたんだ。」

息子は紙袋から次々とレザーをカウンターに並べた。革の独特な香りが部屋いっぱいに広がった。

「このロールもレザーと一緒の店で見つけたの?」と息子が汗を流して運んできたデニムロールを指さして尋ねると、「それは船場にあった。青じゃなくて、黒っぽい緑なんだけど、質感がめちゃくちゃ良くて、これ下さいって言ったら、店員が電車だよね?って言うから、気合で持って帰りますからって言ったら笑ってたよ。」

さそかし、店員も奇妙な客だと思っただろう。そのシーンが想像できた。

夜の高速

長居公園に向かって夜の高速を飛ばしていた。オレンジ色の灯りが道を浮かび上がらせて、一定の間隔で「カタン、カタン」っと高速道路の継ぎ目をタイヤが走ってゆく。道中は、いつものように息子と尽きる事のない会話の時間だ。

「パパの最近の美学が変わってきたね。」

息子は僕への感想を言ったが、僕にはいったい何の話やら全くわからなかった。それでも息子はかまわず話し続ける。

「だからだんだん面倒臭くなるよ。自分の世界をもってる人は、自分の意見を言うようになるからね。」

全く、息子の話す事はわからない。そもそも美学というのが、僕にはどんなものかさえわからない。

「パパが最近、変わってきたってことか?どこらへんを見てそう思うんだよ?」

聞いてもわからないんだから、聞くのはよそうと思っていたのだけど、思い直して尋ねてみた。

「なんだろう。自分の世界感っていうのがさ、確立してきたというか、服、音楽、動画っていう感じで僕はやってるけど、パパはエッセイやら小説を書いているわけだろ。そして後はやる事は決まってるわけで・・・」

息子はずっと話し続けていたが、僕はやっぱりわからなかった。左側に出光の製油工場が見えた。まるでメトロポリスだ。幾何学的な工場の建物が未来っぽい世界が立ち上がっている。この建物を見るといつも銀河鉄道999を思い出す。あの未来な建物からアンドロメダへ向けて銀河鉄道が空へ向けて走ってゆくような想像をした。

エッセイ

美学らしいものがあるとしたら、僕にはエッセイの書き方ぐらいだ。この2か月でエッセイの軸が大きく変化してきたと実感していた。

「よくはわからないけどな。パパは私小説エッセイを書いてる。あのエッセイは錨のようなものだよ。あのエッセイにはパパの存在を込めているわけだよ。ここにパパがいるっていうな。」

息子は助手席でオレンジ色に照らされたり、影になったりとして、僕が話し始めると、耳を澄ます。言葉は空気の振動となり、息子の感性に働きかける。

「もっと言えば、家族の存在だ。パパが上半身裸でテレビを観ていて、ママが台所で夕飯を作っていてさ、ママが言うんだ。パパ、洗濯ものを畳んでって。パパは面倒臭いなと思いながらも、みんなの洗濯物を畳み始める。お姉ちゃんは自分の部屋で切り絵を作っていたりして、お前は寝っ転がってIpadでYoutubeを見てるわけ。そんな家族の存在をあのエッセイに書いてる。かつて、家族は確かにココに存在したという事をね。だからあのエッセイは錨なんだ。」

息子に伝わるのかはわからない。ただ息子も分からない事を言う。息子の世界観で話をする。僕はわからなくても、なんとなく大雑把に言いたい事を感じる。一字一句理解しようとしなくていい、話すリズムや間の取り方を感じて、息子の話す今を感じる。それだけでなんとなく伝わってくるものがある。だから僕も自分の言葉で、リズムで、間の取り方で息子に話しをする。

「そしてエッセイは存在だけじゃなくて、関係も置いておく。例えば、この車を書くとして、オレンジと影が交互に車内を照らしていると書けば、車はパパが運転して高速道路を走っていてる車となる。単なる車という物にも、関係を置けば、想像できる質感が沸き上がる。鏡台でも、埃がかぶっていれば、もう使われていない鏡台になる。その鏡台にAHKAHのジュエリーがあれば、ママの鏡台だという質感が沸き上がる。壁にかかったカレンダーでも、日付が2019年9月ならパパの時間は当時から止まっているとなる。物にも関係があって、それを書くと存在は更に強くなるんだ。」

息子は話についてこれているだろうか。黙って聞いていた。

「つまりパパに美学があるとすれば、存在と関係だと思う。」

本当にそう思う。妻の子どもの頃、そして成長し、高校生になり、思春期を迎え恋をして、大学に通い気の合う友達が出来て、ネットの世界で出会うハズのなかった僕と出会い、そして結婚して役割の世界に入って、たぶん息苦しくなって、そして離婚して自由になった。それは妻の人生であり、それは妻の存在なんだ。そして、妻はいろんな人との関係を紡ぎながら、彼女の存在から、温かみや、体温や鼓動や息づかいが感じられてくる。

それと同じく、僕の、娘の、息子の存在もあるのだ。それぞれに他者との関係を紡ぎ自分の輪郭を成す。それがいまの僕の美学となり、このエッセイの書き方の変化に繋がっている。

「そしてな。もう少し踏み込むとな。エッセイは錨でもあり、灯台でもある。暗い海に明かりを灯して、船の道しるべになる。定点であって、あの家族だった存在はびくともしない。嵐の荒れた海でも、明かりが灯って道しるべになっている。例え、迷ってしまっても、灯台の灯りを頼りに自分の位置がわかる。それがパパが書いているエッセイなんだよ。」

妻がどこにいようと、娘がどこにいようと、確かにあの時間は存在していた。未練とか、執着とかではなく、大切にしたい存在なんだ。これを道しるべに、今を生きていたい。それが僕の美学だと思う。

「なんだ、パパわかってるじゃん。それがわかってきたから、パパの美学が以前とは変わってみえるんだね。」

意外にも、さきほどの僕の話を聞いて、息子から見た僕は美学をわかっているのだそうだ。僕のどの言葉が、息子の感性に届いたのか、やっぱり、息子の言う事はさっぱりわからなかった。

息子の言っている事の半分もわからなかったが、息子にとって僕は変化しているらしい。

「みんな変わるのを怖がっているじゃん。高校時代の友達が、いま悩んでいるんだよね。もうすぐ就職で、このままでいいんだろうかって。だいたいの人は、自分は正しいと思っているわけじゃない。自分が間違ってたとは認められないよね。だって今までの自分を否定することになるからさ。だから変われないんだよ。」

やっと、息子は僕の理解が及ぶ話題を振ってくれた。

「まぁ、そうだな。ただパパみたいに、家族を失って人生の底辺に落ちたら、そうも言ってられなくてな。変わらないと未来がないと思うわけだよ。だから今までを全否定して、変わろうともがくのだけどな、やっぱり俺は間違っていないと変化にブレーキをかける自分が出てくるんだ。たぶんこれは、防衛反応だろうな。認知不協和で否定と肯定がぶつかり合って、心と身体が悲鳴を上げ始めるんだ。」

苦しんで、苦しんで、苦しんだ先に、パタッと心も体も壊れた時期があった。地獄があるとすれば、アレが地獄というのだろう。あの景色は凄まじかった。

「chatGPTに聞いたら、パパは特例らしいな。普通の人は、自分を守ろうとするから、自分の考えを少しづつしか変えられないらしい。パパみたいに、自分を全否定していったんぶっ潰してしまって、ぶっ倒れる荒行事は、誰でも出来る事じゃないらしいわ。」

息子は笑っていた。

「そこで、ダーウィンの進化論なんだよ。強い奴が強いんじゃなくて、変化出来るものが強いわけだ。だから、今のパパの考え方じゃ未来はないな、と思えば、今までもっていた考えをぶっ潰して捨てる。そして時代にあった考え方を身につける。生き残るために変化するわけだと考えれば、間違っていたというより、適応するに解釈は変わってくる。そして新しい価値観を再構築していったわけだ。」

当時、地獄の一丁目にいた時の僕は、さすがに気が狂っていたと思う。バイクで朝5時に出発して、日付が変わって帰ってくる。そんな狂った行動力で、何かを求めて彷徨っていた。

彷徨い続けた先に、見つけたものなどなかったけれど、あの狂ったような動きがなければ、他者との距離感であったり、承認欲求を捨てる事であったり、開き直って自分の軸を作る事であったり、お金との付き合い方であったり、役割の人生からの脱却だったりと、僕という存在の輪郭はつかめていなかっただろうと感じる。

夢に向かって

そして、変化の波は未だ続いていて、息子の言う「美学」というものが僕にも備わってきたのか、エッセイの書き方も、この2か月で様変わりした。

「エッセイの書き方も変わってきてな。今までは自分をわかって欲しいとか、ママに届いて欲しいとか、ママを求める気持ちが前面に出ていたんだけどな、今は静かに自分を存在はここにあると置いている感じになったよ。」

僕の片想いを息子に話すなんて、こっぱずかしい親だと思うが、この際だから聞いてもらうことにした。

「エッセイを書き続けているうちに、書く筋力がついた。これはママに感謝だな。ママにわかって欲しいという想いが強すぎて、書いて、書いて、書き続けていたら、いつの間にか書く筋力がついていて、その延長で小説も書いているわけだからな。」

この2か月でエッセイの質が変わってきて、今はわかってもらわなくても、それはママの選択だから尊重しようと自然に思えるから不思議な変化だ。

僕はここでこういう生き方をしている。そして、息子はこんな感じだ。

それぞれの存在と関係を、錨として、そして灯台として、エッセイに綴る。

「今のパパが、ママに出来る事といったら、それぐらいだよ。お前の近況をこの場で伝えるぐらいだ。母親はいつだって母親だしな。離れていたってお前を心配する気持ちはあるから、だからパパはママにお前の近況をココに、書ける範囲で置いておく。」

読んでいてくれたら嬉しいが、それは彼女の自由だから、僕の知るところじゃない。それが非暴力の距離感だ。

それに、今がとても楽しい。

毎日小説を書いているけど、もし文學界新人賞で受賞が出来れば、次は掲載された作品のなかから芥川賞の作品が選出される。そうすれば、もしかしたら芥川賞作家になれるかもしれない。もちろんそんなに甘くない世界だとはわかってはいるけど。

芥川賞作家になりたい。これはいまの僕の夢になっている。今までは夢さえ追いかけていなかった。今は夢に向かって行動出来ている。1行でも書ければ、夢に向かって歩いている自分がいる。そんな自分を好きになれた。

それはお前に学んだことだよ。好きな事を軸に、服を作って、作曲して、AIで動画を作る。その3点で行動しているのを見ているうちに、パパもも夢を追いかけてみたくなったんだよ。

「ありがとうな」

息子は、重いロールを船場から運んできた疲れもあったのか、助手席でスヤスヤと眠っていた。

着いたら起こすとしよう。


Virtual Insanity

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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