毎月10日には、国保連合会へデーターを提出に行く。これはネットでも行えるのだけど、僕は毎月、谷町四丁目まで1時間ほどかけて来る。
地元で閉じこもっていたら、窮屈に感じるからだ。
気晴らしも兼ねて平成12年から、月初は谷町四丁目まで来たついでに難波や梅田に足を運ぶ。26年間、すでに習慣になってしまった気晴らし仕事だ。
いつだったか、昔に勤めていた特別養護老人ホームの副事務長と国保連でバッタリ出くわした事があった。「あ。副事務長、おひさしぶりで、ご無沙汰してます。」と挨拶をすると、彼女は急に顔を真っ赤にして逃げるように去っていった。
地元の小さなコミュニティーでどっぷり浸かっていると、仕事は早くするものだとか、お昼ご飯はささっと食べて仕事をするものだとか、残業をするから仕事が出来るとか、根拠のない迷信にがんじがらめにされる事がある。その部類なのだろうとピンときた。
データーをひとつ提出するだけで、地元から都会のほうへ出てきている楽な仕事だったから、彼女も気晴らしついでだったのだろう。だからこそ、彼女の心の奥底にさぼっているといった罪悪感が潜んでいるのかもしれなかった。そこを僕に見つかってしまったという訳だ。
別に顔を赤くして恥じるようなものでもないのだけど、彼女の価値観がそれを許さないのだろう。いま振り返れば、彼女も何かに縛られていたのだろうなと思う。
あれから25年は経つが、彼女の心の動きがようやくわかった、ような気がした。
ファッション
この後、僕は長谷川君と約束をしていた。27歳の好青年で今日は彼と飲みに行く約束をしている。18時に難波で集合しようとLINEを入れて、「かしこまりました。」と返信が来た。谷町四丁目で5:00だったので、ここから歩いて1時間以内には難波に着けるだろうと思い、僕は歩いていく事にした。
難波高島屋の前は歩行者天国になっている。そこで長谷川君を待つことにした。中国人らしき家族が僕の隣に座り、話をしているが全く分からない。
タトゥーをした女性が、僕の前を通り過ぎていった。左足、半分にアニメの絵柄が彫られていた。そして「ズキューン」という擬音まで丁寧に彫っている。なんのアニメだかわからなかったが、日本のアニメかぶれの外国人観光客だろう。まるで身体が原稿用紙のような女性だった。
タンクトップを来たムキムキの黒人が僕の前を通りすぎて言った。。後から追いかける女性は、相撲とりかと思うほどふくよかな女性だった。後ろから見ると短パンがパンパンのおしりにめり込んでいて、半分以上おしりが出ていた。そして短パンにはイチゴマークがついている。
座って人間ウォッチをしていると、個性豊かな人が僕の前を通りすぎていった。学生の時も、こんな人間ウォッチをしていた記憶が蘇ってきた。当時は僕も個性的な服を着ていた。ヒッピーの服だったり、ヤングサンデーで連載していた山田玲司のBバージンに触発されて買ったアニエス・ベー(agnès b)だったり、アルマーニとかだったり、ポールスミスだったり、お洒落に目覚めたのが漫画がキッカケだったというのは、オタクな道を歩んできた僕からすれば、なんら不思議じゃないのだろうなと思う。
アルマーニを見て、元妻は「こんなのはあなた買わないでしょ。だから捨てるよ。」と捨てられたのだが、いやいやそれ1か月分のバイト代をはたいて買ったものだったけど、その時の元妻の雰囲気がなんとも言えない目つきをしていたので、着てはいなかったが、売ればいくらかになったのかもしれない服だったのだけど、捨てていいよと言ってしまった。
ポールスミスは、なにが偶然か結納の時に妻からもらったスーツで、これは気に入って愛用していた。たぶんもう元妻は忘れているだろうが、あのスーツをもらった時はとても嬉しかった。
遅刻
人間ウォッチングをして長谷川君を待っていると、18時の待ち合わせになっても、いっこうに連絡がなかった。少し待ったが18:15分になっても連絡が来なかった。待ちぼうけというわけだ。
18:30になっても来なかった。18:46分になってやっと「遅くなりました!」と連絡が入ったが、すでに僕はもう場所を移動していて、キリンビールの直営店であるキリンシティプラスに入店していて、ひとりカウンターでビールを飲んでいた。
約束の18時から46分後に「遅くなりました」とLINEが入り、「え?」となった。1時間近くも遅刻ですか・・・
どうも感覚がわからなかった。
キリンシティプラスにいるよとLINEをおくると「行きます」という返事で、「今から来るのか・・・」と僕はなんだかもやもやとした。
19:00には長谷川君は店について、「遅れてすみません」と言ったその表情は、硬くて無表情で、なんだか違和感だけが立った。あえて僕は遅れた理由は聞かなかった。聞いたところでどうしようもないし、折角の飲み会だから楽しみたかったというのもあった。
「なにを飲む?」と聞くと、「僕はキリンの一番搾りが大好きなんですよ。」と注文した。だけど彼はそれを一杯飲み干すと、「ここってビール好きの人しか来れませんね。」というので、「そんな訳ないだろ。カクテルとかもあるよ。」とタッチパネルを操作すればすぐに見つかった。
「あ・・・。ホントだ。」と言って甘いカクテルを注文した。
どうもかみ合わなかった。世代が違うから噛み合わないのかもしれなかったが、なんだかその時はわからなかった。違和感だけが僕の喉元まで出かかってきていたわけだけど、その正体が何なのかを掴めていなかった。
承認欲求
長谷川君と話していると、同棲の彼女と上手くいっていなさそうで、もしかしたら別れてしまう寸前のような気もした。
「僕は彼女を型にはめすぎていたのかもしれません。」と長谷川君は言ったが、どんな型なのかが僕には見えなかった。僕に構わず長谷川君は続けた。
「もう僕は尖りたくないんです。落ち着きたいんですよ。」
再び僕はどう尖っているかわからなかったが、ありのままで良いのではないのかと進言した。と、同時に、ありのままで居る事が、元妻をどれだけ追い込んでいたのかと思い出さずにはいられなかった。
夫婦の関係がストレスがないのは普通の事じゃない。お互い違う人間だから、大小様々なストレスはあるのが当然だと思う。僕がストレスを感じていないということは、元妻がだいぶ我慢をしていたのだろうと、今ならわかるような気がした。
「つまり別れそうだという事なんだね。」と言うと、泣きそうな顔になって長谷川君は頷いた。どこまで追い詰められている余裕のなさが感じられた。
なるほど、遅刻の原因はこれだったかと、僕なりに推測したところで、遅刻のわだかまりが僕のなかで消えていった。
27歳で結婚を考えた同棲した彼女に捨てられそうになっていたわけだ。そして長谷川君は、彼女を枠にはめすぎていたと言っていたところ、ジェンダー思考で、「それはダメだ。これは常識だろう。わからないのか」とか彼女の人格を否定してきたのだろう。そう僕は解釈した。
「彼女さんは、ありのままの自分を受け入れてほしかったんだろ。」と僕はひと言だけ添えた。そこから何を考えるかは長谷川君の問題だから、僕はその問題には立ち入らないようにした。
それからいろいろ話をしたが、印象に残ったのは、「僕は誰かに必要とされたいんです。認められたいんです。」と言った事だった。
「それって承認欲求ってやつか・・・」
僕は長谷川くんに過去の僕を否応でも重ねてしまう。僕もこうだったのか・・・と妻に謝りたくなった。
「あのさ、長谷川くんさぁ、承認欲求ってさ終わりがないんだよ。他人の期待に応える。そしてありがとうと感謝される。長谷川君の承認欲求が満たされる。このサイクルが延々と続くのさ。で、これって他人の期待が軸にあって、長谷川君は軸の周りを回っているだけだろ。それって他人の人生を生きている事にはならないかい?」
そう僕は長谷川君に問いを立てた。この問いにどう向き合うかは長谷川君の問題だから、僕は問いを置くだけで、あとの思考や深掘りは彼を任せて信じた。
僕にはそれ以上も、それ以下も踏み込むつもりはない。誰かをコントロールしようとすると、すべてが歪んでくるともう知ってしまったから。
「長谷川君に、いま必要なのは、知識だと思うよ。僕が参考になった本はこれなんだよ。lineに送っておくから、興味があれば読んでおきな。君の人生にヒントをくれるよ。」と長谷川君に言った。
そろそろ夜も更けてきて、長谷川君がトイレに行って長く帰らないので、たぶん彼女にでも連絡しているんだろうと、お会計をすることにした。
「さぁ、帰ろうか」と店を出た時、「あの、お金は・・・」と長谷川君は言ったが、「もう払ったからいいよ。」と、自分の子どもの年頃の青年に払わすわけにはいかなかったから、「じゃぁ、ここで」と右手を上げて僕は南海電車の改札に向かった。
他者の意見
「それっておかしいと思わないんですか!」と中山(仮名)スタッフは僕の目をまっすぐに見て、少し顔を赤くして興奮していた。
「いや、だからさ、同居の彼女と別れそうで、うつ症状みたいになってたんだよ。」
「だからなんですか?1時間近くも遅刻しているんでしょ?その間にちょっと連絡入れるぐらい出来ませんか?」
中山さんは、仕事相手の先輩を待たせるのは礼儀知らずだと言いたいらしい。遅れるにしても「遅れます。」の連絡を入れるべきだと僕に言っていた。
「まぁ確かにそうなんだけど」
「そうだけどじゃありませんよ。私は腹が立ちます!」
なんだか話がおかしな方向に向いてきた。僕は長谷川君と飲みにいってきて、彼女と別れそうで表情がおかしかったと伝えたいだけだったが、そんな事はどうでも良くて、中山さんは長谷川君の先輩の扱いについて気に入らないようだった。
「私は、人を軽く扱う人が大嫌いです。私が主任の立場なら、もうそんな人と会わない。だからもう連絡しないで下さい。」と、中山さんの小さな目は、瞬きしそうにないぐらいに、しっかりと見開いていた。
これ以上の話は、もうしないほうがよさそうだった。
「中山さん。なんとなく言いたい事はわかったから、ちょっと落ち着いてくれよ。今週無事に終わって、今週の雑感を意見交換していただけで、ちょっと話が横道にそれて悪かったよ。」と僕は言ったが、
「私は腹が立ちますから」と身体をこちらに向けて、ふたたび睨みを効かせていた。
そうこうしているうちに、17:30になり、土曜日は残業しないでおこうという暗黙の取り決めどおり、中山さんは玄関ホールで深々と僕に頭を下げて「今週もお疲れ様でした。」と言った。
僕も「こちらこそありがとう。」と言って、彼女がドアを開けて帰るのを見送った。
このお辞儀の時間が苦手だった。
中山さんが帰って、仕事場にひとりの時間が訪れる。
そういえば・・・
「昨日はごちそう様でした」ぐらいのlineが入ってもおかしくはないが、全くないなっとぼんやりと違和感を感じた。

