魚沼産こしひかりを買った。0.5合をさっと洗う。とたんに水が濁り白くなる。丁寧にかき回すように水を循環させて、白濁となった水を丁寧に捨てた。
炊飯器の予約セットをする。60分寝かせた後に炊飯して、きっと米粒ひとつひとつが潤いを保って立っているだろう。それを想像するだけでよだれがでた。
ウォーキング前に炊飯器のセットをして、ウォーキング帰りにお惣菜を買って帰ったら、ちょうど炊飯出来ているという段取りで、今日の一日を締めくくる、これ以上ない計算された晩飯への段取りだった。
準備を終えてウォーキングに行こうと階段を降り、そしてバイクを出すためにシャッターを開けた。ガラガラっと上まで上げたところで「おーっす」という声が後ろから聞こえて、振り向けば息子が存在感を醸し出して立っていた。
「なんでこいつは立っているだけで、存在感があるんだろう?」と僕は不思議に思う。スラっと背が高いし、履いているジーンズは、シワのテカリの質感が際立っているし、若いのに自分の軸を持っていて、たぶんそれが魅力の一端なんだろう。
「見てよこれ。ジーンズに染色したんだけど、シワがテカっているだろ。最高じゃね?」
息子は自信が溢れていた。バイトリーダーに抜擢されて、視座を上げなきゃいけなかったけど、成長シロがあったし、本業のジーンズづくりもアイデアにあふれて、やりたい事が山ほどあるようだ。
息子の存在そのものが物語っていた。
「きっとこれから面白くなるんだよ。お前の人生は。」と僕は期待せずにはいられなかった。
「メシいこうぜー」と息子が言った。
2時間後に炊きあがる美味すぎる白米が炊飯器にセットされていたが、「メシにいくか。」と、息子の勢いに付き合う事にした。
「どこにいく?また、たから寿司に行くか?」
息子は僕に親指を立ててみせて「ありかも」と短く言った。
決まりだった。
絶好調
「だんだんむかついてきた。こっちは外人相手に服売りまくってるのに、お前らなにしてんねん!」
息子は席に座るなり、身振り手振りを加えて話し始めた。
「こっちは服を売って、他のバイトのフォローもして、動き回っているのに、時給が一緒って不平等すぎる。」
マニュアルで動く人と、考えて動く人の差はどうしたって出てくる。会社が最低限ここまでやってね、というのがマニュアルで、それは接客のいろはで、ノルマでもなく、誰もが守ればいいものだった。
息子のやっているのは、マニュアルではなく、自分で考えて売り上げをどうやって上げるかだ。もはや視座が違うので、噛み合うハズもなかった。
僕は息子の言う事ももっともだと思ったが、僕が同調して「同じ時給もらって立ってるだけってありえんな。」とか言うと、息子はどこまでも調子づいてしまって、どこかで失敗してしまいそうな勢いだったので、僕はなだめる方向で言葉を探した。
「そうは言っても、マニュアルどおり動くのがフツーで、お前のように外人に積極的に話に行く服の売り方って特殊じゃない。」
なだめるつもりでも、僕の意見は本音だった。息子のように感性を使って、ゲームの攻略のように接客を見るのは、誰もが出来るわけじゃないと思っている。
「お前ははやぶさの剣を持ってて、2回攻撃できるけど、みんなはまだ城を出たとこだからね。ひのきの棒でポカポカ叩いてるわけで、お前みたいに無双できるわけじゃないから。」
まったく頭の回転の速さと、構造理解が噛み合って、服を売るスキルは日々進化していっている。
「店長はお前を認めてくれてんだろ?」
「そうだね。店長は感情抜きで、シビアに見ているからね。実績をもってこいって人だから、僕と相性は合うかな。この前は時給を上げてやるから、とか言ってくれた。」
息子みたいに実績は出すけど、再現性のない売り方でも、店長は面白がってくれるのだから、どうやら店長も変わり種かもしれないと僕は思っている。だから変わり者同士、馬が合うんだろう。
その分、副店長にしわ寄せがいくというパターンに見える。真面目な分だけ外れくじを引かされそうで、副店長の八尾さんが気の毒に思った。会ったことはないけど、なんだか心配になる。
ひれ酒ひとつで、少し目がまわってきた。ダイエットのためにあまり食べていない。そこに日本酒が入ってきたので、身体は正直だった。
この調子なら、当分は息子は大丈夫だろう。さぁ明日は日曜日だ。日曜日こそちゃんとしないと。

安土城
2021年10月、足どりは重く引きずってあるいていた。過敏症腸症候群が発症して、胃腸の機能は落ちてどうもスッキリしない。それに足が思うように動かない。
それでも僕は行動する毎日だった。どう変わっていいのか、方向性を定めずに四方八方に行動、行動、行動の毎日だった。
2026年5月、あれから5年が経った。今年は安土城築城から450周年だったから、今日の日曜日はソロツーリングをかねて、当時をなぞり安土城を訪問した。
大手門のところが受付となっていて、700円の拝観料を払った先に、長い長い大手門通りが続いていく。
「階段が大きくて、一歩一歩が大股でじゃないと上がれないのは、攻めにくくするためなんか?」
とか思いながら、大手門通りの左手に羽柴秀吉邸跡があった。下が馬屋で上が屋敷という作りだった。
「風向きによっては馬の糞で動物園みたいな臭いをしてただろうな」なんて事を考え、「こんな屋敷でメシとか食ってられんな」と可笑しくなる。


大手門通りを登り切ったら、直角に曲がり、この直角の道で弓隊を配置させれば、登ってきた敵兵を側面から弓で攻撃できるわけだ。安土山を丸ごと要塞化させた安土城であったから、いたるところに戦いの知恵があった。
スマホで撮影して、chatGPTで再現する。YAMPという登山アプリで歩いた位置をGPSで記録させていたから、後でアップロードする写真を撮影というわけだ。



今日は安土城跡を散策して楽しんだ。あの頃に比べたら体調も良くなっている。そして以前アップした安土城の動画を見返したら、ナレーションが非暴力を意識しすぎて、おかしな話し方になっていた。
「あたかも害はありませんよ」って感じを意識していた。舌足らずな口調で、ゆっくりと話していて、今見ると滑稽そのものだった。当時は、そうでもしないと、自分が怖かったというのもあった。愛する者を傷つけてしまう自分を、どう扱ってよいのか、まだ答えを持ち合わせていない頃だ。
とても怯えている自分が、Youtubeの中にいた。
あの頃の誕生日
「もうすぐ誕生日だろ。高島屋まで誕生日プレゼントを買いにいこうか。」
妻の誕生日が近づいていた。良くドラマなどで誕生日プレゼントをサプライズで贈るという演出があったが、僕にはそれが良くわからなかった。サプライズでプレゼントを差し出されて、「わぁ、ありがとう!」っていう話は良く聞くが、あれこそ自己満足なものはないと思っている。欲しいプレゼントをピンポイントで当てれるわけがない。
高島屋に買いに行くまで、妻は楽しそうだった。どれにしようか悩んでいるのも、誕生日プレゼントなった。それから妻は良くスマホを眺めては、これにしようか、あれにしようかと僕に見せてくれた。
「これね。人魚の涙を表現してるんだよ。」
見るとネックレスで、ホントに涙のように滴のカタチをしていた。
高島屋の1階にジュエリーショップがあり、妻のお気に入りはAHKAHだった。
「これ、見せて下さい。」と妻はショーウィンドウの先にあるネックレスを指さして言った。
店員は、布の手袋をしていて、触ると砕け散りそうな涙のカタチをしたネックレスをそっと手に取ると、妻の前に差し出した。妻は胸元に当てる仕草をして、磨き上げられた銀色の鏡を眺めた。
妻の瞳がショーウィンドウの光を受けてキラキラと光っていた。
最後の誕生日
「もうすぐ誕生日だろ?何がいい?」
毎年のように、欲しいものをプレゼントするのが妻の誕生日だった。それに妻のお気に入りはミルクレープだったので、ホールでミルクレープのケーキを買う予定でいた。
名古屋発祥のケーキ屋で、HARBSといった。なんばパークスに入っているので、高島屋でアーカーで買い物した後に、ケーキを買いに行けばいい。
そのハズだったのだけど、
「今、AHKAHの新作に欲しいものがないからいい。」っと、妻は僕の顔も見ずにいった。
「え?誕生日プレゼントだよ。」
と僕は聞き返したが、妻はやっぱり同じ言葉を言った。なんだか胸の奥に何かがつっかえたような気がした。誕生日という日にプレゼントが無い事に、なんとなく言葉に出来ない息の詰まるような、居心地の悪さがあった。
結局、その年の妻の誕生日プレゼントは無かった。
妻が出てゆく2か月前だった。
今も続く誕生日
「どうしたらいいのかわかんないんですよ。」
僕はカウンセラーの高田さんに相談していた。彼女はしばらく考えいるようだった。
だいたいこのカウンセリングは、夫婦ペアになってカウンセリングを受ける。男性の曜日と、女性の曜日があり、カウンセラーは夫婦の状況が良く理解できる立場にあった。
だからこそ、こうしたらいいとか、ああしたほうがいいとか、適切なアドバイスをしてくれ、夫婦一緒のカウンセリングの時も間に入って、夫婦の摩擦の間に入ってゆくことができた。
しかし、僕の場合は、僕ひとりの参加だったから、カウンセラーの高田さんは妻の状況がわからない。だから僕の問いにどうしたものかと考え込んでいる。
「もうすぐ誕生日なんですよ。だから誕生日プレゼントとして、いくらか振込しようと思うんですけど、やっぱりこれって相手にすれば重いもんですかね?」
僕も妻の状況がわからない。今、どんな気持ちでいるのか、どんな生活状況なのか、どんな精神状態なのか、全くわからない。妻の誕生日を祝う気持ちはあるが、それをカタチにして良いものなのか、決めあぐねていた。
妻が何者になってしまったのかわからない。去年のようにはいかないのだ。誕生日というものが、これだけ冷たい響きを持つのものかと、僕はため息をついた。
「でもねぇ。お金はあっても困らないと思うのよ。」
と高田さんは短く答えた。結局、高田さんのこの言葉で僕の選択は決まる。
妻の誕生日ごとに僕はお金を振り込んだ。のれんに腕おしということわざがあったが、まさにそれで、スマホから振り込まれる数字は、なんの手ごたえもなかった。
残高が減るのを確認して、「あぁ、振り込まれたんだな。」と思うだけで、なんの温かみもないスマホの中だけの誕生日だった。
そんな誕生日が、今年で7回目になった。
変わるものと変わらないもの
新店オープン
今日は新店舗オープンの日だった。息子の初めてのバイトリーダーとしての勤務になる。
うまくやれたんだろうか?
旅行の途中で服を買いに来る外人客、旅行終わりに免税店で服を買いにくる外人客。日本は楽しかったな。メシも旨かった。お土産も買ったしな、飛行機に乗る前にちょっと店を覗いて帰るか。外人客でも意識がだいぶ違うだろう。
無双できたんだろうか?
僕はスマホを取り出し「無双できましたか?」とLINEで送信した。まだ時計は20時だったので、まだ働いている。仕事が終わって、駅に向かう道すがらで息子はスマホを見るだろう。その時の息子の顔が目に浮かぶ。
繋がり
中山(仮名)さんが出勤してすぐに僕に言った。
「旦那さん(ジェンダー言葉だけど中山さんの価値観を尊重して表現を残す)が主任の投稿見て笑っていましたよ。」
「え?なんで。なにか面白い投稿したかなぁ。」
「安土城跡に行って来たんでしょ。YAMAPにアップしたのがツボったと主任に伝えといて、って言ってましたよ。」
中山さんは夫に連れられて山に良く登るらしかった。山登りのアプリでYAMAPというのがあり、僕をフォローしてくれていたので、僕の安土城の投稿を見たらしい。
そんなツボにハマるぐらい面白い投稿をしただろうか?としばらく僕は考えたが、まったく面白い事をした覚えはなかった。
「投稿写真で再現とか、イメージとかって書いてたでしょ。最後に受付で〆たのが面白かったって言ってましたよ。」
安土城跡は、石垣などは残っていたが、当時の要塞のような面影は全くない。木が生い茂り、安土山としてそこに存在しているだけだった。だから写真を撮影して、chatGPTに当時の様子を再現して、それをYAMAPに投稿したわけだった。
「え。それって旦那さんの中で、僕の投稿を見て物語を作ったってことだろ?旦那さんの笑いは趣があるねぇ。中山さんの下ネタで笑うのとは違うんだねぇ。」
と僕は、夫婦でも笑いのツボはこうも違うのかと可笑しくなった。
しかし、こうやって反応をもらえるのは素直に嬉しかった。僕の存在をちゃんと見てくれる人がいる事が、こんなに温かいものなのかと、気持ちが軽くなった。
誕生日
僕はスタッフが帰った後のデイルームでいた。椅子にもたれてカウンターでアールグレイを飲んでいた。
先週の日曜日は、ダラダラ過ごさず、ソロツーリングに出かけて、5年ほど前の心身ズタボロだった僕に会いにいってきた。当時の安土城跡は何も変わってはいなかったが、登った僕自身はあれからずいぶんと体調を元に戻してきていた。
田畑にまっすぐに伸びる農道を走る爽快さが、たまらなく気持ちが良かった。夕陽に照らされる金色の田畑だったり、田んぼに稲が植えられて、月が反射する田んぼだったり、土の香りに包まれて心は癒された。

息子もこれからチャレンジの毎日だ。社会と繋がり刺激の毎日で、驚くほどに進化している。また次に会うと思ってもない事を言い出して、僕は驚くんだろう。それが今から楽しみだ。
そんな事を想い出しながら、誰もいないデイルームで温かいアールグレイを飲んだ。
僕の周りの様々なものが動き出している。だけど、これだけは全く動く気配がない。僕はスマホを取り出し、三井住友のアプリを立ち上げる。
冷たいスマホの画面を眺めて、妻の名前をタップして誕生日プレゼントを振り込んだ。
画面が切り替わり、クルクルと回転する読み込みが終われば、今年もそれはお終い。
すっかり冷めてしまったアールグレイを飲み干した。
