炊飯器

炊飯器を買った。

炊飯器は2019年8月に、家族がいなくなった時に、炊飯器も無くなった。

家に帰ると誰もいなかった。「どこか出かけているのかな?」と同時に、なにか空気が薄いような息苦しさが、ぶわっと通り過ぎてから、ドアがやけに軽くパタンと閉まった。

靴を脱いでる時に、足元がやけに広いのに違和感を感じて、シーーンとしている部屋に、カチカチと時計の音が響いていた。

祭りまで1か月を切っていたので、今日も僕は街を走り回っていた。太陽に焼かれた身体が火照っていて、アルコールで感覚がじんじんと麻痺していて、そのまま浴室に入り、埃まみれの身体をシャワーで洗いながらした。

髪の毛を洗い、シャンプーの泡から良い香りが弾けて、世界は水色になった。身体につたうお湯の流れが、何本もの川になり、身体の誇りや汚れを流していった。

そして、風呂から出て、乾いたタオルで身体の水分を拭きとると、毛穴は我慢していた呼吸をしだして、空気を吸った皮膚はホッとした。呼吸をするごとに、心も体も落ち着きを取り戻して、深く深く息づいた。

酔っぱらっていたから、アルコールの靄が感覚を覆っていて、まるで水の中にいるようだったが、それでも靄の中を突き抜けて、立ち上る異変に僕は気づいた。

始めは何がどうなったのか、わからなかったが、深く深く地中から、なにかが這い出てくるような不安が、僕の腹から内臓を奪い取ってゆくように、身体から生気が失わていった。

丸いがらんと片付いたテーブルの上に、小さくまとまったメモを見つけて、ぽつんと置かれたそれは、おもちゃのお金のような質感で、小さな子どもが、ままごとをしたような跡のように感じられた。

子ども部屋にいくと、スカスカのスポンジのように質量がなく、学生服も、教科書も、カバンも、学習机から忽然と無くなっていた。

そこで僕の記憶は途切れている。

あれからずっと炊飯器のない生活をしていた。

炊飯器を買おうと思ったキッカケは、なんだったろう。自炊しようと思ったのががキッカケかもしれないし、炊飯器から立ち上る湯気と米の香りを感じたかったのかもしれないし、パカっと炊飯器の蓋を開けた時の、鼻腔を刺激する甘い安心感を感じたかったのかもしれないし、甘い艶のあるコメが口に広がる触感を、幸せと重ねたのかもしれなかった。

外食の多い僕にとっては、生活に絶対に必要な炊飯器ではなかったけど、ジョーシン電気に行って、タイガーの圧力IH炊飯器を買った。艶のない黒色でコンパクトな3.5合炊き炊飯器だ。

部屋に置くと、小さいながらも幸せが詰まっていそうだった。家にある晴天の霹靂という無洗米を入れて、水を浸したら、白く濁り、何度か注ぎなおしたら米が見えてきた。まるで川底の魚を見つけた時のように、些細な事だけども、確かにそこにはワクワクした何かがあった。

炊きあがった時、蓋を期待に満たして開けたら、やっぱりパカっと音がなって、ぷっしゅーと蒸気が頬を撫でた。甘いお米の良い香りを想像したたのだけど、新しく納車された車のような清潔感だけの臭いに、膨れ上がった期待は、みるみるうちに萎んでしまって、茶碗によそって、口に運んだけど、やっぱり美味しいとは感じなかった。

お米を食べた瞬間の、ほくっとする感覚、舌が感じる触感、鼻に抜けてゆく甘い香り、ほっとする安堵感。うまくいえないけど、なにかが足りなかった。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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