夢を見た
これは夢の話なのだけど、ボクはひとりパートナーへの謝罪文と覚書を書いていた。内容はたぶんお酒を辞めて真面目に生きるといった内容だったと思う。
内容はさして重要じゃなくて、心の底からパートナーに謝罪して今を受け入れている心境だったことが良かったと思う。
不安な気持ちもなく、パートナーをありのまま受け入れて、そして自分が自分自身をそのまま受け入れていた。その心境が「幸せ」の正体だと思う。
穏やかな気持ちで謝罪文と覚書を書いていると、子どもたちが帰ってきた。ゆったりとカーブを描く白い道から子どもたちがはしゃぐ声が聞こえてきて、そしてボクの傍に来て遊ぶ。
その後、子どもたちが通ってきた白い道からパートナーが歩いてくる。ゆっくり近づいてきてボクの前に来た時、ボクはパートナーに泣きそうになりながら云った。
「迎えにきてくれたん」っと。
「戻ってきてくれたん」じゃなくて「迎えにきてくれたん」とボクは云ってた。たぶんココじゃない何処かでまた一緒に暮らすために「迎えに来た」とボクは感じたからそう云ったのだろう。
この時、ボクはホッとした心境で安堵に包まれていた。パートナーは少し怒っていたが「あんたはホントに・・・」と少し呆れて、少し怒った表情をして、そして「しゃーない」と受け入れてくれていた。そんな彼女は温かかった。
そして、幸せに包まれながら目が覚める。
夢だとわかって少し残念に思ったが、ボクはそれでも幸せだった。布団の中でなぜ幸せなのだろう?と考えた時に「受け入れる力」が備わってきたのだろうなと感じた。
いつも夢だとわかった途端にブルーになるのに、今朝はそうならなかった。幸せな余韻が残っていた。たぶん現状を受け入れる事が出来てきたのだと思う。
コントロールを手放すこと
人には欲がある。世界をコントロールしたいという欲。今、ロシアのプーチンが戦争を始めて野望を実現しようと躍起になっているが、あれもコントロール欲だ。ソビエト連邦時代にスパイ活動をしていたプーチンが夢描いているロシアの在り方を押し付けようとしている。戦争という暴力をもって人権を踏みにじっている。
欲がある限り人は不安に襲われる。手に入れたものも、これから手に入れたいもの、自分の手からするりと無くしてしまう不安に襲われる。
そして人は不安と戦い始め、内なる不安と向き合い抵抗する。そして自分の外に向けてコントロールしようと干渉を試みる。この欲という原動力が幸せになれない元凶じゃないかと思う。
パートナーはどこかに行ってしまった。子どもたちもどこかに行ってしまった。ボクの元を去っていった。その現実をボクは今まで受け入れられずこの2年半ぐらい苦しんできた。次第に諦めの境地に至りつつも、それでも苦しんできた。一緒に居たいとコントロールしようともがくから苦しいのだ。
最近、特になんの心境の変化もないが、カウンセリングを通じて「最新の暴力の定義」に対する知識が身について、あれこれと考えめぐらせながら生活をおくっているうちに、知らず知らずのうちに他者と自分を切り分ける術を学んんだ。このポイントは大きいのだと思う。
他人の問題や課題に干渉しない。自分の問題や課題に他人を巻き込まない。相手の選択を受け入れ、ありのままの自分を受け入れる。
不安が薄れてゆく
すべてを受け入れる力が備わってきたことで、なんとなく不安が消えて、なんとなく心理的安全が訪れてきたのだと感じている。
夫婦喧嘩の些細な言い合いから、パートナーへの期待や不満など、ありとあらゆるところにコントロールへの欲が潜んでいる。だから喧嘩するのだろう。小さな衝突から大きな衝突まで関係なく、怒りの源流にはコントロールへの欲が存在して失う恐怖がある。
これが不安を呼び覚まし、一緒にいても苦しくなる。
日々の暮らしに介在する「苦しみ」を見過ごしながら、コントロールへの欲だけが目につく。自己主張が強ければ強いほど苦しみは増してゆく。苦しみに立ち向かうために怒りが湧き上がる。怒りという感情を使い他者を攻撃する。ここに心理的安全性はない。
攻撃する方も、攻撃される方も心理的安全性がない。
幸せとは縁遠いところで関係を続ける事になる。
これは職場でも一緒で、今ボクの部下に我の強い人が責任者で座っている。彼女を見ているとよく分かる。自分が正しいという心理。自分は間違っていないという心理。自分が正義という心理。自分の実績を誇示する心理。自分はもっと認められるハズだという心理。認められて当然だという心理。こんなハズじゃないという心理。
そんな不安から生じてくる攻撃性が、他者の心理的安全性を脅かし、現場に緊張感が漂う。一緒に働いていて「しんどい」という。
誰しも正しい事をしていると思っている。それはそれでいい。ただ他者にそれを押し付けようとすると互いに心理的な安全安心を失いしんどくなる。
まずは受け入れう事だと思う。今を受け入れ、自分を受け入れ、他者を受け入れ、そして受け入れきってから出来る事をする。出来なかったらしゃーない。
幸せは他者にはあらず、自分の中にある。