お誕生日おめでとう@2022 Good luck to my doughter

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お祝いメッセージ

昨年は鬼滅の刃を正月一気見してて「竈門禰豆子」が君に似ているという話をして、それからリベラルアーツで物事を多面的に見るべしという話をしたと思います。

なぜあの話をしたかというと、パパは幅広く物事見る事ができません。一点集中の人間です。

物事が上手く回っている時は全く問題はないんですが、大きなトラブルに見舞われた時に初動や立ち上がりに時間がかかる人です。そしてこれではこれからの多様性の時代に、自分を活かす事は出来ないし通用しないと思ったんです。だからパパと似ている君に同じ苦労をしてほしくないなぁと思ってリベラルアーツの話をしました。

たとえばこのタロットカード。これはカップの4のカードですが、男性は前の3つのカップを見ています。横から神の手が別のカップを差し出しています。男性はそれに気がついていません。男性の表情を見ると考え込んでいる様子です。カードの解釈は別の考え方があり打開策があるにも関わらず、自分の考えに固執していて他のチャンスに気がついていないというわけです。

自分の考えに固執せず、多様な見方が出来たならば神の手が差し出すコップに気がつくハズなんです。自分の考えに固執してしまう事は、自分の将来をもつぶしてしまうリスクがあるのだと感じています。

ライカー副長
ライカー副長

もっと広い視野で物事を捉えろ!っていうわけです。

リベラルアーツで多くの学問を学んでいたら、学んだ学問の数だけの見方が出来たりします。なぜなら学問特有のアプローチがあるからです。

  • 哲学は本質を解き明かす事にある。
  • 倫理学は道徳の概念によって物事を見定めること。
  • 美学は感性で物事をとらえること。
  • 神学は神をはじめとする宗教概念で理論的な思考をする。
  • 心理学は心と行動から現実を捉える。

例えば生物学。ダーウィンの進化論を学んでいれば、「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」という学びがあります。

自分の価値観に固執する事なく、新しい変化を受け入れる事が時代を生き残る道だという発想が芽生え、神の手が差し出すコップを積極的につかみにいけたりするわけです。

意識が変われば行動も変わります。そして実行に移す事が出来る。

  • 生き残るために
  • 今の自分を手放し
  • 新しい自分を得る

だからパパは思うんです。ママの生き方は素晴らしいと。

社会行動心理学を学んでいたら、人の判断や行動は、社会活動に影響を受けているという事がわかってきます。すると今自分がこだわっている考えは、自分から発したものではなく、他者に影響を受けたものだという事が理解できてきます。すると正しいとこだわっていたものは確固たる絶対的なものではないという意識が芽生えてくる。

正しい間違っているなんてあやふやなものだ。だから自分の考えに固執して、相手を理解しようとしない事に意味があるのか?

正しい間違っている思考。ゼロサム思考。白黒思考。二者択一で物事を捉えていると「どっちが正しいのか?」という視点で物事を見る事になってきます。この考えでは対人関係は「対立」を生むことになってきます。

対人関係は「対立」でみるのではなく、「発展や成長」で捉える事のほうが意義ある事だ。この大切さがわかってくれば、他者に影響を受け形作られた自分の価値観に固執することなく、他者視点でもって「傾聴と共感」することを強く意識するようになります。

他者の苦しみを想像力で補完しながら、他者の苦しみに寄り添い生きる事ができたりもする。

パパはこの発想が乏しく、この年で人生の基礎から崩れ去りました。タロットカードでいう大アルカナ16番「塔」のカードです。神の怒りに触れて塔に落雷があり、おごり高ぶった人が落ちてゆきます。これがパパです。

崩れ去った瓦礫の中でタロットカードでいう大アルカナ9番「隠者」のことく、自分を見つめ直した結果、自分に根付いた価値観を知り得る事ができました。

今まで見えてなかった自分を俯瞰で捉える事ができたので、「自分の価値観をひとまず脇におく」ことに取り組み始めて、新しい価値観を創造するために、リベラルアーツで多様な見方を身に着ける事ことを始めていたりします。

ここまで2年かかっていますが、あらゆる本を読み、他者の意見に耳を傾け、自分と違った価値観に触れる事で、自分の幅を広げて、今なお押し広げようと思っています。新しい自分を創造してゆくのは面白い。

自分の専門分野を軸足を置きつつも、浅く広く知らない分野の勉強をして、多様な見方や思考プロセスを身に着けてゆく。これこそが君の生きる「多様性と個の時代」の在り方、自分の活かし方なのだとパパは思っています。

ボクにとってはいつまでも君はパパの子どもであり、親として何が出来るのか?なんて事を考え続けていたりします。

ライカー副長
ライカー副長

親子の定義も多様性なのですよ。

ちなみに今主流の生物学を基礎とした親子の概念は、実はカトリックなどの宗教思想からきていたりします。当たり前すぎて思考さえ及ばない事も、知らない人の影響や意図が浮かび上がってきます。「神学」の影響を色濃くうけていたわけです。カトリックにとって都合が良かったのでしょうね。何かの影響を受け作られた考え方で、しかし押さえて置くべき大切なことは、これも単なるひとつの考え方や見方でしかないという事です。

だからボクは世の中の社会的なルールや考え方や価値観に、盲目的に従うのはやめました。

ボクはボクなりの物の考えをリベラルアーツで創造してゆこうと思ってます。そして確固たる揺るぎない考えがあります。それを伝えて終わろうと思います。

君がボクをどう思おうと無条件で君を愛し、健康と幸福を祈り続ける事が、親の在り方だとボクは思っています。それこそが親の在り方なのだというボクの学問です。

君の健康を祈っています。君の幸福を祈っています。娘よ。お前はパパにとって特別な存在だ。自分を活かしてどんな時も命を輝かせろ!

君はスロースターターであるが、きっと君の現実に光があると信じています。

娘よ検討を祈っている。

Youtube

参考

[blogcard url=https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjcanth/75/4/75_KJ00007225571/_pdf]

[blogcard url=https://tarotfeel.com/]

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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