カウンセリングに通って2年

ちょっと今日は備忘録として・・・

今、カウンセリングが終わった。非暴力コミュニケーションを学ぶカウンセリングが終わった。改めて思う。DVは夫婦の問題じゃなく個々の抱えている問題に直結する。個の問題であったりする。

例えば夫婦のケンカ。寒いからストーブを付けろやら消せなどから始まったケンカで「怒鳴る」という威圧で相手をコントロールしようするDV。相手の自由を奪い支配するという暴力行為。そして言い訳する甘さ。暴力を正当化する根本にあるのは・・・

相手に厳しく自分に甘い

離婚調停中で平等性を訴える夫。パートナーの訴えが感情的なものだと思い不満を抱く。法律的に公平さを訴え調停交渉をややこしくしてゆくケース。根本にあるのは・・・

自分にとって何が大切かを見失って迷走する

円満調停中なのに相手の訴えに高飛車に出て、相手の訴えを退け、円満への道のりは遠のいてゆく調停。根本にあるのは・・・

ジェンダーな男尊女卑の価値観が邪魔をしている

今日もいろんな話が出てたが、過去のボクを振り返れば同じ事をしてパートナーとの関係を悪化させてきた。

関係を悪化させてきたのに「ボクは真面目にやってきた」っと感じるのは、真面目に社会的な価値に沿ってきただけで、パートナーと一緒に仰ぎ見る価値には一切見向きもしなかった。根本にあるのは、一般常識に縛られて、彼女を個として見れていなかった。

改めて考えてみるとたぶん彼女は一緒にいたかっただけだなんだと思う。夫婦一緒にいるという唯一絶対の価値がボクたちの価値だったのに、社会的価値を追い求め、一般常識だのなんだのとパートナーの気持ちを無視して自分の考えを押し付けてしまう。

こう見てゆくとDVというのは、自分でも気がつかないうちに進行する。じわじわとしみ込んでくる。そんな性質をもっている。

DVへの関心や知識がなければ、認知する事が出来ずに、「お前が悪い」と決めつけて突き進んでしまう。そして安易な考えですべてを正当化する。関係性が悪化してきているのにも気がつかずにこう思う。

俺を怒らすお前が悪い。

参加しているカウンセリングにはそういった人達が集まってくる。

ボクは離婚をして独りになった。別に独りで生活は困らない。バイクに乗ったり、登山をしたり、一眼レフで撮影したり、動画編集をしたりしている。仕事して夜にバイクで遠方のイオンに行って、買い物をして帰って晩ごはんを作って寝る。週末になれば必ず何処かに行っている。ほぼ家にいない。

他者から見れば良い気なもんだろう。パートナーを苦しめて家族を崩壊させておいて、自分は遊びまわっているんだから。

これには訳があって、悲しみ泣き苦しむところを見せて相手をコントロールするというDVもあったりする。弱者特権といわれるものだ。弱さを見せて情に働きかけて支配をするDV。こういったDVにも気を配り、ネットと向き合っていたりする。これはDVの知識がある今であればわかること。だから悲しみや苦しみなんかは表現しない。

それに正直に云うと、近くのスーパーで偶然会うのが怖かったりもする。だから遠方まで買い物に行く。家でいると想い出の品に囲まれている。だから週末は少しでも遠くへ出かけていたりする。

独りで平気なわけじゃない。生活に困らないんじゃない。寂しいし今すぐにでも会いたい。だけど準備が整っていない。偶然会ってしまってもボクには準備が整っていない。パートナーに過去にしたことと同じ事をしてしまうんじゃないかと恐れている。ボクはまだまだ変われていない。

ボクは彼女に寄り添えるよう人間になれるんだろうか。今できる事を積み上げてゆくしかない。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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