1859年に「種の起源」を提唱したイギリスの自然科学者。チャールズ・ダーウィンの誕生日。
生命はどこからきたのか?
この世のすべては神が創った。最初は光を、海と大事、さらに植物に動物。最後に人間をつくった。
当時は神が創ったものなので、不変なものだと考えられていました。
疑問その1
神が創ったのであれば、なぜ絶滅種がいるのか?なぜわざわざ絶滅させる種をつくったのか?つじつまがあわない。
その説明は宗教的に納得させられていました。「ノアの箱舟」で、神は一度善良な民と種を乗せて、悪い人間たちを大洪水で滅ぼしたのだ。そして神はもう二度と生物を滅ぼさないと約束した。
それでも説明がつかない絶滅種
1700年ドードーという鳥が絶滅しました。飛べない鳥で人間の開拓のせいで絶滅した。ノアの箱舟で残したハズのドードという鳥が絶滅した。神が選別した種を絶滅させた。これはどう説明するんだ・・・。
進化など証明されていない時代。すべて神の所業で説明されていました。そこに触れる事すらタブー。神を否定することに繋がるからです。
ダーウィンの歩み
ダーウィンは父の後を継いで医者になるハズであった。医学に馴染めず、エジンバラ大学を中退して、ケンブリッジ大学へ入学。牧師を目指す時す傍ら自然科学を追求してゆくことになります。
出会い
ここでヘンズロー教授と出会う事になる。牧師や学校を作ったりと活動してゆく彼との出会いが、この後のダーウィンの人生を大きく動かすことになります。
ダーウィンが3年の測量調査に誘われました。ヘンズロー教授の後押しもあり、イギリス海軍ビーグル号の世界一周測量調査に同乗し調査に乗り出すことになります。ヘンズロー教授の後押しがなければ、ガラパゴス諸島にも行っていなかったでしょう。
多くの種の観察
ビーグル号は南太平洋を南下して、ブラジルに到着する。アマゾンは地球上で最も多種の生物が生息していてその数は数百万ともいわれている。
絶滅種との違い
アルゼンチンに到着する。ここで化石の採取。絶滅してしまった化石を多く採取する。ここで疑問が浮かぶ。生き残る種と絶滅する種の違いはなんだろう?
大地は神が創ったものではない証拠
チリに到着し、アンデス山脈横断の調査をおこなった。貝の化石を発見する。当時は山の上で貝の化石を発見する事は大発見でした。海の底だかった地面が一定の方向に押上げられているとわかり、大地は聖書にあるように創造されたのではないと、そして地球の歴史は今考えられているよりはるかに長いという事がわかってきた。
進化という
ガラパゴス諸島に到着する。イグアナや亀、鳥など島それぞれで微妙に違っていた。エサを食べるのに適した姿になっていた。
ガラパゴス諸島は火山の噴火で出来た新しい島。生まれたばかりの島なので生物がいない。風で運ばれた種子が根付き、渡りついた鳥が生息し、流れ着いた木々につかまって爬虫類が生息する。
大きな海で隔たれたガラパゴス諸島には哺乳類はおらず、天敵のいない地で限りある資源を食べて、大陸とは違う多様性のある進化がみてとれた。
ここで生物は神が創ったものではなく、環境に適応し「進化」した概念ができたのです。
ある論文との出会い
トマス・マルサスの「人口の原理に関する一論」に出会い考察を深めてゆく。
人口は雪だるま式に増えて、食糧難の危機に陥る。その時に人口調整が行われる。限りある資源を奪い合う戦争。戦争に負けて資源を持たない国の飢餓。栄養状態が悪くなり疫病が流行る。戦争、疫病、飢餓、そして災害で人口調整が行われるという。
この論文から考察すると、人間よりも自然界では常に弱肉強食が行われている。生存をめぐる争いがあり、有利な個体差・変異をもったものが生き残り、その子孫たちは有利な変異を受け継いで繁栄してゆく。この変異性が絶滅する種と生き残る種をつくり、環境によって有利か不利かが決まる。
ダーウィンの進化論
変異は方向性を持たず、絶えず変異している。その変異は優位性を勝ち取るために変異をしているわけではなく、単に変化を繰り返して多様な種を作り続けている。
結果、多様な種が生まれるなかで、たまたま生きる環境下で有利・不利な個体になる。有利な個体は生き残る確率が高まるので、その変異を後の世代に伝える事が出来る。結果的に生き残る種となる。
ダーウィンの進化論の誤解
誤解されているのは、ダーウィンの進化論が次のように紹介されているケース。
「生き残る種は、強い種ではなく、賢い種でもなく、自然に適応するために変化する種である。」
これは結果論から見ればそうなるけど、自然に適応するために変化したのではない。変化した種がたまたま自然に適応出来ていただけであり、違う変化を遂げた種がたまたま自然に適応できない種であっただけである。