6月16日「和菓子の日」

昭和54年全国和菓子協会が制定したそうです。

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由来

848年仁明天皇が元号を嘉祥と改めました。この時にご神託にもとづいて6月16日なので16個の菓子をお供えして疫病退散を行った。

有名人と和菓子の関係

ここからは和菓子にまつわる逸話を紹介します。

豊臣秀頼とのし柿

豊臣秀吉の嫡男。6歳で父を亡くして、大坂の陣で自害に追い込まれてしまいます。その時23歳の若さでした。

豊臣秀吉が先が長くないと悟り、秀頼を諸大名との人脈をつけておこうと考えました。毛利輝元を京都の伏見城に招きました。その時秀頼は5歳。秀頼は輝元にのし柿を贈ったとあります。

長曾我部元親と砂糖

土佐の戦国大名。天正8年に織田信長に砂糖を献上しました。当時の砂糖は輸入品でありかなりの高級品でした。高級品を織田信長に献上してまでも友好な関係を築きたかったのです。

四国統一を目指す長曾我部元親は、現在の徳島・香川を支配していた三好氏を滅ぼそうという勢いでした。三好氏は織田信長に救援を求めて軍門に下るわけですが、それを阻止したかった思惑がありました。

この砂糖外交は失敗におわり織田信長と敵対する関係になり、長曾我部遠征軍が大坂に集結しつつありました。その時に明智光秀が本能寺で謀反。織田信長の世が終わります。

長曾我部元親は本能寺の変に救われたということです。

14代将軍徳川家茂と葛水

御三家の紀州藩主を3歳で務め7歳の頃にはペリー来航という激動の時代の将軍です。

1865年長州藩討伐のため大坂にて陣頭指揮を握っていました。一橋慶喜が大坂に入ったので登城するだろうと、一橋慶喜のために葛水を用意させたということです。

ただ一橋は登城しなかったので葛水を家臣たちに振舞ったと伝えられています。

高杉晋作と越乃雪

長岡藩主牧野忠清が病に臥せりました。その時に越乃雪という和菓子が贈られたそうです。その和菓子が病の治癒になったかは定かではありませんが、病が治り大いに喜んだとされています。

越乃雪が病を治す薬と噂になり、高杉晋作の療養先に贈られたといわれています。ただ高杉晋作は自らの死を覚悟していて、この冬まで命がないのでこの越乃雪で雪見をしているのだと云ったそうです。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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