旅行3日目で白骨温泉でいた。白骨温泉といえば、湯の質は白いにごり湯のハズだったが、何年かの前の地震の影響か、すっかり透明になってしまっていた。
期待していただけに、残念。白骨温泉を後にして、松本のほうへ車を走らせた。
「アクセルを踏んだり、緩めたり、グラデーションをつけろよ。自分の感覚を信じろ。」
前日の息子の運転を知っていたから、教習しないといけなかった。この先、息子は運転しないわけにもいかないので、カーブでのブレーキ操作やハンドル操作を繰り返し練習して、快適で安全な運転を身につけさせようと思った。
「おっけー」といつものように、息子らしい軽い返事が返ってくる。僕が隣で運転について細かく指導すると、たぶん息子は嫌がるだろう。イライラもするだろう。だから少しやり方を考えた。
「ブレーキを使わずに、手前からアクセルを離す。離すのも急に離すんじゃなくて、車のスピードを感じながら調整しろよ」と、僕は助手席から運転している息子に言う。カーステレオからは、息子の好きな曲が流れている。「ほーい」と息子が返事をしながら、車は走っていく。
何度かカーブを曲がるうちに、最初はブレーキで減速するたびにカクカクしていた車も、次第に安定して走るようになった。
「そう、それだよ」と僕は言った。「いい感じだ。その調子。お前、飲み込みが早いな」と息子を褒めた。
感覚的に息子の性格をつかんでいたので、たぶんこんな感じでいいんだろう。息子に何かを教えるときは、できることをやらせる。のびのびやらせる。自由にやらせる。出来たら褒める。これがたぶん最適解だ。
以前、息子が北海道に修学旅行に行って、そこでスノボをするという話を聞いたので、「じゃあ、練習がてら伊吹山のスキー場に行くか」と誘った。いつだったか、正月だったか。そうだ、あれは正月だ。初日の出を車の中で見たんだから。
そのとき、息子はまったくスノボができなかった。体が山側を向いていれば滑れるんだけども、そこからぐっと回って谷側を向くと、途端に転んでしまう。
僕は「エッジを効かせるんだよ」「後ろの方に体重を乗せて」なんてことを繰り返し説明していたが、息子は一向に感覚をつかめなかった。どうも言葉で理解するのは苦手なようだった。
そのとき息子が出来る事といえば、山側を向いて滑ることだったので、「もうそれでいい。お前、それで滑れるんだから。好きなように、とりあえず滑って体で覚えろ」と指導方針を変えたら、スイスイと滑れるようになった。
出来ないことを指摘すると、途端にやる気を失う。だから「もう帰ろう。スノボは向いてないわ。」とか言い出す始末だった。リフトに一回乗っただけで「帰ろう」だなんて、なんて諦めの早いやつなんだと思ったが、出来る事をやらせると面白くなって、「次、行こう。次、行こう」と気持ちが切り替わった。
あれと同じだ。
安曇野ちひろ美術館に着いたときには、もう運転はうまくなっていた。これでママを乗せても酔わないだろう。
いわさきちひろ
安曇野ちひろ美術館に来たのは、絵本に興味があったからだ。創作する人がどういった感性で描いているのだろう。作品に触れることで、何か創作のヒントを得られるのではないかと思い、訪れたのだった。
入ると、そこは温かな木の建築で、中庭があった。大きな一枚ガラスで外の光をふんだんに取り入れていて、とても明るい美術館だった。


展示室に入ると、さすがに太陽の光は遮られるような造りになっていた。作品を柔らかなライトの光が照らし、ちひろ独特のタッチ、絵の具のにじみや、輪郭をあまり描かない優しい絵がずらりと並んでいた。

作品を見ているうちに、彼女はどういった人なんだろうと、その内面に興味が出てきた。絵に添えられた説明書きを読んでいると、どうやら望まない結婚をしていたようだ。大正生まれなので、見合い結婚なんだろう。ただ、一回目の結婚は夫の自殺によって終わりを告げた。
自殺をする感覚は僕にはわからない。離婚を経験して、自分の土台がぐらぐらと揺れ始めたときは、生きている心地がしなかった。マンションの屋上から下を見たときに、このまま落ちてしまえば楽だろうか、といった考えが頭をかすめたこともある。
それを思い出すと、この一回目の結婚がどういったものだったんだろうと、想像してみたのだが、普通ではなかったんだろうなということは感覚的にわかった。
それに、望まない結婚を強いられる環境だったから、自分自身は何者なのか、自分の人生はどこへ向かっているのかと、自分自身との対話を、他の人に比べてたくさん重ねたんだろう。
二回目の結婚は貧乏暮らしだったようだ。夫は弁護士を目指して勉強中だったということもあり、ちひろは自分で家計を支えなければならなかった。だから、絵で生計を立てようと必死に描いたらしい。
この頃に一人息子が生まれたが、お金がないので実家に預けたと書いてあった。かわいい息子と離れ離れの生活で、少しお金ができると息子に会いに行ったらしい。その頃の原稿の裏に、メモのような日記が書かれていた。
会いに行って、愛しきわが子に会う。そこからまた帰らなければならなくなったとき、「汽車の窓を涙でびしょびしょにした」と表現されていた。
全部を記憶できていればよかったのだが、写真撮影が禁止だったために、「汽車の窓を涙でびしょびしょにした」という表現だけが印象に残っている。泣いている自分の姿を汽車の窓に投影する表現が素晴らしいなと、感銘を受けたわけだ。
全文をネットで探しても見つからなかったので、またちひろ美術館に行き、全文を読もうと思う。
ちひろは55歳という若さでこの世を去っている。たぶん、このときも息子と別れなければならないという深い悲しみが押し寄せてきたのだと思う。
丘の上に立つ一本の木
このちひろ美術館に行ったとき、堀文子という画家なのだろうか。いわさきちひろとの関係はあまり詳しくないのだが、この堀文子さんの絵にも、感銘を受けた一枚があった。

彼女は身近なものを絵にするということで、道や木などを描いている。その数多く描かれた木の中で、この一枚がとても印象に残った。
突風だろうか。かなりきつい風が吹いているのが想像できる。ただ、その木は横殴りの風の中でも、じっと大地に根を張り、ひたすらに耐えている様子がうかがえる。
実際、何をやってもうまくいかないことがある。どう動いてもうまくいかないんだ。やることなすこと裏目に出て、状況はどんどん悪化していく。そんな状況にひたすら耐える。台風が過ぎ去るまで、ひたすら耐えてやり過ごす。僕の人生のなかで離婚してかの2~3年がそんな時期だった。
そんな印象を持った絵だった。
離婚をして、僕はひとりぼっちになった。アイデンティティを失って、親でもなく、夫でもなく、役割がなくなってしまって、自分が何者なのか見失ってしまった。
どん底の中でもがいて、もがいて、苦しんで見つけた自分らしさ。役割を捨てて、自分というものを見つめ直して。そこから自分らしさを育ててきた。
そこから僕の人生は始まったようなものだ。
そうすることで、自分にとって何が大切なのか、少なくともあのときよりも見えている。そして、言葉にもできる。
あのときの苦しさを経験したからこそ、この絵が訴えかけてくるメッセージを、僕なりに受け取ることができた。
全部に色をつけなくても
ちひろがキエフの街をスケッチしたものが展示されていて、すべてのところに色がついているわけではなかった。絵を描いたら、すべてのものに色をつけたくなるようなものなのだが、いわさきちひろの物の見方、世界の見方が、ここにも現れていた。印象に残ったものに色をつけるのだろう。

そう思うと、僕にも、見たい事実しか見ない、見えていない、といった癖がある。人はそれぞれ都合のいいように解釈するものだが、まさにそういった人の心理をこの絵に見たような気がした。
いわさきちひろがそれを意図して表現したわけではないと思う。もっと違うものを絵に込めているのだと思うが、僕にとっては、見たい事実しか見たくないというところに重ねてしまった。だから、希望は生まれるんだろうなとも思うし、偏りのある見方で自分なりの意味づけをしたところで、誰に迷惑がかかるわけでもなく、僕はそれでいいと思う。
そのときの自分が救われるのであれば。
小説でも同じだ。すべてを書き切ろうと思うと、テーマがぼやける。必要な部分だけを書けばいいのだけども、僕の場合はどこかで脱線してしまう。書いている最中に、ふと閃きが訪れて、当初の目的地とは違うところへ書き出してしまうのだ。
このエッセイでもそうだ。これも話しておかなければならない。いや、これもそうだ。いや、ここも書き足そう。そして、情報量がパンパンになってくる。
情報量が多ければ多いほど、人に伝わるわけでもない。印象に残る一文をそこに投げかければ、確実に相手に何かしら届くものがある。
だから、この絵の描き方には少し思うことがあった。
流行に流されない
およばずながら、わたしも長い生命をもった、童画家でありたいと思う。
さざなみのような画風の流行に左右されず、
何年も読み続けられる絵本を、
せつにかきたいと思う。
もっとも個性的であることが、
もっともほんとうのものであるといわれるように、
わたしは、すべて自分で考えたような絵本をつくりたいと思う。
この詩を読んだとき、息子が言っていたことを思い出した。
「僕は流行りとか、そういったものには興味がないんだよ。刺さる人にだけ刺さればいい。そんな服を作りたいんだ。本当に小さな小さなコミュニティで、コアなものを作って、欲しいと思う人に買ってもらえればいいんだ。」と言っていた。
ちひろさんと同じことを言っているような気がして、創作に関わる人が忘れてはいけない事なのだろうなと感じた。
ちひろさんは絵本作家でありながら、エッセイストでもある。詩を書いたり、自分の感性をいろんな形で作品として残している。それがたとえメモ書きであっても、彼女の言葉が誰かに響いていく。ちひろさんの想いに共感した人が集まってくる。それが創作者として大切なことなんだろう。
僕もそうありたいなと願うが、自分の言葉を掘り起こすのに必死だったりする。そして、インターネットやSNSなどから情報がなだれ込んでくるので、脇見をしてしまったりするわけだ。気が付くと軸がブレていたりもする。
今はAIというものができて、小説の書き方もだいぶ変わってきているようだ。僕の小説はAIを使わず、昔ながらの方法で書いているのだが、小説の公募にも「AI小説」というジャンルがあるそうなので、いろんなものに手を出してみてもいいかなと考えた。
この時点で、僕は流行に流されているのだろう。
堀さんの描く根を張った木のように、自分の軸をしっかり持つこと。ちひろさんのように、流行に流されず、自分の画風を突き詰めていく姿勢をもつこと。
今日は、いろんな刺激を受けた一日だった。
とにかく、9月30日が締め切りの小説は、あともう少しで完成というところまでこぎつけているので、まずは一作、頑張って書き切ってやろうと思う。