穂高は西穂高、奥穂高、前穂高と3峰でなっている。新穂高ロープウェイから登れば、西穂高につく。そこから尾根つたいで奥穂高へ行けそうだ。
今日は上高地を観光しながら、登山口を探してみよう。上高地からは前穂高へ行けそうなんだが、詳しくは調べてみないとわからない。ただ現地を見ておくことで、情報だけではなく映像として思い浮かぶ。これが行動への敷居を低くしてくれる。
息子に委ねる
上高地へ向かう車のカーステレオからは高速テクノが流れている。息子がノリノリで運転している。道がカーブを描いているのに、いっこうにスピードを落とさない。カーブに突っ込んでからブレーキを掛ける。重力が前にかかり、右へ左へと横揺れが加わる。
「揺れをなんとかしてくれよ。」と僕は言った。
「えー 気合いれろよ。黙って乗ってたらえーねん。」といつもの調子で言う。
「カーブの手前からアクセルを弱めろよ。それだけでエンジンブレーキでスピード落ちていくんだぞ。」
「文句いうなよー、乗せてもらってるんだろ。」と下手くそな運転で生意気を言う。
「ママが乗ってたら、完全に白目剥いて倒れてるぞ・・・」と僕は、頭が痛くなってきた。息子の運転はバイクの運転そのものだった。

車が駐車場に着いた時には、解放されたと感じた。運転しているほうはいいだろうが、こっちはヒヤヒヤして神経がすり減っている。かなりの消耗戦を強いられた。
「ここからバスが出てるハズだから」と息子は事前に調べた計画で、ちゃきちゃき動いた。だけど僕は不安になる。息子の計画は穴が多すぎるからだ。バスに乗ろうと思ったら予約制で乗れないというパターンも考えられる。心底信用できずに、不安のまま息子の計画に従った。
無事にトラブルなく移動出来たので、ひと安心だ。
上高地は国有林なので自家用車では入れない。周囲の大型駐車場からシャトルバスで入る。着いたところは大正池だ。有名なかっぱ橋のある上高地バスターミナルまで一気に行けるのだが、森林の中をウォーキングしながら行くほうが楽しいだろうということで、大正池で降りた。
大正池からかっぱ橋まで5㎞ほどだから、60分ほどで着くだろう。そこからさらに奥にある明神池までさらに5㎞だから、順調にいけば2時間で目的地だ。帰りも2時間歩いて、おおよそ4時間のウォーキングになりそうだ。
自然を好む
「ここはさ、大正時代に噴火が起きて、桂川がせき止められて池になったところなんだよ。」と息子に説明すると、すぐにチャッピーに尋ねて歴史を調べていた。
「本当だ。立ち枯れしている木がいっぱいあるらしいんだけど・・・。立ち枯れしている木は何処にあるの?」と、もう大正池の特徴をつかんだ。
「それは昔の話だよ。30年ほど前は、立ち枯れしている木はたくさんあったんだ。けど、ほとんどが倒れてしまって、新しい木々が芽吹いているんだよ。自然の回復力ってすごいよね。」と僕は言った。
本当にすごいと思う。僕が大正池に来た頃は、小学生ぐらいだった。あれからもう40年近くも経つわけだ。半世紀も経てば、環境はガラッと変わる。見慣れた大正池ではなくなった、というよりも年月が重なって変わって行く大正池を見るのが、とても新鮮だ。
水がとても綺麗だ。手をつけると20秒もつけていられない。雪解け水が桂川を作っているので、限りなく透明で、どこまでも冷たい。水深が深いところはブルーに染まっている。ここ最近の雨で、流れはとても早くなっていたが、上高地の桂川はどこまでも美しい。

大正池から歩く人は少ないと思っていた。ウォーキングする観光客が多くて、特にヨーロッパ系の外国人が多いような気がした。半袖短パンで、アウトドアを好む観光客であふれている。
台風が接近しているというのに、この日は晴れて、川の流れる音と鳥のさえずりが気分を上げてくれた。木漏れ日がキラキラと川面を照らしている。よく見ると小さな魚が泳いでいた。上高地の森林は、白い特徴的な白樺が何本も立っていて、独特の景色をつくっている。
そんな中を桂川に沿って歩いた。呼吸を深く深くして自然を愉しんだ。
流されることなく
「もうすぐお昼になるし、お昼ご飯で上高地帝国ホテルに行ってみるか。」と僕は行って、オレンジ色の屋根の、石造りのホテルへ向かった。上高地帝国ホテルと言うと、とても有名で三ツ星ホテルだ。泊まったことはないが、一度は訪れてみたいホテルだったから、この機会にと思ったのだった。


レストランに入ると、伝統のビーフカレーライスというようなものがあって、お値段もそこそこした。上高地帝国ホテルに来れば伝統のビーフカレーなのだろう。周りの客を見ると、全員が伝統のビーフカレーを食べていている。
どんなものだろうかとみんな好奇心に駆られて、伝統のビーフカレーを注文していた。息子も伝統のビーフカレーを注文する。僕はカレーライスを食べる気にもなれず、伝統であろうとなかろうと、食べたいものを注文する、というスタイルだった。
だからビーフハンバーガーアルベンローゼ風を注文した。

肉汁たっぷりのハンバーガーが、パンに挟みきれないほどのボリュームを放っていて、手で食べようとすると、途端にハンバーグがこぼれ出す。これは無理だと諦めて、添えられたナイフとフォークで切り分け食べた。肉汁があふれだす。粉チーズが絡まり濃厚な旨味が幸せを感じさせた。
「食べてみるか?」と息子に言うと、「少しだけちょうだい」と好奇心に満ちた瞳をして食べる。「旨い!」とビーフカレーを食べ腹が満たされていたハズだったが、ご満悦だった。
「ココで伝統のビーフカレーじゃないチョイスがあるんだね。」と感心して言うので、「周りのテーブル見たか?全員が申し合わせたように伝統のビーフカレーを食っていたぞ。パパはあまのじゃくなんだよ。」と笑った。
そして僕たちは、上高地で有名なかっぱ橋へ到着した。そこは観光客でごった返していた。このかっぱ橋の近くには、上高地バスターミナルというバス停があり、大体の人はここまでバスで来る。だから一気にここで観光客が増えるのだ。
かっぱ橋を渡る観光客の群衆で、今までの自然の雰囲気よりも、観光地という雰囲気が濃くなっている。この雰囲気は京都みたいで息が詰まる。ここでゆっくりとソフトクリームでも食べる気にはなれず、先を急ぐことにした。
目指すは明神池だ。

感じたままに
明神池までの道のりは、雰囲気が変わる。今まで舗装されていた遊歩道だったが、ここからは自然の道になる。登山道と言ってもいいんではないかと思ったが、踏み固められて、比較的歩きやすい自然の道になっていた。

「何これラフレシア?」と珍しい植物に驚いたり、かっぱ橋から遠くに見えていた切り立った山が、「めちゃ壮大だな。こんな近くで見ると、やっぱり山には神様が宿っているのかもしれないな」と感動したり、「笹舟つくったから、川に浮かべてみようぜ」と童心にかえったりして、身体の芯から楽しめた。



そして目的地の明神池に到着する。
予定どおり1時間ほどの歩みだった。ここの神社の境内に岩魚を食べさせてくれる店があって、それを楽しみに歩いたのに、店は14時で閉まるというオチだった。外から見ると、店の中には囲炉裏があり、そして大きな網があった。桂川から岩魚をとって、それを囲炉裏で焼くのだ。
そう考えると、これは食べておきたかった・・・。
まあいい。次の機会にとっておこう。ここは来年も来る予定にしている。その時はガチ装備で穂高を目指す。息子も登る気でいるが、来年の事はわからない。
先の事はあまり考えないようにしている。今を感じて生きればいい。明日は明日の風が吹くのだ。
おじいちゃん
帰りは違う道にした。桂川の対岸を帰り道にすると、そこは湿地帯で、木で作られた木道が整備されていた。来た道と雰囲気がガラッと変わるので、飽きず楽しかった。
息子が前を歩いている。ふと思う。「なぜ息子は僕の旅行に着いてくるのだろう?」親の旅行に着いてくる年齢でもないだろうに。「なぜ息子は帰ってきたのだろう?」「なぜ服に興味を持ったのだろう?」なぜ、なぜ、なぜ?と疑問は数多くあった。
だけど、いくら考えたところで息子の胸の内はわからない。昔は「なぜ?」とわかるまで問いただしたものだが、僕の理解の枠の中には息子はいない。娘も、別れた妻もいない。
そもそも人を理解するなんて無理難題だったのだ。
わからないなら感じればいい。会話のリズムを、息遣いを、表情を、些細な事でも感じる。わからないという余白を残しながら繋がってゆく方法を、探せばいい。
答えはひとつじゃない。

湿地帯に入れば、2本の木道になる。木道の下には透明な水が流れている。あたりの気温は低く、半そでは肌寒さを感じる。こちらの道はメジャーな道ではないので、人どおりが少ない。すれ違う人もめったにいない。道の両脇に笹が茂っていて、風が吹くとカサカサと擦れる。その雰囲気がまた良かった。
呼吸がどんどん深くなる。心の底から落ち着いてくる。仕事のことや心配事が溶けてゆく。今、一歩一歩の歩みが生きてる実感となった。

木道が途中途切れて、また続いている。途切れた間隔は、ほんの1mぐらいだろうか。ひょいと飛んでしまえば、次の木道へ足が届く。僕は童心にかえって、ふっと飛んだ。リュックが一瞬だけ軽くなり、右足に重心がかかるハズだった。しかし、木道に足が届かず、そのままバランス感覚を失い、体は支えを失った。
気がつくと、前のめりに転倒してしまって、「痛てぇぇぇ。助けてくれー。」と息子に助けを求めていた。それを見て腹を抱えて笑う息子の声が聞こえる。スマホは飛んでゆくし、靴も脱げて飛んでいった。
桂川を真下に見たと思えば、一気に下って湿地帯の中に入って行ったり、アップダウンのある道だった。知らず知らずに疲れが溜まっていたようだ。足を伸ばして、木道に足がつく予定が、空を切って踏み外した。いや、そんな話じゃなくて、単純に届かなかっただけかもしれない。
「もう高齢者だな。おじいちゃんだ。」と息子はまだ笑っていた。
僕なりの幸せ
もうすでに、大正池からは4時間ぐらいのウォーキングになっている。僕の転倒を機に、雰囲気が変わった。自然の呼吸より息子との会話の時間になった。
「生産する人はこれから強いよね。」と木道をひょいひょいと渡りながら、自分のこれからを探るように息子は話す。木漏れ日がキラキラと息子の身体にあたり、前を歩いていた息子は木々を見上げて言った。
「いや・・・生産しなくてもいいのか。」
「そうだな。生産しなくても得るものはあると思うな。」と僕は同意する。
自分の世界で生きている人は、どこまでも愉しんでいる。好きな事をする人は、イキイキしている。そんな人は活力があるから、どこまでも自分を信じていける。それが生きる強さだと思う。
「パパの考えだけどな。パパは20歳で養子縁組をして、そこから役割の人生だ。やりたい事より、やらなければならない事のほうが多かったよ。だから、お前みたいに自由を愉しんで生きていると、眩しく見えるよ。たぶんお前の友達もお前を見てそう思うんだろうな。みんな本当は自分らしく生きたいけど、たぶん怖いんだ。」と僕は息子に話した。
息子は身近な友達を思い出して言った。「好きな事がわからないけど、これじゃダメだと足掻いている友達はいるよ。今は登山にハマっているらしいけど、そいつ見てたら面白いから時々飲みに行っている。」
類は友を呼ぶというけど、似たような生き方をしている人が集まってくる。息子は、面白いと思えるものしか興味が出ない。面白いと思えたものには、驚異的な集中力を発揮できる。面白いと思えたものには、寝食忘れるほどの努力を惜しまない。そんな息子と似たような友達が集まってきている。それだけで面白い人生をいけそうに思えた。
「パパが、お前に自由に生きろと願うのは、たぶん反動なんだろうな。今のお前の生き方には、ママも賛成してくれると思うよ。」と言った。
「すげぇ、この景色。もしかして大正池って昔はこういう感じだったの?」と息子は驚く。
「そうだな。こんな感じだよ。ここに砂があって歩けて、小さいいくつもの水の流れが、池に注いでたな。それを塞き止めるダムを砂で作ったりして遊んだかな。」と僕は笑った。
もう会話の結びはどうでも良かった。大切な事は次々と移り変わる。この今という瞬間にも。
この瞬間の感動を大切な人と共有する。
この瞬間の感情を大切な人と共有する。
この繋がりが僕の幸せになるのだ。
最近になって僕らしい幸せの在り方が見え始めている。

