ゆっくりと目が覚めた。朝日が部屋中に影を作り、外は青空が広がっていた。今日も暑いのだろうと思ったけど、案外風は肌寒く、布団で身体を温めた。
ウインドサーフィンをしにいこうか迷っていた。Youtubeのコメント欄で「次の動画はまだですか?」とか、「ウインドサーフィンは辞めたんですか?」とか期待されていたので、僕はそろそろ次の動画をアップしないとと、急かされるように窮屈になっていた。
世間の期待や評価を捨てたハズだったが、期待されているとつい反応してしまう。それが僕の楽しさを奪うことに繋がっているのを薄々気がついていたから、気が乗らずに更新が滞っているのかもしれなかった。実際のところ自分でも良くわからない。
日曜日を無駄に過ごす事が多くなっていて、だらだらと寝て過ごしては昼近くまでになり、ちょっと散歩やら、ちょっと写活やらと、ちょっとの行動では気が晴れずに、月曜日を迎えてしまう。
次第に生気が薄れて、頭の中が整理つかなくなっていた。
早く寝たせいで、5:00amに起きて、いつものようにゴロゴロしていても8:00amだったから、このペースならぐずぐずしていても、なんとかなりそうだった。
ソロツーリング
Instagramを眺めていると、ある投稿を見つけた。
「水温意外は真夏のようでした」っと、SUPボードの上にお孫さんと一緒にポーズをとっている哲人さんが写っていた。哲人さんは大阪ガスを定年退職して、今は年金生活のアウトドア派の男性だった。なんどか一緒に飲みに行き、写真をとってはLINEグループで配ってくれた。面倒見が良く自然体で接してくれる哲人さんに、僕としては珍しく気を許している数少ない仲間だ。
どうやら水温は低いようで、まだウエットスーツが必要かもしれなかったから、今日のウインドサーフィンは辞めだなっと思った。辞める理由を探していたのかもしれなかったが、とにかく今週はやめておくことにする。
頭がボーっとしていたけど、意欲が出てこないから仕方がなかった。なんだかこんな状況が苦しくも感じてはいたものの、無理やりでも動かないと、今日も日曜日を無駄にして後悔して、月曜日を迎える事になる。それだけはなんとか阻止しておきたいと思った。
脳が働かなかったけど、100%の準備は目指さず、60%でいいからリュックに荷物を入れ始めた。カメラを入れて、財布を入れた。そしてSV650のエンジンをかけて、さぁ出発となった時に、クラッチが左足にめりこみ軽い痛みが走った。
靴を間違えていた。コーナンで買った安全靴じゃないとクラッチ操作が拷問になったから、またシャッターを上げて靴を履き変えた。さぁ出発だとSHOEIのヘルメットの電源を入れた時に、また思い出した。モバイルバッテリーを忘れた事を。
ヘルメットの電源が無くなってしまえば、音楽を聴きながらのツーリングが出来なくなる。何時間になるかわからないので、止まった時にモバイルバッテリーで充電をしているから、これを忘れては楽しいツーリングが出来ない。また家に戻った。
何度、戻ればいいのだろう。60%の準備を目指すと、30%の準備になるみたいだ。何度も何度も出発しては家に戻り、結局10:00すぎに走り出した。
火花
最近は、本といってもAmazonオーディブルで声優さんが読んでくれるので、バイクを運転していても読書が出来た。いつもなら自己啓発などを聞いていたりするが、最近は私小説エッセイを書いているのもあり、いろんな小説家の本を読んでいる時もあれば、聞いている時もある。
『火花』(ひばな)は、ピース又吉直樹の書く小説で、芥川龍之介賞を取り話題となって知っていたが、今まで読んではいなかったのもあり、Amazonオーディブルで配信されているのを見つけた時は、すぐに再生ボタンを押した。
SV650で高野山に向かう道すがら、今日は火花を聞いていた、というより文体を感じていたといったほうが近い。余白があまり無いのが特徴なのかもしれない。文章はキツキツに詰めたお弁当のようで、解釈の幅が窮屈に感じられた。なるほど又吉さんは、こんな文章を書くのかっと、ちょと息苦しく聞いていた。
音楽を聴かなかったのは、なんか意欲がなくて、気持ちが乗っていなかったからだった。SV650と一体になれず、風も爽快感がなく、ただハンドルを握っているだけのように感じていた。沸き立つ何かが今はない。だから苦しいような、気持ち悪いような、心が乾いてしまっていた。
こんな時に音楽を聴いても、ただのノイズだったから、今日はAmazonオーディブルなのだ。SV650のマフラーからは、野太い音が唸ってはいたが、どこか遠くで鳴っているような気がしたし、乗せられているような気がした。
まるで差し歯がとれた時の食事のように、なにを食べても美味しくは感じられない。SV650でソロツーリングをしたととて、まさにそんな感じだった。
高野山の奥の院に着き、弘法大師空海の御廟の前で、目を閉じて線香の香りと、参拝客のざわつきを感じていた。心が散らかっているのだろうと、ゆっくりと呼吸をして整えてはみたが、気は晴れなかった。
なんだかおかしい。
なにかがおかしいのだけど、カタチがつかめなかった。
川べりの家
高野山の奥の院を後にして、このまま帰宅しても、たぶん何も変わらず、気は晴れないままだろう。今日はなんだったのだろうとモヤモヤは晴れずに、明日を迎えるのは嫌だった。
来た道をそのまま戻るのは、知っている道をなぞるだけで、なにも変わる事が出来ないと思った。未だ知らない道を、ゆっくりと探検して帰るほうが、なにかしら気は晴れるんじゃないかとも思った。
オーディブルで小説を聞くのも止めた。意識が『火花』向いて景色が入ってこない。だからAmazonミュージックを立ち上げて、おすすめでランダムに聴く事にした。自分のお気に入りをアルバムにはしてあるが、知った曲で気持ちが昂るほど元気じゃなかったし、それはノイズにしかならないと思った。
高野山から橋本へ降りる国道24号線は、道が細くあまり使われていない道だったために、荒い舗装でアスファルトは、まるでかさぶただらけの凸凹道だった。しかもところどころ土砂崩れで道は車1台通れるぐらいの道で、車が避ける道だったので落ち葉でアスファルトが見えなかったり、土砂崩れ後の大きな岩が落ちていたり、ところどころガードレースがない崖のある危ない道だった。
だから僕はアクセルを回さず、3速で惰性走行で走り、下りが急な時は2速に落としエンジンブレーキを利かせて走った。時折、リアブレーキを利かせて、急なカーブにはフロントブレーキを使いながら。
安全なスピードだったので、腰を使いながらカーブを曲がったし、腕の力を抜いてバイクコントロールなどをして、ゆったりと余裕の運転だった。

そしてAmazonミュージックからは『川べりの家』が流れはじめて、通り過ぎる若葉の森林と、左には川が流れ始めて、僕はここで次第に胸が熱くなった。そして、血の通う温かさ感じたと途端に、流れる風が草木や土の香りを運んでくることに気がつき、深く深く息を吸い、そして身体の底から息を吐きだし、目頭が熱くなってきて、草木の間から差し込む太陽の光が滲んでみえた。
大人になってゆくほど
涙がよく出てしまうのは
ひとりで生きてゆけるからだと
信じてやまない
それでも寂しいのも
知っているから
温かい場所へゆこうよ
SV650が24号線を降りてゆく、風が目にあたり、風が目の水分をとってゆくものだから、僕の瞳がどんどん乾いてゆき、水分を補うように涙が溢れ出し、溢れ出して、僕の瞳から大きな涙がこぼれたと思ったら、次々とそれは川のように流れだして心を潤していった。
なんだか、胸が熱くなり、空を見ると青葉が次々と過ぎ去っていく。僕の今までの生きてきた時間を表すように、次から次へと後ろへ流れてゆく。
そこに僕は懐かしい顔を見て、懐かしい質感を感じて、そしてそれは過去になってゆく。僕はそれを感じて、胸が熱くなって、涙が次から次へとこぼれて止まらなくなって、顔がしわくちゃになった。前が見えなかった。
温かい場所

しばくら行くと、かけ流し温泉と書いたのぼりが立っていて、ここが温かい場所のように思えて、僕は迷わず、そののぼりのある温泉宿へ入っていった。
数台の車が駐車されていたので、営業はされているようで、僕はSV650を停めて階段を上がっていった。
山に囲まれて、下には川が流れている。温泉宿で、そして日帰り温泉も出来るようだった。源泉かけ流し温泉と書いている温泉は、いやしの湯と呼ばれていた。
お父さんが小さな子どもの手を握り、階段を登っていった。僕はその親子が登っていった階段をいき、そして店員に向かって言った。
「初めてなんですが、今からいけますか?」と。
すると白髪の腰の曲がったおばあちゃんが「大丈夫ですよ。ゆっくりしていって。」と笑って言ってくれた。
その会話ひとつが温かみがあって、僕は心の底から沸き上がてくる感情に突き動かされ、今日一番の笑顔をが込み上げて「ありがとう」と言った。
お湯はぬるぬるした湯質で、そして優しい温度だった。僕は木で出来た浴槽につかり、やさしい温泉に包まれて、ウトウトとした。何度も意識を失い、顔をカクっと湯船につけて、ハッと起きながら時間は過ぎていった。
窓の外に見える木々の新緑が、湿った心を癒し、僕は懐かしい人と一緒に湯に浸かっているような心持になり、その人はゆっくりとひとりで風呂に入りたい女性だったが、僕は好きな人に照れ隠しで意地悪をする小学生のように、大好きなその人を想い出していた。
まだ目から熱いものが溢れてきて、僕は湯船に顔をつけて、やさしい温度に包まれていた。
家族
帰りは泉南イオンへ向けてナビをつけていた。京奈和道路を走らせていた。和歌山、奈良、京都を結ぶ無料のバイパスで、片側1車線を時速100㎞以上で飛ばしていた。
高速運転で、空間を裂けるように疾走するSV650の周囲には、突風が舞っていたが、それに反して心はポカポカと温かく、深く呼吸していて、僕は風になっていた。
愛車のSV650と一体になり、僕の呼吸に合わせるように反応してくれて、タイヤはアスファルトに食い込み、加速の重力を感じて舞っていた。
泉南イオンに着き、僕は今日の晩御飯の材料を食料品店売場を、買い物かごを持ち歩いていた。季節はすぎさり八朔はなかった。いちごを眺めていたら、幼稚園ぐらいのピンクのスカートを履いた女の子が、いちごを手に取り手を伸ばした。
その手の先にはお母さんらしき女性がいて、その傍らにはお父さんらしき男性がいて、娘に「ダメだよ」と言った。女の子は「いちご」と僕にも聞こえるような大きな声で言って、ホントに小さな手で大きなイチゴのパックを持って、身体いっぱいに、母親に向けていた。小さな目の中に黒い瞳が辺りの光を反射させて見上げている。
晩御飯が終わった時の楽しみなのだろう。
晩御飯よりも、いちごを楽しみに、この小さな女の子はウキウキで帰るのだろう。どんな話をするのだろうか。母親に、父親に、この小さな女の子はどれだけの安心感を、身体を預けて眠るのだろう。
それを想像して、僕は気がついた。
そうか・・・僕は淋しかったのだ。かつてのあの温もりをずっと感じていて、僕たちの世界はずっとこの幸せが永遠に続くと思っていた。
そよ風が頬に触れるように、隣を見て手を伸ばせば、求められる小さな手が僕に触れてくる。僕はしっかりその手を握り、僕の立っている周りには、息づく草花が僕たちの場所を作ってくれると。
目を閉じれば、それがそこにある。実感として、質感として、香りとして、体温として、あるのだけど、あるはずなのだけど・・・。
生きること
なんて奇跡の色をもっているの
キラキラゆらめている
水たまりにうつっている
僕の家は青くうつって
指でいくらかきまぜても
戻ってくる
僕と彼女が出会ったのは僕が埋もれていた時、彼女が見つけてくれた。あの奇跡が今の僕のキラキラ光る生きる力になっている。
今まだ、僕はまだ過去に生きていて、今を生きれていない。いつだって僕の中には彼女がいて、その彼女は僕に言うんだ。
とても儚いものだから大切にして
一瞬しかない
一瞬しかない
今ながら心に響いて仕方がない。
今の僕にはなにも出来ないのだけど、涙がこぼれて、胸が締め付けられて、なんていうか生きている感覚だけが輪郭を浮かび上がらせてゆく。
米を1合炊いた。鍋に出汁を2袋入れて、IHヒーターのスイッチを入れた。次第に湯気が立ち、出汁の香りと黄金色になっただし汁が出来上がった。そこに豆腐を入れ、白菜を入れ、豚肉を入れて、僕は晩御飯を作った。
角ハイボールの缶をプシュっと空けて、ひと口のみ喉を潤す。喉に流れて皮膚を焼けつく至福の一杯は、今日の締めくくりの狼煙を上げて、僕は今日の出来事を私小説エッセイにたしなめる。
愛しているって、そんな特別な言葉じゃなくて、特別な言葉じゃないからこそ、おはようとか、ごちそうさまとか、大好きだよと一緒で、日常で妻が横にいて「ありがとう」という言葉なんだったんだと思う。
