僕は念願の大型免許を取っていた。「 今度ツーリング行こうぜ。」 とか、「主任、次の日曜日、一緒にツーリング行きませんか?」とか。ついには「ツーリングクラブ作ったから、お前部長な。ツーリングの計画を立ててくれよ。」 と、強引にツーリングクラブの部長にされたりと、僕は全く一人になれなかった。
この時期の僕は、とにかく静かな時間が欲しかった。
ひとりバイクを走らせて、どこ行くのかは気分に任せて、風を感じていたかった。地域活動で走り回っていた時に、家族は忽然といなくなり、僕だけが残された。なぜアレが起こったのか、未完結な心の整理は、相変わらず進まなかったし、答えをひたすら探していた。
ひとりで自分を見直す時間が、僕には必要だった。
だけど、みんなは、僕をツーリングに誘いたがり、いざツーリングの企画を考えたら、バイクを走らせるよりも、コンビニでのタバコタイムのほうが長かった。
「このマフラー、どこで買ったの?」とか、「このクラッチ、どこで手に入れたんだ?」とか、みんな、お互いのバイクの改造のことで、ずっと話をしていた。
タバコをふかして、バイクを眺めて、バイクの話をする。この時間が苦痛だった。会話よりも、バイクで風を感じたかった。
会社の部下と走る時も、とても窮屈だった。
休憩を合わせなくちゃいけなかったし、気ままにコンビニで停まる事も出来なかった。気ままに行き先を変更することも出来なかった。
折角の休みに、自由じゃなかった。
アイデンティティーを失った傷だらけの心を癒す事も出来ず、ただひたすらバイクのタイヤのように、擦り切れていった。
家族を失って2年がたった、2021年の夏のことだ。
息子との関係の始まり
それから季節は一巡して、1年が経ったある日の出来事。
新しい責任者がデイサービスに入ってきていて、その人は定年退職をして、いろんな経験をしながら、リーダーの経験もあった人だった。 そのおかげで、デイサービスの緩んだ雰囲気はみるみるうちに締まっていき、多くの灰汁が出ていた。 その灰汁を僕がとるように、現場でいそいそと人間関係の調整をしていた。
「東側さん、ちょっと事務所に行ってくるから、現場頼んどくね。」
「 わかりました。すぐ戻ってきてくださいね。」
こんな感じで、僕の動きも現場で重要になった。経営者トップがいて、その下に責任者がいて、現場スタッフがいるというピラミッドの組織が次第に出来上がっていたので、僕は経営者として現場にいる事を求められた。責任者の東側は、徹底的にスリム化を図り、スタッフは必要数以上はおかず、チームケアの贅肉はどんどんそぎ落とされて、無駄のない動きを求められた。途中、ついてこれないスタッフは辞めていった。
そんなわけだから、現場を離れて事務所に用事があったとしても、すぐに戻り、無駄な時間などどこにもなかった。事務所でFAXを送っていると、外でなにやら来客らしい声が聞こえた。
「〇〇さんいますか。」と僕の名前が呼ばれていて、たぶん取引先の方だろうかと思った。スタッフが対応しているようだから、そのうち呼びにくるだろう、僕は自分の仕事に集中していた。
だけど、次の瞬間そうも言ってられない状況になった。
FAXを送信し終えて、事務所の入り口の方に目をやると、僕は言葉を失った。
スタッフに通され、玄関に入ってきた青年。なんとも懐かしい雰囲気をまとっていた。いなくなったあの頃、中学生の頃の面影が、確かにそこにはあって、しかも、すっかり背丈は、僕より大きくなり、僕が息子を見上げていた。
「久しぶり」という息子の声は、やっぱり息子で、僕は、さらに混乱した。なぜここにいるんだろう。なぜここに立っているんだろう。
僕は夢を見ているのかと思った。いつ帰ってくるかもわからない。昨日も、今日も、そして明日も待ち続けていただろう瞬間が、今ここにあった。
「久しぶり」と、笑って僕を見ていた。
僕の内心は、突風が吹き荒れるがごとく、整理のつかない感情の渦が舞っていたが、努めて冷静を装いながら「お前大きくなったな。チン毛生えたか?」とバカな質問をした。
「生えたよ」と息子は言い、僕が「よかったなぁ」と言うと、「パパは、まだ毛があるな」と僕の頭を見て言った。 何年かぶりで会った親子の会話が、毛のことだった。
2022年の夏の事だった。
翌日も、息子はやってきた。デイサービスで僕が働いていると、チャイムが鳴り、ドアを開けたら息子が立っていた。息子の手には封筒が握られており、僕に差し出して言った。
「あのさ。バイクの免許をとりたいんだ。そしてバイクも欲しいんだけど。」
そうか。バイクの免許を取れる歳になったのか、っとしみじみ思ったけど、ここで安易に返答できなかった。妻の存在がチラついたからだった。
「ママはなんて言ってるの?」僕は慎重になって聞いた。妻がしっかり育てているだろうし、独断で突っ走ると、妻の邪魔をしてしまうと思った。
「ママがダメと言うようなことにはパパは協力できないし、一度ママと相談してきなよ。」と息子を帰した。
この後、バイクの話はトントン拍子に進んだ。 妻とどういった話をしたのか、僕にはわからないが、息子が言うには、ママは免許を取る事に賛成してくれたそうだ。
別れた妻と連絡がとれなくなっていたので、息子の話を信用するしかなかった。
息子はスマホを取り出して、買って欲しいというバイクを僕に見せた。「これなんだけど、良くない?」というバイクの色は黒だった。息子は赤が好みだったハズだった。自転車も服も赤を好んで選んでいた。あの頃とは、好みが変わったようで、僕の知らないところで、いろいろ変化しているんだと思った。
その日は、バイクも買う事を約束して、息子は帰っていった。
帰ってママに、息子がバイクを買ってもらえるというと、「あんただけ、ずるい」と言われたということで、なんだか、妻がやけに子供っぽく見えた。
「そんなこと言う女性だっけ?」と、ここでも僕の知らない女性の質感が立ち上がった。もう別れて、妻ではなくなったんだなと、少し遠い人のように思えた。
結局、僕は妻のことなんか何も知らないのだと思う。 今、目の前にいる息子のことさえも、全くわからない。
本当に息子なのか、もしかしたら、なりすましの垢の他人という可能性だってある。 なにせ、何年も会っていないわけだから。 「僕は息子です」とオレオレ詐欺のようにやってきたとして、僕は本当に見抜けるのだろうか。
もしかしたら詐欺ではないのか、いろんなことを考えながら、今起こっていることの現実味が感じられなかった。 嬉しさもあったけど、たぶん再会とは、こういうところから始まるのかもしれないとも思った。
離婚前の僕が「今頃、戻ってきて、カネが目当てじゃないか。追い返せよ。」と言った。
「お前の大切なものはなんなんだ?カネなのか?プライドなのか?もう自分を守るのはやめろ。」と僕はバカな僕に反論した。
離婚前の僕はまた僕に問いかける。「お前は間違っていない。むこうかオカシイんだ。」っと。
僕は、ため息をついて「あのさ、正しいとか間違っているとか、もうどうだっていいよ。それよりも関係性のなかで、なにが大切なのか考えてみろよ。」とバカな僕を諭した。
離婚前のバカな僕。
バカな僕はジェンダー思考にまみれて、男らしさにこだわり、男らしくなれない自分に対して、劣等感を感じている。
そして、社会の常識を、盲目的に信じて、他人の価値観や他人の意見をで生きている。
哀れな僕は、自分自身のカタチを持たない。正しいと思っているのは、世間の声。
自分の声を持って、自分の好きな者を守れよ。
お前はどこにいるんだ。
少しづつ僕は、自分の色を、取り戻す。
この日を起点に、僕は僕らしさを意識しはじめ、息子を息子らしく見るようになった。
進路相談
さらに季節は一巡した。
息子は高校3年生になっていた。
この頃になると、息子はふらっとやってきては、帰ってゆくようになっていた。
この日も、息子は唐突にやってきて、「あのさ、パパ、進路どうしようかなと思ってんだけど。」というので、「大学は行かないのか?」と聞いてみると、「行っても借金が増えるだけだからなぁ。」と、興味がないらしく、他の友達と同じく、将来の進路について悩んでいるようだった。
「もう高3か・・・」
僕は入学式にも出ていなかったので、そもそもどこの高校に通っているかも知らなかったので、高3かとつぶやいても、なんだか実感がなかった。
「そう、友達は、だいたい進路を決めてるんだけどね、働くのも嫌だしな」と息子は言った。
「そうは言っても、なにもしないという訳にはいかんだろう。」と、言ったものの、中学2年の息子しかしらないのに、どうアドバイスすりゃいいのか、正直いって途方に暮れた。
「やりたい事とかないの?」と聞いてみたが、この年でやりたい事を見つけている学生なんか、数えるほどしかいないんじゃないかとも思った。
そもそも、高校を卒業するタイミングで、みんな一斉に進路を決めてしまう。人それぞれのタイミングを図らずに、右へならえで進路を決めてゆくことに、僕は違和感を持っていた。だから、僕は、このタイミングで進路を決めなくてもいいと思っていたし、やりたいことが見つかるまで、多くの職を転々としてもいいと思っていた。
といっても、僕には息子の進路相談に応えるぐらい、息子を知っているわけでもない。困った挙句に、僕は困った時の官兵衛を思い出した。
大河ドラマで、御着の殿が軍師官兵衛を頼るシーンがあった。なにも決められない、周りのいう事にふりまわされる御着の殿が言うセリフが「官兵衛ぇの言うとおりじゃ」だった。


結婚していた当時、僕は御着の殿だったし、妻は官兵衛だった。だから、官兵衛が何か知っているかもしれないと思い、息子に尋ねてみた。
「ママは何て言ってるんだよ。やっぱりさ、ママに相談したほうがいいと思うよ。」 と言うと、ママは「好きなようにしなさい」と言っている、ということだった。
最後の頼みも失った僕は、とうとう息子と向き合わなくてはならなくなった。
息子の質感:小5から続くズレ
「小学校5年生の時からさ、違和感を感じるようになったんだよ。」と息子は言った。
「違和感?なんだそれ?」と僕は聞いてみると、どうやらクラスの友達関係に馴染めないという話だった。
「 友達とトラブルになって、相手が明らかに間違ってるから、ちゃんと説明してやるんだけど、こうなったらこうなるよね、だからお前が悪いよね、って言うんだけど、友達は最後は感情でキレてくるから、話にならない。 こんな些細なことが何度もあって、なんでこんな簡単な事がわからないんだろうと、違和感だらけなんだよ。 」と息子は、身振り手振りをしながら続けた。
「ずっと、なんか違うなと思い続けていてさ、なんだか周りの友達と見ているものが違うというか、楽しいことも、表面的なことをなぞってるだけで、本当に楽しいものってもっと他にあると思うんだけど」と言った。
言葉に出来ない何かが、ずっと息子にまとわりついていた。
息子の質感:高校2年での決断
息子が告白するそれは、まだ続いていた。
「小学生からの違和感は、ずっと続いてて、高校2年のときに、もう無理だと思って、で、友達と合わせる事をやめた。」と息子は話した。
「なるほど」とだけ僕は答えて、自分の体験をなぞり、息子の身に起こっていることを想像してみた。
僕も学生時代は、クラスの同級生と馴染めず、浮いた存在だった。友達が群れて遊ぶなか、僕はマンガを描いていたし、おもちゃ屋でのバイトの日々だった。
バイト先の年上の人と話すほうが、よっぽど面白い話が聞けたし、隣の画材コーナーでバイトをしていた、大学生の吉村さんという女性に、漫画の描き方を教えてもらうほうが、夢中になれた。
クラスのみんなと、馴染めなかったのは、同調圧力が強すぎて、ひとりでいる方が気楽だったからだけど、当時は言葉に出来ていないぶん、居心地の悪さを感じていた。
僕は、普通の人が立ち止まらないところで、立ち止まったし、普通の人が気にも留めないようなところに、気に留めたりする人だったから、空を見上げて流れる雲をいつまでも見続けられたし、空想に浸って物語をつくったり、街で人の観察をしながら、関係性を想像していたりした。
学園祭とかで、青春ラブコメのような、一致団結という熱い体験は、あいかわらず冷めていたし、合唱コンクールでクラスで優勝を目指そうという熱さもなかった。少し離れたところで、まわりを見ていた。
たぶん、息子にもそういう事が起きていそうだった。
息子の質感:ゲームアカウント売買
「それからはさ、もうインターネットの世界にどっぷりだよ。」と息子は続ける。
「 例えばさ、荒野行動っていうゲームがあってさ、そのアカウントを売買してたりしてたんだよね。」
「アカウントの売買?」僕は以前プレイしていた、ファイナルファンタジー11というオンラインゲームの、RMT(リアルマネートレード)を思い出した。ゲーム内通貨を実際の現金で売買する中国系業者を思い出した僕は、息子の言ってることがなんとなくわかった。
「つまりアレか、アカウントの売買というのは、レアアイテムを取って、それをアカウントごと売買するやつだな。」
息子は、「まあ、そんなもの」と大雑把に言った。多分僕の言ったことは、細部ではだいぶ違うんだろうが、息子の中では、やってることは一緒だという認識なんだろう。
「いくら稼いだんだよ?」と聞くと、目が飛び出るぐらいの金を稼いだようだった。
「マジかよ。それってすごくないか。」と驚いている僕を見て、「いや、稼ぎたいとかじゃなくてさ、それがお金になる仕組みが面白かったんだよ。」と息子が話していたが、僕はその時、息子から立ち上がる質感が見えた気がした。
なるほど、息子の話を聞けば聞くほど、物事を因果で見ていて、仕組みを理解することに面白さを感じていた。なぜ、こうしたら、こうなるのか。わからないものは徹底的に調べ上げ、仮説を立てて、そして実際やってみる。
「わからない事を調べて、仕組みがわかるようになるって、面白いんだよな」と、息子は続ける。
「高校生でさ、アカウント売買している人って、そんなにいないから、どんどん友達と話が噛み合わなくなるんだよね。」
それを聞いた時に、やっぱり息子の見ているものは、因果関係と構造だと思った。
「こんな仕組みで世界は動いているのか」という視点で物を見ている。だから他の人とは視点が違うわけだ。
クラスの友達は、「あー面白かった」という体験で終わってしまうが、息子は、「この体験が、なぜ面白くて、人を夢中にさせるのか?」という構造を見ているわけだ。
感情だけで反応している大半の友達との違いを、息子は言葉にならない違和感として感じていたわけだと、僕は理解した。
息子の質感:母の心配
息子の行動は、これで終わらなかった。アカウントの売買方法を書いた教科書を販売しはじめた。いわゆる情報商材ってやつだ。
「それっていくつ売れたんだよ」と僕は興味津々で息子に尋ねると、10冊ほど売れたという。
「この教科書でのポイントは、買って終わりじゃないんだよ。僕の経験も含めて売るから、実際に僕がアドバイスできる。これがないと苦情になるからね。」と意気揚々に話し始める。
「今は、もうこのやり方は通用しない。だってアカウントの売買も個人じゃなくて、組織で動くから。組織で通報されまくったから、僕のアカウントは凍結されたよ。」と息子は笑って話していた。
物事の仕組みを息子は、面白おかしく探求していった。これを無邪気にやってしまうのだから、頭の回転が速くて、思考のレイヤーが高いなと感心した。
母親の立場としては、自分の子供がインターネットの中で、どう動いているのか見えづらく、危ない事件に巻き込まれるんじゃないだろうか、と心配したに違いなかった。
「ママはさ、仕組みを理解しようとしないんだよ。いくら説明してもさ、—–危ないから—–の一点張りで、聞いてくれないんだ。」と息子は言ったので、「そりゃあ、ママの立場だと、そうお前に言うのは当たり前だろう」と僕は言った。
だた、息子としては、親の離婚を受け入れて、自力でお金を稼いだ経験だったわけだ。親の心配は、息子にとって煩わしいだけなんだろうなと、少し申し訳なく思った。
息子の質感:服の売買
アカウントの売買が、手を出せないとわかったら、息子の興味は次へ移っていった。
「この服さ、5万で売りにでてるけどさ、市場価値は30万ぐらいなんだよ。」と息子は教えてくれた。
「え?この古着のボロがか?」と、僕にはそこらへんの古着ショップで売っている、カビ臭い破れたジーンズにしか見えなかった。
「これはさ、有名なデザイナーが、迷っている時期に作った服で、今、出回っている数は少ないんだよ。だから価値が上がるわけ。」と、目を輝かせていた。
ここでも、息子は楽しそうな事には、頭から突っ込んで、自分の経験にしていた。
「あのさ、これさ、お前さ、買ったはいいけど偽物だったらどうするんだよ」と僕は詐欺に遭うリスクをどう回避するのか、興味本位で尋ねてみた。
「ああ、それね。それはね、服屋さんに行って、で、本物を見るわけ。で、本物特有のものって必ず形として表れるから、それを見極めて購入するわけ。 やっぱりさ、これも知識だから、情報だから。」 と息子は、何事も行動する。そして考える。で、また行動する。で考える。 そうして少しずつ少しずつ、息子は自分の世界を大きく広げていった。
息子の質感:消費者としての限界
ただ、この時期の息子の面白いのは、儲けるために仕入れた服を自分が着てしまい、自分がコレクターになってしまっていて、結局儲けるどころか、消費者になっていた。
「いやあ、やっぱりこれ、売りつけて儲けてやろうと思ったんだけど、なんか、売りたくなくなってきたわ。」と息子は笑っていた。
「あのさ、それ商売のために仕入れてるのに、自分で来たら意味ないだろ。」と、呆れて言うと、「確かに。」といいつつ、やっぱり息子は笑っていた。
このときの息子は完全に消費者目線だった。
今みたいに生産者にはなり切れていない。
進路決定
「結局、今、なりたいものってなんなの?」と僕は息子に尋ね、僕は息子と向き合っていた。
「美容師でもいいかも。カットしてくれてる担当さんに、美容師になればって言われたんだけど、それもいいかなと思って。」と、息子はファッションに興味があったので、僕は息子らしい選択なのかもと思い、「 そうか。じゃあさ、専門学校のパンフレットとか取り寄せてみろよ。」と僕は行動を促した。
しばらくして、息子はパンフレットを持ってきた。
「ああ、こいつ本気なんだ。」って、行動が伴っていたので、思ったのだけど、息子は「あれ?美容師ってさ、今ネットで調べたら、収入めっちゃ低くね?」っと言って、「なんかやる気なくしたわ」と、見事に迷走しはじめた。
迷う事は悪いことじゃない。いろいろ考えれる時に、ちゃんと考えておくことが大切だと思う。
「ふりだしに戻ったね」と僕も肩を落としたが、でもまぁ、高校を卒業するタイミングで、だいたいの人は、自分のやりたいことなんか見つかっていないし、僕もそうだったし、僕は息子のペースに合わせようと思った。
卒業だからといって、慌てて進路を決めなくてもいい。本当にやりたいことが見つかった時に、全力で走れたらいいわけだから。
学校では、相変わらず「お前、どうするんだ?」と先生に言われていたようだ。
外の世界へ:ニューヨーク留学
息子が目標を見失ってフラフラと迷走して、このままだと就職に収まりそうだったが、息子は「パパの会社はダメなの?」と僕を見て言った。
「パパの会社は福祉サービスを提供しているんだよ。福祉は好きか?」と息子に問いかけたが、帰ってくる返事はわかりきっていた。
「いや、別に・・・」
そう。息子は「いや別に」と答えるよ。福祉に興味があるなんて話を、今の今まで息子の口から聞いた事がないんだから。
「だろ。パパの会社を継ぐのは、ひとつの選択だけど、それは保険としてもっておけばいい。お前は好きな事に夢中になれる。反対に,、好きでもない事にはやる気が出ない。自覚してるだろ?」
息子は黙ってうなずいた。もうここまで息子を見てきて、僕は息子の質感やカタチがおぼろげに見え始めていて、息子らしさを大切にするならば、僕の跡継ぎにしちゃいけないなと思っていた。
だから、僕は、息子の可能性を少し広げるための、もうひとつの提案をしてみた。これは僕の中で最初からあった案だったが、機が熟していないというか、最初に言うと押し付けになってしまうかもしれないと思って、胸にしまっておいた案だった。
「 あのさ、これからさ、グローバルって言われてるじゃない。 つまりさ、インターネットで国境の垣根なんか無くなっているし、これから、お前たちの世代は、世界を相手にしないといけないわけだろ? じゃあ英語の勉強はしておくのも、ひとつの進路だとパパは思うよ」
僕は息子に、世界情勢とこれからの動きを説明しながら言ったのだが、息子は「どういうこと?語学専門学校に行けってこと?」と、あくまでも視野が日本だったので「ちがうよ、留学行ってみたら?って言ってんだよ。やりたい事がないんだろ?働くのも、進学するのも違うと思ってるんだろ?じゃぁ、日本から出て、視野を広げてこいよ」と言い、息子の反応を静かにまった。
息子は思ってもみない僕の提案に、しばらく動きを止めて、それからゆっくり僕を見て、「ありかも」と呟いた。
それがニューヨーク行きが決まった瞬間だった。
僕は事の顛末を、別れた妻に手紙を書き、留学になりそうですが、どうでしょうか?という報告をした。別れた妻は感情を乗せずに、事務的な手紙だけを僕によこすので、あまり反応は良くなかったのかもしれなかった。
そして2024年の初夏、息子は旅立った。
留学中の息子は、いろんな人種との関わりがあり、トラブルがあったようだ。例えば、ルームメイトに、ミネラルウォーターを勝手に、全部飲まれたりした。
息子は人種が違っても気後れせず、「俺の水を飲むな!」と詰め寄ったら、枕に醤油をぶっかけられた。人種が違えば考え方も違う。常識だろうと思っている事が、国が違えば通じない。 結局、息子はルームメイトを徹底的にやっつけて、部屋から追い出してしまった。
この話を聞いた時には、僕は腹を抱えて笑った。
街を歩いていると、ニューヨーカーらしい不良が、息子をおちょくってきた。黄色人種へのあからさまな人種攻撃だった。息子は、ここでも負けてはいなかった。息子はおちょくり返したら、ニューヨーカーに追いかけられて、必死で逃げたという話だった。
「あれはめっちゃ面白かったわ。マジでバカはどこでもいるな」とケタケタと笑って話していた。
息子はどこへ行っても、適応して、自分の居場所を作れるだろうと、僕は頼もしく思った。


始動する息子
2025年の春、1年の留学から帰ってきても、息子は自分のやりたいことを見定めてはいなかった。
「あのさ、パチンコ屋で働くわ。」 と聞かされたときには、何のための留学だったんだと思った。
「せっかく英語を学んできたんだろ?なぜ英語という自分の武器を使わず、誰でも出来るようなパチンコ屋で働くんだよ。」
僕は、パチンコ屋より、せっかく近くに国際空港があるんだから、関空の免税店とかで働けば英語力を磨けるだろうし、国家の大事業である大阪万博も開催されるんだから、来場者相手に英語でパビリオンの説明とかするのもありだと思った。
「昔からパチンコ屋で働いてみたかったんだよ。」と言うので、なんだか僕はがっかりした。
「パパは英語の方向にさ、働かせようとするけどさ」とか息子は不満げな表情をして言った。
「当たり前じゃないか。 お前の今の武器なんだよ。 それを使わないってどういうこと?」と僕は反論したが、「英語を話せるなんか普通だよ。」 と、わけのわからんことを言った。
なんだろうか、自分の強みをわかっていない。息子の戦略のなさに、僕は苛立ちを感じていた。
結局、息子は自分の我を通してパチンコ屋で働き始めたが、そのパチンコ屋もあっという間にやめてしまって、あとはフラフラして、落ちるとこまで落ちてのプータローになった。
どうも、雲行きが怪しかった。僕の思い描いたものとはかけ離れていた。
僕はこの時期の息子を見ていて、もやもやがずっと立ち上がっていた。
この頃の僕には、境界線が備わっていて、息子の課題に踏み込まない事が出来たが、話すたびに僕の意見として「労働しろ。生産活動をしろ。」と言い続けた。僕の言葉をどう受け取るかは、息子次第だったが、それでも言い続けた。
思い通りにならないのを前提に、息子を突き放すのではなく、関わりながら見守るという選択を続けて、これが後の息子との関係を育ててゆくことになる。
やりたい事がみつかる
そして転機が訪れたのは、韓国旅行だった。
「今度、韓国にいってくるよ。」
「お金はどうすの?旅費とか宿泊費とかあるでしょ。」と僕はため息交じりに聞くと、「飛行機代だけカンパして」と手を合わせて腰を低くした。
悪い予感だけが当たる。韓国の友達のアパートに泊まらしく、宿泊代はいらないという話だった。韓国には留学で一緒になっていたルームメイトがいて、留学の時の友を訪ねて韓国に渡ったのだった。
その韓国の友達が「有名なデザイナーが東京の服飾専門学校を卒業してるんだってさ。だから、そこに一緒に行かないか?」と息子を誘った。
ここが息子の将来を変えた瞬間だ。
「あの時、韓国の友達が、あんなことを言うもんだから、そっか、服作ればいいじゃん。欲しい服がなかったら、自分の理想の服を作ればいいじゃん。」って僕は思ったんだよ。
そう話す息子は、キラキラと輝いてみえた。
見えた瞬間
このタイミングで、別れた妻から一通の手紙が届いた。
息子を引き取って欲しいというような内容が書かれてあって、僕はさっぱりわからず、 どう返答しようか、悩んでいた。
返答を遅らすつもりはなかったんだけども、あまりにも唐突だったので、別れた妻が何を考えていて、どういったことに悩みを持っていて、そしてこの判断に至るのかという、あらゆる可能性を探したけれども、僕に想像できるものは、なに一つもなかった。
そうこうして、2通目の手紙が届き、ここで猶予がない事を知る。なんか切羽詰まったようなものを感じて、 僕は押し出されるように妻に手紙を書いた。
あらゆる可能性を残しながら、妻の選択に余白を残して書いたつもりだったが、たぶん余裕のない彼女には伝わらなかったのかもしれない。
この7年間、ずっとそうだったから。
息子は僕の所有するマンションで暮らすことになった。そしてそこがアトリエになった。 今から考えると息子の選択は、創作活動をしたかったわけで、静かに誰にも邪魔されない、自分だけの空間が欲しかった、それだけの選択だった。
そして、息子が手に入れたアトリエに、見事に引きこもって、服作りをし始めて、全く働かずに、ただひたすらひたすら寝食忘れて、服作りに向き合っていくことになる。
「この部屋最高だわ」
「お前、ちゃんとメシ食ってるのかよ?」
僕は養育費を毎週金曜日に分割で渡していたから、—–渡すと全部使ってしまう—–食べるには困らない。生地を買うとか、遊びに行くとか、不便を感じるところを僕は意図的に設計した。
「ちゃんと食ってるよ。今日は吉野家の牛丼。」
「外食ばっかかよ。作れよ。」
僕の経済力で、全部を支えてしまうと、息子の自立機会を奪ってしまう。そんな状況は、絶対に避けなきゃいけない。最終的に、息子は息子の選択で、どこへでも行けるところまで、力をつけてほしいと願っている。
「夜、遅くまで起きてるみたいだけど、ちゃんと寝てるの?」
僕の部屋から、息子の部屋の小窓が見えたので、明かりの点灯で寝ているのか、起きているのかがわかった。夜中にトイレに起きると、まだ部屋の明かりはついていた。
「服を作ってるとさ、楽しすぎて、寝るの忘れるんだよね。」
寝るのを忘れるのもあったが、冬の寒い部屋でTシャツ姿でいて、暖房さえつけるのを忘れるのもあった。生活環境より服作りのほうが優先された。
ここで僕が感じたのは、息子の異様な集中力だった。
楽しいと感じた事に対する、ひたむきな向き合い方。面白いと思った事に、とことん尖って、その他すべてを切り捨てでも、作り上げるという意志力。
この驚異的な集中力と意志力が、息子の個性なんだなと肌で理解した。
ここが、息子のことをわかった瞬間だった。ハッキリと息子が見えはじめ、息子らしさを見つけた。

自己理解の深化
この頃になると、僕はもう息子に対して口を出さずにいた。労働だの、生産だの、と言う必要がなくなっていた。
「あのさ、服ってさ、空間なんだよ。わかるかな?空間なんだ。」
僕はさっぱりわからなかった。
「全くわからない。」と言うと、「なんでわかんないんだよ!」っと、息子は少し語気を強くした。
「空間ってどういうこと?」と、僕は息子の説明を理解しようとしたが、息子の返答がさらに混乱させる。
「なんでもそうだけど、空間が支配してる。」
さらに僕は迷子になった。息子の宇宙語に、いちいち僕の思考は振り回されたし、翻訳しなければいけなかったし、意味のわからんことを毎日毎日言われるものだから、僕の脳みそはかなり疲れていた。
だから、当時は世間に浸透していなかったオープンAIである、ChatGPTに課金するように勧めた。
「一度、使ってみろ」と言った。
「ChatGPTの精度は、検索として使えば全く役に立たないけど、自分自身との対話で、ChatGPTを使うと、多様なものの見方を提示してくれるんだよ。言葉にならないものを、言語化して、自分のカタチをつかめ」と僕は息子に言った。
そこから僕のLINEに、頻繁にスクショが送られてくるようになった。
「チャッピーがこんなこと言ってた」とか、「チャッピーはすごい」とか、ChatGPTに夢中になって、何時間も自分と向き合う日々が続いた。そのおかげで、狙い通り、息子の思考、違和感、ありとあらゆる言葉にできないものは、どんどん言語化されていった。
ここで僕がわかったのは、息子の感性が強すぎるということだ。感じるもの、湧き上がるもの、そういったものが強すぎて、あらゆる情報を感覚として受け取ってしまっている。
受信感度が速すぎて、言語化が追いついていない。 だから、自分がわかっていることでも、他人に説明しようとすれば、不思議な言葉になっていく。
伝わらないもどかしさが、さらに息子をイラ立させ「なんでわかんないんだよ!」という言葉にが発せられる。
なるほどなぁ。まるで息子はテレパスだ。

働く意味
「服作りとか、モノ作りが、お前の夢だとしようか。その夢を実現するために、お金がいるんだよ。わかる?」
僕は何度も息子に言ったけど、息子は服作りに夢中だった。このまま職探しもなく、続けたとしても、詰んでしまうのが目に見えた。僕の言葉じゃ多分弱いんだろう。今の息子には響かない。だから僕はキングコング西野が書いた「夢と金」という本をプレゼントした。
「どう?面白いか?」
「うん、面白い。これほんと面白いわ。」と息子は飛行機の中で読みふけっていた。
僕たちは、9月の祭りの連休を利用して、グアム旅行に行っていた。 飛行機はだいたい3時間の旅になる。この時間で、息子は読み切ってしまった。
ただ、面白いと言っただけで、息子の行動には結びつかなかった。
夢がついえる時は、カネがついえる時。夢を回すためにカネがいる。だからお金の勉強をしよう。そしてお金を稼いで、夢を実現させよう、そういったことを書いている本だったが、息子は相変わらず、服作りという夢だけを追いかけていた。
服を作るには生地がいる。
そしてミシンがいる、
糸がいる。
で、染めるために染色用具もいる。
いろんなものにお金がいった。 だけど息子は、服作りだけに情熱を傾けていた。 お金は生まれない。そのうち、「やべえ、カネが絶望的にない」と言い始めて、 今まで集めた服を売りに出していた。
転売しようとして、自分で着る羽目になった服を、お金を作るために売っていた。 これも、そろそろジリ貧になっていた。
詰むのが近かった。
「金がねえ、絶望的に金がねえ。」 息子は繰り返し言っていた。
時にはカードで買い物し、支払いがこげついた。 「パパ、ちょっとお金を貸してくれ。」こんな泣き言を、僕に何度も言ってきた。
「だからさ、なんで収入がないのに、生地を買うんだよ。」 僕はため息が出た。 いくら一生懸命僕は働いても、カネは全く貯まらない。夢ばっかり追いかけてる。現実を知らない息子が、僕のカネを溶かしていく。
この辛抱と忍耐を、どれだけ続けただろうか・・・
そして、やっと職探しをしはじめた。何度、不採用を食らった事だろう。ついに息子は採用された。長い長い、本当に長い長い道のりだった。
「ダメだ。お金がないからもう何もできないわ。」と続けた。「いや、本当にわかった。もう体でわかったわ。 マジで、働かないと何もできない。」
やっと、やっと、ここにたどり着いた。
「お前は良くやったよ。キレずに、根気よく、粘り強く、息子に向き合ったよ。」
僕は僕を褒めた。
準備は整い始める
「おーい。」と、息子はデイルームに入ってきた。
「おー、遅いぞ。まだかまだかと待ちわびたわ。」と 僕は息子に言った。
今日は、デイルームでスパゲッティーを作ることになっていた。下ごしらえは全部終わっている。 ホールトマト缶詰に塩と砂糖を入れた。 フライパンの中には、たっぷりオリーブオイルが入り、その中に一切れのつぶれたニンニクが浸かっていた。ベーコンは切られて、バジルも切られて、鍋に並々の塩の入ったお湯もぐつぐつと沸いている。
今か、今かと食材は調理されるのを待っていた。
「あのさ、なんかさ、友達と喋っていても、なんか違うんだよな。みんな、反応で生きてるからさ、ちゃんと考えてないんだよね。」と息子は言った。
息子の違和感は、今では言葉になっていた。ChatGPTの効果だ。
「大半の人が、反応で生きてるのからさ、だからtiktokとかYoutubeのリール動画とか、他人の作った動画を見続ける側になるわな。」
大雑把に分けて、生産者と消費者しかいない。この構図を僕は、今のSNS界隈の現状を使って説明した。
すると息子は「そうそう、そうなんだよね。 リール動画を見て、誰かの作ったAIの動画を見たりして、自分の時間を溶かしていってる。そういうことしてもさ、何も生まれなくてさ、っていうか、生産することが一番楽しいよね。」
息子は言語化できていて、さらに僕は息子のカタチがハッキリ見えているので、会話はがっちり噛み合った。
「そうだな、パパもYoutubeで動画をアップしたり、小説書いたり、カメラで撮影して画像サイトに投稿していたりするけど、誰かの作ったものを見る時や読む時は、自分の作品の参考にする視点があるな。生産活動をメインにおくと、見方が変わるよね。」
「だよね。本当に思うよ。」
「以前に友達と話が合わないって言ってたけどさ、つまりは友達は消費者目線でモノを見てる。だから働き方も、時間労働でお金を稼いで消費するのサイクルになる。でもお前は違う。服作りをしたいがために、これから働くわけだ。つまり生産するために、時間労働しようとしてるわけだ。全く軸が違う。だから話が合わない。」
そして、夢は動き出すんだよ。
父の理解と戦略
昔の僕であれば、ジェンダー思考で、男らしさを息子に求めただろうし、息子の質感とかそういうのを全く無視をして、息子を社会の枠にはめようとしただろう。
やっぱり、ジェンダー思考から脱却出来たのが大きかった。
状況は刻々と変化している。
息子が何を感じ、そして何を言い出すか、そんなことはさっぱりわからないが、忘れてはいけない事は、人間関係は流動的ということだ。固定されているわけじゃない。
不変なものはこの世にはない。
だから、「互いの関係を成長させよう」と思って努力しなければ、人との関係は脆く崩れ去ってしまう。
今の僕が、結婚している時に1ミリでもあれば、全く違った結果になっていたかもしれないし、違う未来が続いていたかもしれなかったけれど、起きてしまったことは、重く受け止めて、今できる事を粘り強くやっていくしか誠意は示せないと思う。
それが、再び未来へとつなげてくれたらいいなと思う。

