ボクは今まで現場仕事に追われて今の今までやってきたんですね。そう考えれば経営者らしいことは何もやってないと思います。現場スタッフと共にがむしゃらに働いてきただけです。現場仕事での価値しか生んでこなかったのだと思います。
新規事業の立ち上げ
小規模多機能型居宅介護の事業をスタートさせたのが平成17年頃だったかな。初めての箱ものサービス。箱ものってのは施設を持ったサービスを行うっていう事なんですけど、これは当時、資産運用していなかった空いてたテナントの活用だけを考えた結果でした。
お金を生まなきゃ勿体ないなという発想だったわけです。
深く考えていたわけじゃないんですけど、とにかくデイサービスっぽい事がしたかったんですよね。理由は起業する前はデイサービスで働いていたからです。だから運営のイメージが多少なりともありました。
当時の空テナントでは、デイサービスをするには床面積が狭かったんです。だから訪問・泊まりがセットになってた小規模多機能という事業に飛びついたんです。
登録人数を12名にすれば、デイの定員6名・泊まり2部屋で設備基準が通ります。6名デイならば狭い空間でもデイは立派に成り立つと考えたわけです。
当時は人員基準(宿直が必要)ってことで、募集をかけても新規参入事業者がいなかった小規模多機能。新規事業者がいない環境で、ボクが一番乗りで市の担当者と打ち合わせをしました。
市としても介護サービス整備計画があるので、1件でも申し込みがあればありがたいという立場です。もしこれが多くの新規参入があれば競争になっていました。運とタイミングが良かったのだと思います。
凸凹のスタッフと数名の利用者さん
そしてスタッフ集め。当時はバタバタと急いでいましたし、雇い入れの経験もスキルもなかったので、顔見知りの家政婦さんからスタッフをピックアップして声を掛けました。
家政婦さんは利用者宅で長時間の勤務でがっつり稼げる職種でしたので・・・
デイサービス?なにそれ?
そんな反応しかありません。丁寧に説明してもわかってもらず、しぶしぶながら勤務してもらっての寄せ集めのスタッフとともにスタートでした。
利用者さんも知り合いに声掛けて、スタート時点では3名しかいませんでした。だけど小規模多機能の報酬体系は月額です。1回あたりの報酬ではなく、1カ月あたりの報酬でした。
要介護度 | 介護報酬 |
要支援1 | 44,690円 |
要支援2 | 79,950円 |
要介護1 | 114.300円 |
要介護2 | 163,250円 |
要介護3 | 232,860円 |
要介護4 | 255,970円 |
要介護5 | 281,200円 |
そして大腿骨を骨折してリハビリ後に退院してきた100歳の方が利用してくれたのが助かりました。この方ひとりの利用で25万円の売上でしたので、滑り出しは上々。赤字にならずにホッとしました。
新規事業の立ち上げで一番気を遣うところをクリアして、この先ドタバタ運営が展開されることになります。(凸凹スタッフに振り回されてゆくからです。)
当時のブログを読んでいると、バーベキューに行ったりしています。今じゃ利用者さんが多すぎて実現出来ない事ですけど、当時は3名でしたから手厚いサービスでした。
現場スタッフと共にバーベキューに来てます。経営者と言えどラーメン屋店主みたいなもんです。経営者が現場に出て働きます。
事業の初動は力がいります。とにもかくにも現場現場でした。
この時のスタッフには鍛えられたと思っています。オープニングスタッフは家政婦さん。とても良い人なんですけど、チームケアが理解出来ていません。家政婦さんは一人親方みたいな職種です。なので気の良いおばちゃんスタッフに囲まれて、もちろん就労マナーなんてものはなくて、とにかく現場で起こる事にその場その場で対応していました。
カオスな現場
上下関係なんかあるようで無くて、スタッフがそれぞれ考えた事をバラバラに動いていました。良かれと思って動くんですけど、互いにバラバラの動きをしつつ、互いに自分が一番だと思っています。もめ事も絶えませんでした。
当時のボクはスタッフの足らずを補って一番働いていたと思います。働いているところを見せないとスタッフのモチベーションが下がるんです。みんな自分が正しいと思っていますから、見えない仕事(例えば会計や書類や家族との交渉など)は考慮に入れてくれません。
ボクが現場にいないと、さぼっていると思われて不平不満だらけになります。そうすると燃費が悪くなるから、先頭に立って「みんなついてこい!」って感じだったように思います。
ただそんな姿勢は悪循環で、ボクが動けば動くほど、ボクに任せていればいいやというスタッフがさぼる原因にもなりました。ボクは素直すぎたんだと思う。騙されているフリもしたことがありましたが、本当に騙されている時もありました。
だんだんスタッフのわがままが過ぎるようになってきて、そのスタッフが辞めるまで混乱の毎日でした。現場は常にカオスだったし、カオスのなかで日々の業務をなんとかこなしているといった感じでした。
ワーカーホリック
とある日曜日に家族と共に映画を観にいった時です。スタッフから連絡がかかってきて、利用者さんが緊急事態だということで、家族と別れて利用者さん宅へ向かった事がありました。家族よりも仕事仕事だったような気がします。家族には申し訳なく思っている。特にパートナーにはとても苦労をかけたと思います。
思い返すとスタッフのわがままに付き合ってきたし、面白くない事があると職場放棄して帰るスタッフもいて、それでも根気よくスタッフと向き合いました。。
そのぶんストレスが溜まってお酒の量が増えましたが。
当時のなにかと問題の多い、感情だけで動く憎めないスタッフが、ひととおり離職した頃。ボクをサポートしてくれていた大切な人も離職してしまいました。そこから大きく状況が変わり、現場スタッフから、リーダーとして舵を切ってゆくことになります。
大きな挫折
ボクはボクなりに一生懸命やってきたと思っているし、離職した人たちにも精一杯向き合ってきたけど、みんなボクの元を去っていってしまいました。
その事でボクは自信を失い何事にもやる気を失いました。そんな時に責任者として新しく雇った人と二人三脚でデイを運営?いや違うな。今まで人を信じず任せる事が出来なかったけど、今はその責任者に全部をお任せしています。
権限を委譲して運営を任せています。そしてボクは事務所で会社運営をしていて、必要な時は現場に駆け付けるといった役割に徹しています。
現場でスタッフとして働く事はない。デイの送迎が終われば事務所に戻り、お昼ごはんを食べにデイに来て、スタッフと一言二言交わしてからまた事務所に戻る。
現場が動きやすいように環境整備だけ整えて、人件費の削減で夜勤が必要な時に夜勤に入ったり、厨房に入ったりすることもありますが、基本的に後方支援をしています。
個人の尊重と価値観の変化
そして今の責任者がしっかり現場のスタッフをまとめています。今まで自由意思を尊重していたので、好きに出来ず面白くないスタッフもいるでしょう。ですが、組織の成熟と共に必要なルールも変わってきます。チームで働く場合は、チームリーダーの方向性がチーム運営に色濃く反映されます。いつまでも個人プレイに頼った組織ではいられないのだと思います。
新しいルールに馴染めないスタッフは、今までも辞めていきました。変化に柔軟に対応できるスタッフは、今も働いてくれています。周りをみながら積極的に変化してゆく。それが成長だとも思っています。
変化を受け入れる人、変化を拒む人、それはそれぞれの選択ですが、ボクは選択の自由を尊重しようと思っています。コントロールや支配は人間関係を対立に向かわせます。対立に円滑なチーム運営は不可能だと思います。経営者として挫折を経験し、人との向き合い方を見直した結果、こういった考えに至りました。
今の責任者も癖はあります。人には長所と短所がある。人情があり、出来る事と出来ない事をハッキリ言い、言いにくい事もボクに意見をしてきます。この意見をボクは参考にして会社運営に反映しています。
- 時給のアップ
- 昇給制度の導入
- パートタイム有給制度の導入
- 全体スタッフ対象の定例会議
- その他もろもろ
その代わり、現場スタッフには厳しく指導してくれます。
どんどん変わってゆく。
たぶんこれはボクが変わったからだと思っています。今までは自分の価値観が絶対で、他者の意見をあまり聞き入れませんでした。自分の自信が崩れ去り、他人の意見に耳を傾け、他人の意見もひとつの意見として取り入れはじめたからだと思っています。
心理的安全性を配慮しはじめて、自分の意見を云ってもなんら否定される事がない。そんな環境を取り入れてから、積極的な意見が出てきています。
現場スタッフとして働くことから、リーダー(経営者)としてシフトしてから、特に問題なく仕事は順調です。今の責任者がスタッフに規律性を教え込み、現場はかなり快適になっています。新しい責任者に信頼して任せる事で、現場でほぼする事がなくなりました。
そしてボクはどこでどんな価値を出せるか?働き方を模索しはじめた結果、経営での価値を生むしか道がなくなったということです。
そんな状況に追い込まれて足掻いていたわけです
変化する事がすなわち成長。今後も新しい知識を吸収し、目の前の課題を多面的に捉えて、解決策や変化を受け入れて進もうと思っています。
時々、昔を想い出す時はありますが。
そんなブルーな日もありますが、なんとか今日も頑張っています。目の前の事に全集中の日々です。