暴力を繰り返す利用者さん
イライラをぶちまけてカメラを掘り投げたり、テーブルをドンドン叩いたいたりしている利用者さんがいる。
「いたーーーーい!」「いたーーーーい!」と大声を出しては、レクリエーションの邪魔をする。
- 注目を集めたい。
- かまってほしい。
そんな心理が背景にあって、思い通りにならない事には大声を出して、思い通りにしようとする。
同居のパートナーがご機嫌をとって、まるで赤ちゃんをあやすように対応する。トイレに介助で立ち上がっただけで「えらいえらい」と褒めておだてて介護をすると、だんだん図に乗ってくる。自分が中心でかまってもらう事。それがその人にとっての普通となる。
目の前で周囲の人をおちょくったりする。ジェンダー感が強く、男尊女卑の考えをもっているのが見え隠れする。女性スタッフに対して我を通そうと、大声を出したりする。目の前の介護者の事を自分と同じ感情のある人格であるという敬意がない。他人の尊厳を軽視するような振る舞い。他人を人扱いしていない態度を繰り返される。
それをはたで見ていると、だんだんと腹の虫が収まりつかなくなってくる。
と言い返したくなる。車イスをガシっと蹴飛ばして威嚇し恐怖でコントロールしたくもなる。
ただ、こういった暴力で他者をコントロールした場合。一番みじめになるのは介護者である。なぜならば、暴力を振う利用者に自我を支配されているからである。この情けない状況に介護者の自尊心が崩れ去るからである。
自制心というスキルを発揮する
こういったケースは、無暗に構わない。そして介護に執着しない。対象利用者に執着しない。ぎゃーぎゃー言う利用者に対して適切な距離をとるという方法が一番いい。
適切な距離は、その状況(介護者の精神状態)によって、距離感はリアルタイムに変わる。
自分がカッとなって頭真っ白になったとしたら(たとえ一瞬であっても)、距離は大きくとり、執着を手放す事が大切。
- 利用者と距離をとれ(精神的にも物理的にも)
- 執着を手放せ!
この距離をとらず、介護への執着を手放せずに対応をすると、いっきに自我を利用者に支配されてしまう。自我を支配され理性のバランスを崩されると、感情に感情で反応するという結果になる。
そうなると・・・説明するまでもない悲惨な状況に追い込まれる事になる。これが虐待の入り口である。
真面目な人ほど危ない罠
真面目な人ほど責任感が強い。責任感が強い人ほどこの虐待の入口を超えてしまう。心から介護をする人ほど反動が強く虐待に向かってしまう。
自分の心を傷づけて、心身燃え尽きてゆく。理性のバランスは、一過性から慢性化して、暴力を受け入れ許す事になる。
虐待は自分を虐待している行為そのものであり、それは自身の自己破綻に繋がってゆく。
- 責任感の強い人ほど巻き込まれる。
- 理性のバランスを崩した時が要注意。
- 暴力に暴力で返す事は自己破綻に繋がる。
他者に支配されない
課題の分離を行う事が必要である。相手が介護抵抗をしたり、暴力を振ったりして、自信の人格を汚してゆくのは相手の課題であり、自分の課題ではない。
自分の課題ではないので、踏み込まない。介護抵抗をして暴力を行う事を正す事はしない。
ただ他の利用者さんや、暴力で被害を被った時、および被害を未然に防ぐために、適切な対応をとるのは、介護者の課題である。
自分のルールをしっかりつくって、淡々と粛々と介護を行うべし。
- 課題の分離を行う。
- 自分のルールを作る。
- 淡々と粛々と仕事をする。