ざるそば

「今日はどこ行くんですか?」

中山(仮名)さんが夜勤明けの僕に言った。

「さぁ、家で掃除かな。今日は雨が降るだろ。」

「今日は曇りですよ。雨が降ったとしても夜からですよ。天気予報変わってますから。」

家族4人分の洗濯物を干すのに、しっかり天気予報をチェックしている中山さんは、縁の下の力持ちだった。たぶん中山さんが旅行にでも行ったら、家庭は大混乱だろう。

「そうか。今日は曇りなのか。」

夜勤明けで、体力に不安があるけど、バイクで遠出してみるか。

僕はスズキのSV650を車庫から出してエンジンをかけた。V型2気筒から気持ち良いエンジン音が唸った。

目次

目的地

名阪国道を駆け上がっていた。名阪国道は千日道路と呼ばれて、1000日で作る事を目標に突貫工事された道路だ。山の間を強引に道を通したから急カーブが多い。

昔は名古屋に向けてこの道をアルファードでよく走った。名神の単調な道より、カーブや起伏が多い名阪のほうが運転が面白かった。

バイクで走ると迫りくるトラックだらけで、バイクの存在感は米粒みたいになる。しかも急カーブと坂道を重機を乗せたトラックが車線変更をして走るので、まるで像の群れの中に紛れ込んだ鹿のようだった。視界がトラックに遮られ圧迫感があった。ツーリングの風を感じる暇もない。

バイクの名阪国道での死亡事故は、車の5倍になる。胸が締め付けられるぐらいの緊張感のあるツーリングだった。名阪国道の伊賀インターを出て、そこから山道に入っていった。視界が急に開けて、草花や木々が流れだし、田畑の良い香りがした。

やれやれ、やっと窮屈なツーリングが終わった。

ここから山道だ。峠をいくつ越えるかわからないが、ここからの道は呼吸が出来る。木々が過ぎ去り、晴れていれば木漏れ日がキラキラと彩るハズだったが、あいにく今日は曇りだ。それでも緩やかなワインディングロードは、呼吸を落ち着かせてくれた。

土の香りが鼻腔をくすぐった。

しばらく行くと霧の中に入っていった。霧が肌を這うように滑り、そして小さな水の粒がいくつもメガネに浮かび上がった。次第に霧だったものが雨粒になり、降ったり、そしてやんだりと雲行きが怪しくなってきた。

気温も現地の気温計で19℃と表示されて、冷たい雨と風が、さらに体感温度を低くした。木々の間から見える山々の間には、這うように雲が形を変えてかぶさっており、さらにその奥には、厚い雨雲の層が重くのしかかっていた。この先をゆくと、ここよりも強い雨が降っていそうだった。

雨の中に進路をとるのはキツイなぁ、寒いしな・・・

そう思った僕は、バイクをUターンさせて、来た道を帰る事にした。伊勢は諦めよう。名阪国道に戻って、次の事を考えたらいい。

そういうわけで、目的地が消えてしまった。


行かない

山道を引き返して、何度かの分かれ道にも迷わず、順調に戻っていた時だった。

あれ? あれれ?

ある看板が目に付いた。それにはこう書かれてあった。

そうぞの森さるびの温泉 あと4㎞

あぁ、そうか、この道か。この道だったのか。

と思い出した。僕はかつてさるびの温泉を訪れた事があった。あれは伊吹山に登ろうとしたときだった。

「ねぇママちゃん。NHKでやってたんだけど、伊吹山って高山植物がキレイだって話だから、今度一緒に行ってみない?」

僕は妻を誘ってみたが返答はそっけないものだった。

「腰が痛いからいかない。」

妻とは昼ご飯を一緒に食べにいったりしていたが、この頃は僕の誘いに乗ってこず、どこかに行くにしても僕はひとりで行動していた。大阪の金剛山に登った時も、兵庫の六甲山も、徳島の剣山も、奈良の大台ケ原も曽爾高原も。

「腰が痛いからいかない」っか・・・。

僕は、どうする事も出来ずに、アルファードを運転して伊吹山を目指したのだった。そして、アノ時も、走って来た名阪国道で、見事に、渋滞して、止まってしまった・・・・。

つまりは目的地につけなかった。

せっかくの日曜日にここまで来たんだ。なにもせずに帰るのは勿体無い。スマホで検索をかけると、近くに温泉があるようだったので、ナビをセットして車を走らせた。

それが、そうぞの森さるびの温泉だった。

そうか、この道だったか・・・

目的地変更

このまま突き進んでも雨の中、寒さで楽しめないだろう伊勢神宮行きは、諦めて目的地変更になった。

そして、そうぞの森さるびの温泉に向かう事にした。

懐かしい再訪だった。ゲートのアスファルトの張り替えをしているようで、今日は日曜日だったから、工事自体はしていなかったのだけど、入口にバリケードがあったので改装休業中かと思ったが、ゲート前に「営業中」の札がかかっており、矢印で「入口はあちら」と書いてあった。

さるびの温泉の建物前に、以前来た時には盆踊りのやぐらが設置されていた。まるで昨日の事のように覚えている。建物内に入り、券売機で入浴券を購入し、そして長い廊下を登ってゆく。車いすでも上がれるという緩やかな勾配ある、長い長い廊下なんだけど、「これって必要?エレベーターつければいいんじゃない?」と思ってしまう。

そして浴室内に入ると、地元の人だろうか?7名ぐらいの高齢者が温泉内で寝ていた。というのも、温度が36℃なのでぬるいのだ。

そろっと足を入れるとぬるい。有馬温泉だったら足を入れたとたんに、痺れるぐらいの熱さなのだけど、源泉がこの温度なのだろう。ぬる~い感じで、いつまで温泉に浸かっていても、ぬる~い感じで身体がふやけてくるぐらいの時を、ぬる~い温泉で僕もウトウトしていた。

意識がふっと切れて、カクっと首が落ちると、湯船に顔がつかり、驚いてハッと目が覚める。その繰り返しを何度したことだろう。

外は霧雨が風を受けて降っていたのもあり、身体は冷え切っていた。そのまま36℃のかけ流し源泉に浸かっているので、身体は温まるどころか、いつまで浸かっていても身体のこわばりはとれない。

まいったな・・・こんな感じだっけ?

以前来た時とはあからさまに違う雰囲気に、辛抱たまらず湯から出た。とたんに肌に鳥肌が立つ。

だめだ・・・寒いわ・・・

こんなだったかな?と記憶を掘り起こしつつ、僕は露天風呂に出たが、そこは霧雨の冷たい世界で、やっぱり心温まる温泉とはほど遠く感じた。

マジでこんな感じだっけ?

確か温泉のお湯が飲めるハズだったけど・・・っと思いながら、源泉かけ流しではない大浴場に入ると、室温が急に上がった。

あぁ、ここだっと思い浴槽に入ると、凍え始めた身体が沸かした温泉に、ホッとして細胞が喜びはじめた。やっと温泉で温まれると安堵して、冷えてしまった身体をほぐしたのだった。

身体が余裕を取り戻してきて、視野が広くなってくると、いたるところに当時とは違う寂れた感に気がついてきた。サウナは「調整中」と書かれた札が貼られて灯りが消えている。そして飲泉場は、なにかテープが張られていて飲む温泉は出ていなかった。

そうか、当時からもう7年以上も経つのだ。時間がいろんなものを変えてしまっていた。

そういえば、備え付けの食堂で、当時はざるそばを注文して食べたな、っとふいに思い出した。朝ごはんしか食べていなかったし、伊勢うどんを食べるつもりで伊勢を目指していたのだけど、この雨で伊勢うどんは夢に消えたし、当時を懐かしんでざるそばを食うかっと思った。

が、しかし、食堂はやっていなかった。厨房に調理人らしき人はいるのだが、準備中と書かれた札が立てられており、14:00で終わりらしかった。

なんだか残念に思った。

ここでざるそばを食べたんだ。そしてこの「ざるぞば」は想い出の一品だったから。

どこにでもあるような「ざるぞば」の味だったんだけど、僕にとっては記憶に残るものだった。

心残りを後にして、このまま家路についた。


ざるそば

そうぞの森さるびな温泉を後にして、家路についた僕は、動画編集をしていた。

僕はYoutubeチャンネル「ライカー副長の動画」を開設していて、それにアップするために撮影してきた素材を編集していた。

「ねぇ。これ見てよ。」

僕は出来上がった動画をノートパソコン画面に映して、娘の前に持って行った。

「なにこれ?」

娘は、スマホから目を離し、僕を見上げて言った。

「今日の動画を、FaceRigでアフレコを入れたんだよ。バーチャルおばあちゃんを真似してみたんだけど」

と、当時としてはまだ珍しいVTuberをした動画だと僕は説明した。

「パパ、なにやってんの・・・」

娘は呆れていたが、僕の作ったさるびの温泉の動画を、興味のなさそうな表情をしながらも、ノートパソコンの画面を眺める。

「なに?飲泉1日1杯のところ、3杯も飲んだの!大丈夫??」

興味がなさそうなくせして、きっちりとコメントをくれるあたり、とても優しい。

頼まれると断れない性格で、とりあえず観てくれる。そのくせ分析は怠らない。短く端的に本音の意見をくれる。娘が小さい頃から僕は親バカだったから溺愛した。もしかしたら僕は、未だ子離れ出来ていないのかもしれなかった。

観終わったとたんに、少し歯を出して笑い、画面を指さして言った。




「この最後のざるそばのシーンいる?」




今でもこのセリフを思い出して笑ってしまう事がある。





そうぞの森 さるびの温泉

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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