息子の仕事
仕事の日々の業務のなかで打ち込み作業があります。この作業を息子の仕事として作ったわけですが、16:00~18:00の労働時間ですが・・・来ない。病気したり、忘れていたり、遅刻したりで普通のバイトなら試用期間で契約終了という案件です。
今日も遅れてきたと思ったら進路の相談となり仕事は明日へ持ち越し。
進路相談では「今やりたい事がない」という事なので「それなら面白そうだと思う事をとりあえずやってみろ」とアドバイス。面白いの先に夢中になりやりたい事に繋がっていきます。
しかし、具体的に進路の方向性が定まってくるにつれて、ママと話をしないと決まらない事があるのだけど、息子を通してやり取りするのはとても不便があります。離婚後も話を出来る環境を整えておかないと子どもたちに害が及ぶのだなぁと実感している次第です。
責任者の後任について
デイサービスの責任者がそろそろ交代といった感じです。なんの事前情報もなく責任者候補が「9月か10月に責任者になりたいです。」と言ってきたために話をすることになった。
- 現在の責任者の顔を立てないといけない
- 交代の時期を10月にして時間的余裕を確保したい
- 新任責任者のやる気を削がない
突然のフリでなんの準備もしていなかったのもあり、かなり構えながら言葉を選びながら話をしました。その時にボクは新任責任者の事を苗字で〇〇さんと呼んでいたのを「あなた」とか「あんた」とか言って話していたようです。
そのたびに傷づいて悲しくなったのだとか。
そこ?そこですか??
苗字で〇〇さんといつも呼ばれていたのに、いきなり「あなた」と言われて「私が責任者になるのが嫌なのかな?」と悲しかったというのです。
今日改めて話をして誤解が溶けました。
あのね、そんな大切な話を切り出す時は、事前に話をするのを教えといて。ボクは責任者の顔を立てながら話すから、わかりました交代ですね。じゃぁお疲れ様とは言えないじゃないの。
頭フル回転で考えながら話すから、口調まで気がまわらないよっと互いに笑い話せました。
言葉遣いってむつかしい
ふたりの常識
社会的な常識だったりを振りかざして相手を批難する事ってDVにあたるんですけど、それを反省しながら、別れた妻へ手紙を書いていました。
内容は息子の進路の報告だったのですが、だんだん気持ちが高ぶってきまして、まぁいらんことまで書いてしまいました。それも人間臭くてへなちょこぶり発揮ですが、ありのままの自分を表現するのが相手への誠意だとも思います。
飾ったら伝わるものも伝わらない。というか、マジで関係が悪化している時は全部が裏目に出るので、悪く悪く捉えられるんだけどね。たぶんこの手紙の真意も伝わらない。完全に裏目に出ると思う。
子どもの進路の話にふたりで話し合う事が出来ない環境ですが、手紙を書いていてふとわかりました。そうかこれがふたりの常識なんだと。
わかった途端に気持ちが軽くなり、今の相手の現状を受け入れるって事が未だに出来ていなかったんだなぁと少し反省しました。
毎日ギリギリの体力
スタッフが帰った。がらんとしたデイルーム。ここで気持ちが一気に抜ける。ふぅと大きく息を吐き背骨を丸めうなだれる。目をつむって体の感覚を感じていると体のあちこちから痛みを感じる。
気が張っている時は気がつかなかった体の疲労がどっと自己主張しだす。いつもこのタイミングで動けなくなる。人と話す事が苦手なボクは、他人がそばにいるとリラックス出来ない。ずっとストレスが溜まり続ける事になる。
誰もいないデイルームで心身の力が抜けてゆくのを感じながら、やっと自由をかみしめる。クタクタ。もう動けないわ。毎日ギリギリの体力で乗り越えて、仕事が終わりホッとする。
自分らしい生き方
今日は、祭りに関することで少し葛藤があった日でした。正直なところ祭りが好きではないし、好きでもない事を続ける価値も感じられない。自分自身を無理して合わせて頑張った日々は懐かしいが、再びその日々を繰り返そうとも思っていません。
そんな中、祭りを辞めるキッカケがあり、辞める決断をしました。好きでもない祭りに自己犠牲を伴いながら他人の期待に応える事に、なんの意味があるのだろうと疑問を感じたからでした。辞めた時は仲間から引き止められて自分の決意を大いに揺るがされましたが、なんとか踏みとどまり辞めて2年た経ちます。
しかし、今日は思わぬ出来事があった。以前関わっていた祭礼団体から、再び祭りに参加しないかと声がかかってきたのです。正直なところ、その誘いには戸惑いました。更には自分の気持ちが揺れ動いているのも感じました。一度は祭りを辞めた理由があるのに、再び関わることになるのはどうなのだろうか?祭りの中で奮起している自分を想像して腹の底から熱いものがこみ上げるのも感じました。
気持ちが複雑なまま、返答をあいまいにしました。もちろん、その場で即答するつもりもありません。自分の気持ちを整理し、冷静になる必要があったからです。酒の席で勢い任せて返答するのはとてもリスクがありました。祭りに参加することで大きくその後の人生が変わると思っているからです。
そして、次の朝に目が覚めてやはり祭りには戻らない方がいいという結論に至りました。自分の心が揺れ動くのは、過去の思い出や周囲の期待に影響されている部分もあります。また他人の期待で自分の存在価値を確認するという承認欲求の奴隷になっている。大切なのは承認欲求で生きる事ではなく、自分の気持ちを尊重することだと思いました。冷静に考えれば、祭りが得意ではないことは自分自身よく知っています。だからこそ、自分が本当に幸せを感じる道を選ぶべきだと思います。
今回の事は、自分の気持ちに素直に向き合えたこと、自分の幸福を優先し、自分らしい生き方を大切にしていくことが大事だと再確認した日でした。
大事なのはみんなで働く事
ぱどで求人広告を出して面接したときの話をシェアしようと思います。
すべての判断基準が良し悪しで考える人
求人広告を出したら反応が多くて、問い合わせがたくさんありました。その中のひとりの人の話が特に印象的でした。その人は、前の仕事で友達とトラブルがあったことを話してくれたんですけど、なんかずっと自分の話をしていて、自分は悪くないと主張していました。
採用ってのは、新しい仲間を選ぶ大切なイベントなので、相手の人柄を限りある時間内で見極めます。
- この人は自分だけで働いてきたんだな
- 自分が正しい事に固執する性格なんだな
- 思い込みが激しい人だな
で、責任者と現場スタッフと相談してその人との採用をやめることにしました。
プライドが高すぎて関わりが面倒くさい
その後、その人に電話で不採用の連絡をしました。
- 条件が合わなかった
- あなたの資質には問題ない
この2点に注意しながら、あなたに落ち度は無いという事をを伝えながら不採用の返答をしたら
どんな条件がダメだったんですか?
と食い下がってきました。
え?それ聞くんだ
ちょっとびっくりして、「週3日という勤務条件が合わず、週5日働ける人が応募してきたので」と伝えると、すごく怒った口調で
私、他でも面接を受けているので、今回はお断りします!
と、向こうから断ってきました。なぜ怒るんでしょうか。そしてなぜ不採用を伝えているのにその上から断り入れる必要があるんでしょうか。そもそも条件の折り合いが悪かったという話で折り合いがつきそうなのに、その詳細を聞きだして感情を剥き出しにしてくるあたり面倒な人だなと改めて思いました。
- 私を不採用にするなんて許せない
- 私は悪くないのになんでこんな目に遭わなきゃいけないの
と思ったのではないでしょうか。
彼女を傷づけるつもりは無く、事務的に「不採用でした」を伝えたかっただけなんですが、彼女のプライドや感情に触ってしまったようだったので、ボクはすかさずフォローを入れました。そのうえで彼女の強みを伝えて適職を提案してみました。
- あなたは親身になって介護をする人だと思います
- ひとりの利用者さんに丁寧に接する人だと思います
- この2点からマンツーマン介護があなたの適職だと思います。
つまりデイサービスの応募ではなく、訪問介護のほうがあなたに合っていると思うのですが・・・
すると彼女は
「あなたにそのような事を云われた事をこちらでもメモしておきます」
と言い出して、ボクも何がなんだかわからなかったんだけど、「証拠を残しておきます。そして訴えます。」とか言い出しかねないなと思ったので彼女の言葉に深入りせず電話を切りました。
改めて不採用にしてよかったと思った
しかし、なんでこんなに面倒くさい会話になったんだか。
たぶんすごく仕事が出来ると思っていて、それを分ってくれない人は私の事を正しく評価してくれない悪い人だと思っていて、そんな人が私に不採用だと伝えてきて、私はとても傷ついていて許せないという想いが強いんでしょう。
こういった人と一緒に仕事をするとなると、いちいち彼女のプライドに配慮しなくちゃいけなくなるので、一緒に仕事をするのは難しそうです。チームでうまくやっていくためには、その人がトラブルを起こしたとしても、カバーし合う良好な人間関係が大事になってきます。
彼女の性格では良好な関係づくりは無理でしょう。チームをかき回して他のスタッフのモチベーションを落としてゆくののだろうと予想できます。
その人との採用をやめたのは正解だったと改めて思いました。チームがうまくいくためには、時には嫌な事を伝える事もしなきゃいけません。
新しい仲間を選ぶことは、ただ能力だけじゃなくて、みんなで働けるかどうかも大事なんです。
責任とは何か?
ボクの部下が会社を辞めるという決断をしました。
部下は、仕事に対して飽きを感じていました。毎日同じ業務に疲れを感じ、モチベーションが低下していたようです。その原因が直属の上司にあると感じているようでした。
だからボクは「他の人や環境のせいにするな」「成果を上げて存在価値を出してから辞めろ」「逃げるような辞め方は次の職場にいったとしても同じ事の繰り返しになるぞ」というアドバイスを7月の終わりにしています。
しかし彼は自分の気持ちに向き合う事なく辞めるという選択をしたのでした。
部下とはツーリングに一緒にいったりする仲だったので、親しく話せる間柄でしたが、所詮は経営者と雇われの立場。視座が違うためにアドバイスは響かなかったようです。
結局部下は「成果を上げてから会社を辞める」というアプローチも出来ず、自分の存在価値を会社に示す事ができなかったばかりか、成果を出せない原因を環境のせいにしました。変わる事はなかったようです。
ボクのアドバイスを無視し、自身の考えに従って行動を起こし、彼は今日、辞表を提出しました。そして直属の上司はその辞表を受理したとのことです。
彼と直属の上司は学友であることから互いに甘えがあったのだと分析しています。互いに解って欲しいと思い合い、互いの自己主張だけがぶつかり合い、なんとなく今までは仲直りできていたのですが、今回は互いの意地と意地が収まるところに収まらなかったのだと思います。
ボクは率直に言って、彼らの決断に対して残念な思いを抱いています。雇用関係以前に友人関係があるのでボクには入り込む余地がなく、見守るしかなかったわけですが、本当に残念です。
- 仕事において直面する葛藤
- 葛藤との向き合い方
- 冷静な選択の難しさ
強みを活かせず弱みを把握していないゆえに自分の出来ない事ばかりに執着する原因になっている。結果的に逃げてしまって、逃げた理由を他人や環境のせいにしている。ネガティブ思考に囚われてしまって嫌々病にかかり冷静な判断が出来ていない。ゆえにどんな他人の視点やアドバイスも耳に入らない。
それでも彼はもう大人なんです。だから最終的な決断は自分自身で行うべきものです。
どの選択をするにせよ、自分で下した決断には責任を持たなくてはならないと思います。責任とは決断に対する結果を受け入れるという事です。
彼らは自分の下した決断に対しての結果を受け入れる器量があるんでしょうか。結果に対して不満や愚痴を言い続けるのであれば、単なるワガママなんです。
ボクにはその器量が備わっている決断だとは思えないわけです。単なる甘えで言ってみたはその結果を受け止める責任ある言葉だとも思えないわけです。
なんて馬鹿な決断を口にしてしまったんだろうと残念です。
台風7号
台風7号です。やってきました。この台風が来てくれてデイサービスの営業が中止になり、スタッフを全員休ませました。
8/15は市民病院の通院の日でしたが、人員が足らずに通院キャンセルの見込みでした。ですが台風7号がやってきてくれて休みになった。
だから台風のなか通院できるわけです。
だらだらと寝たり起きたり。風が強まってくるにつれて窓ガラスが「バンッ!」と音を立て、自然への畏怖で起きてしまいます。
目が覚めてトイレに行く。そして水を飲み布団に戻る。そんな繰り返しでダラダラと寝ました。朝5時ぐらいに起きて外が明るくなってきた頃合いに空を見上げると台風が接近しているのを感じます。
台風7号が真上に来るのが朝9時です。
昼前まで寝てました。仕事のプレッシャーから解放されて寝てました。
これがボクにとっては最高の休暇です。台風7号はボクにお盆休みをプレゼントしてくれました。
努力の意味をはき違えるな
底の浅いレイヤー1の努力
ボクの中には鬼が住んでいます。この鬼は安定を求めて「変化」を嫌う生き物です。変化のある所に鬼は住めないらしいので、絶えずボクは変化のある環境に身を置いて鬼を封じ込めています。
みんながしているからとかする。
周りが言うからする。
さして思考する事なく今までと同じように努力を重ねる。
これが底の浅いレイヤー1の努力。
レイヤー2の努力
考えて取り組む。今の自分を磨くために「やってみては辞めて」という繰り返し。外から見たら何も変わっていないように見えると思います。「お前は何をしているんだ?」と思われるかもしれない。
だけどボクのなかでは日々トライ&エラーを繰り返して、自分の歩む道を探し続けています。これを努力だと思っています。誰に何を言われようと自分の道は自分で探す。
他人が言うからしているといった努力は底の軽い努力。考えて考えて、実行して実行して、戻ってみたり、進んでみたり、違う道をみつけてはチャレンジしてみたり。
思考に裏付けされた小さな努力の積み重ね。
これがレイヤー2の努力だと思っています。レイヤー2だからレイヤー1の下の階層。だから他の人には見えない努力なんです。
承認されない分、認められない分、苦しいのですが自分を信じるのを忘れないで。
自分の立場を理解しながら仕事をする
デイサービスの看護師が自分の考えを主治医へ手紙を書く。
- 2週間分のクスリを1カ月処方してほしい
- 転倒して打撲があるのでシップを処方してほしい
正しい判断です。正しい判断ですがこのままの仕事をするとチームとしてはNGです。
薬を処方するのはお医者さんの仕事。そのお医者さんとの人間関係が無い中で、看護師が医師に指示するような手紙を書くと相手の気分を害します。すると後の仕事がしにくくなります。
なので、人間関係が出来てない場合は、医師の職域に踏み込まないというセオリーを守る必要があります。
- 家族が通院に同伴する時間がなくクスリが足らなくなる時があります。
- 転倒して打撲をしています。痛みを訴えています。
と、事実のみを手紙に記載し、後の判断は医師の仕事と割り切ります。
1カ月分のクスリの処方に変更してくれるのか、シップを処方してくれるのかは、医師の判断になってきます。
これならば医師の職域に立ち入る事なく、医師のプライドをつぶすことなく、互いの役割を尊重した関わりでトラブルに発展することはないでしょう。
- 2週間の通院はそのままでした。
- シップではなく軟膏が処方されました。
現場からは以上です。
飲み倒して電車で寝て降りる駅を通り越して
それが終電だったので歩いて帰りました。
飲んでいた相手は仕事仲間です。
飲みの話でも食い違うのは経営者と労働者の視点です。仕事仲間で話をするとどうしても壁が見えてきます。経営者と労働者という壁です。
一緒に飲んだ仕事仲間は職場を去ります。仕事を辞めるわけです。感情に任せて「辞める」と言ってしまって辞めるわけです。
これは彼の選択なので、彼の自由意志なので、自由な選択を行使すれば、もちろん結果を受け入れるというのが自由への責任な訳です。
彼はそれが出来るのです。
しかし僕は感情に任せて「辞める」とは言えません。なぜなら労働者を抱えているからです。僕が感情に身を任せて「辞める」と言ってしまえば巻き込まれる労働者がたくさん出てきます。
だから僕は誰と喧嘩したとして感情に身を任せる事態になったとしても「辞める」とは言えないわけです。
これが僕と彼の立場の違いなのです。