今日は朝から書類仕事。
介護職員処遇改善加算と、介護職員特別処遇改善加算の報告書に取り掛かっていました。締切が今月末なのでギリギリです。(なんでこうなる)
毎年の事ですが、現場仕事で忙しいので自分の仕事が後回し。結局、仕事はたまりにたまってギリギリに取り掛かることになるのです。
昨日、デイの責任者から
と言われたので、すっかり甘えてしまった。朝から書斎にこもって集中させてもらっている。
第2波で流れが変わるかも
なのにだ・・・なのに、頭がぼーっとして、なんか思うように仕事がはかどらない。6時間かけてやっと書類を仕上げられた。(どうなってるんだ・・・)
そして次の仕事をこなしたいのだけど、後頭部からおでこにかけて何かつまっているような感覚で集中力も思考力も低下してきた感じなんです。時期が時期だけに感染したか!?と不安になってきます。
去年8月にうつ症状に陥った。あの時の脳の感覚と似ているのだけど、今回は思考力だけはまだまだ残っている。だからこうやってブログ(日記)を書いているんだけどね。
新型コロナでスタッフと向き合う日々
再びスタッフが不安に感じているので、毎日毎日をスタッフの心に向き合う。相手の心に目を向けて、相手の気持ちに寄り添い、相手の安心を作ってゆく。これは人権意識になる。
相手の人権を尊重し、自分の人権を尊重する。そのために相手の心に配慮する。これを学んだのはカウンセリングだった。それでもココまでの道のりは紆余曲折でデコボコ道。曲がって進んでは、道は行き止まりで、そして戻っては下り階段で、そしてまた上がっては進む。成長のプロセスはエスカレーターのようにはいかない。
成長のプロセス
カウンセリングを受けていて人が変わってゆくプロセスを学んだ。
- ショック期(自分の価値観が揺るがされる)
- 自己否定(自分を責める)
- 建設期(変化の手ごたえを感じる)
- 再出発期(現実の受容・再構築への歩み)
大きく分けてこの4つのプロセルがある。この①のショック期でどれだけ大きなダメージを受けたかでその後の変化が決まってくる。
そして変化は一筋縄ではいかない。①~④とスムーズに変わってゆくわけではない。その間に進んでは戻り進んでは戻りの繰り返しで変わってゆく。
具体的に書くと、
①ショック期
ボクの場合はうつ症状と解離性健忘症が発症。アイデンティティの欠如で自尊心がズタボロになり、自分を見失った結果だった。そして社会的な孤立を経験する。拡大解釈ですべての人に嫌われている、すべての町民に後ろ指を指されていると感じはじめて人を避けるようになった。
正しい間違っている思考で、自分は間違っていない。と葛藤をし自分の考えへの執着から逃れられず、同時に現実を突きつけられて自己否定を繰り返す毎日だった。
②自己否定
自己否定をし続けた結果、助けを求めてカウンセリングを受ける事を決意し、そこで人権意識を学ぶ事になった。この閉じられたコミュニティーで居場所を見つける。
自分が壊れた時の社会復帰の道は、閉じられたコミュニティーが役にたつ。同じ苦しみをもった人たちが集まり、互いに力を分け与えながら自己否定から自己受容へと受けながら、カウンセリングで新しい価値観を身に着けてゆく。
今までの価値観が崩れて消え、再構築へ向けて学ぶ日々に充実感を感じながら、過去の出来事の振り返りで、自分の価値観のゆがみを発見をしては、新しい価値観を自分に植え付けてゆく。
③建設期
カウンセリング参加者の体験を聞いては、自分の価値観のゆがみを照らし合わせて互いにアドバイスしてゆく。そうして身に付き始めた人権意識に、再び自分の存在意義を見出しはじめ、さらなる人権意識への興味が出てくる。
ここらへんから、人格向上を目指すようになる。人権意識も時代と共に変わる。その変化についていけていない時代遅れの価値観が見えるようになってきたら、あらゆる分野で時代に追いつこうと目を向け始める。
ビジネス書を読み、自己啓発本を読み、オンラインサロンで若者の考えを触れて時代の考え捉え方を学び始める。自己啓発本でアドラー心理学「嫌われる勇気・幸せになる勇気」これに出会ったのが更なる変化を促してくる。
課題の分離を学んだのは大きかった。相手の課題と自分の課題を切り分けて、相手の課題を責めず、自分の課題に集中して取り組みはじめた。
そして人生のタスクが人間関係だと学ぶ。新しい交友関係を持ち、相手にとって自分は何が出来るのか?という視点で付き合い他者貢献を培う。それが自尊心に繋がり、承認欲求を必要としない自己肯定のある自分をカタチ作ってゆく。
④再出発期
パートナの目的や想いに応じ、パートナーの自由を尊重して決断する。そして再び自分の課題に向き合いパートナーと子どもたちに何が出来るのか?という視点を持ち、これからの険しい道のりを覚悟する。
それは前に進んだと思えば、また戻っちゃうっていう事の繰り返しで、その過程を何度も何度も経験しながら変わってゆく。①~④のプロセスで、①の時であったり、③であったり、②と④が混ざっていたりで、ぐるぐると感情の変化と混沌のなかから道をみつけてゆく。
ぐるぐると回って螺旋階段
これを螺旋的な成長というのだそうだ。④まで進んで、再び①に戻ってしまったとしても、最初の①とは違い、一度④を経験してからの①なので更なる理解が深まる①である。ちょうど螺旋階段を上っているように、同じ位置に戻ってきても、ひとつ階を上がっての①であるという。
螺旋的な成長は、葛藤をし続けながら価値観を育ててゆく事であり、変わろうとする事を習慣としながら継続し続けてゆく。そしてこれにはゴールはない。死ぬまで学び続ける事になる。
自分を高める事に力を注ぎ、パートナーと子どもたちを気に掛けながら、前へ進もうと思う。
あとがき
とにもかくにも、頭のぼーっとするのと、集中力がないのは困ったもんだと思う。もしかしてコロナに感染したか・・・と不安になる。
そろそろ書斎を片付けて夜勤の用意をしないといけないので、一旦この日記を書くのを中断する。
今日の晩ごはんは、揚げ出し豆腐をつくった。写真を撮るのを忘れたけど、揚げ物料理が上達してきた。写真撮るの忘れたのは痛いなぁ。
頭痛も頭のぼーっとしたのも収まって快調。いったいなんだったんだろう。今日の体調の悪さは。
さて、利用者さんも寝たし、後は片づけて明日のカウンセリングの資料を読み込んでおこうと思う。家の飲みビールもやめれたし、朝の早起きも習慣に出来たし、整理整頓はもう少しだけど、資産管理も習慣化できたかな。後はいろいろと良い習慣を作るために習慣作りの知識を学ぶ。
明日も違う自分に会えるようがんばれ。