日本プロボクシング協会が2010年(平成22年)に制定。
昭和27年、世界フライ級タイトルマッチで白井義男がチャンピオンのダド・マリノ(アメリカ)に15回判定勝ちし、日本初のボクシングのチャンピオンになりました。
白井義男
小学生の頃に露店でカンガルーとボクシングをしました。負けました。ボクサーを目指すようになります。
プロボクサーになり8戦全勝。ですが海軍に従軍。
腰痛で引退しようと思っていた。
アルビンRカーン
終戦直後
GHQのマッカーサーが戦後の食糧事情改善のため、アメリカから専門家を呼んでいた。
その一人が「アルビンRカーン生物学博士」
- 魚介類とタンパク源確保の研究の依頼で来日
- 日本の東京築地の魚や貝を調査していた。
出会い
いつもと違う道で帰ったら「日拳ホール」というボクシングジムを見つけた。
- 防御など全くせず攻撃のみ。
- 2発受けたら3発返せという根性論。
- 玉砕戦法。
- 野蛮な喧嘩に見えた。
そんな中、白井を見つける。
体は貧弱でパンチも強くない。しかしフットワークがあった。
毎日、そのボクサーの練習を見に来た。
カーンを通訳を連れてきた。
「あのチャンピオンの名前はなんていうんだ?」
「あれは使い物にならないボクサーだ」
日本人たちに笑われカーンは怒って
「君たちの目はふし穴か!彼は絶対に大物になる!」
そして白井に近づいて云った。
「どうかね。一緒にやらないかね。」
ノーサンキュー「結構です」
カーンは頑固で引き下がらない。運動生理学としてこんな良い実験はない。白井は私の最高のモルモットだ。と毎日おしかけて一方的にトレーニングしはじめた。
2週間後の試合。わずか2ラウンドでKO勝ち。
カーン博士のトレーニングを受ける。博士はこのボクサーがどこまで成長するのか興味をもつ。
トレーニングが始まる
目下の課題は、パンチ力とスタミナの克服だった。
スタミナをつけさせる。牛肉を山ほど食べさせる。
相手に1発の打たせず自分だけが打つ
基本動作の繰り返し
- 左ストレート。
- オンガードで防御するだけ。
日本フライキューチャンピオンに挑戦しよう。
ノーサンキュー
チャンピオンには弱点がある。右のボディーが空く。そこに左アッパーをたたきこめ。
勝てそうな気がしてくる。
花田陽一郎VS白井義男
第5ラウンド 日本フライ級チャンピオン
ますます燃え上がるカーン
次は日本バンダム級チャンピオンに挑戦しよう
ノーサンキュー
スピード 10:7
パンチ 10:8
フットワーク 10:7
ディフェンス 10:7
実は暗示をかけて勝てると思い込ませるメンタルトレーニング
堀口VS白井
10ラウンドの死闘。判定勝ち。わずか1年でフライ級・バンダム級2階級チャンピオンになった。
試合に勝ったご褒美で300坪の家を買い与えた。
白井を日本初の世界チャンピオンにする
実の息子のように思う。大切な家族。
世界チャンピオン戦にかけてみないか
ノーサンキュー
四葉のクローバーを手渡す
もう技術的に教えるものはない。勝つには幸運だけ。
ダドマリノVS白井
- 7Rで顎にクリーンヒットもらう
- 運よくゴングに救われる。
- 自分のコーナーがわからない
- コーナーで意識が飛ぶ
ウェィクアップ 起きるんだよしお
息を吹き返しそこから猛反撃
15R 判定勝ち
日本人初の世界チャンプが誕生!
私が偶然みつけたこの青年が、今ダイヤモンド以上に輝いている。
サンキュードクター