1924年(大正13年)に、東京市営の乗合バスが営業を開始したことを記念して東京都交通局が制定しました。
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都バスのスタート
前年の大正12年に関東大震災が起こっています。鉄道が大打撃を受けて復旧に時間がかかるため、バスでまかなおうとしました。これが都バスのはじまりです。
ほぼほぼトラックな都バスの取り心地が最悪で円太郎という落語家が馬車のマネをしたことで円太郎バスと呼ばれるようになった。
布張りの屋根をつくったり、窓をセルロイドで作ったり、立ち席で乗車定員を増やしたりして、営業利益はどんどん伸びていった。
事業計画の拡大
当初は3年計画で役目を終えるハズだった都バスは、事業が好調であったため、継続することになりました。
運転手だけのワンマン運行から、20代女性の車掌を採用し「赤襟嬢」とか呼ばれ、ライバル会社の東京乗合自動車の女性車掌は「白襟嬢」と呼ばれていた。
戦時中
昭和10年ぐらい。日中戦争で燃料不足に陥り、木炭車の導入をして燃料不足を乗り切るという時代もあった。軍事物資の輸送や燃料不足や人材不足もあり路線縮小してほそぼそと営業を続けた。
戦後復興
戦後はアメリカ軍の余ったトラックを割り当てられて、一気に運行営業が復活しはじめ、復興がすすむにつれて観光客が増加し、経営は一気に回復したようです。