防災とボランティアの日
1995年(平成7年)1月17日(火)に阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)が発生しました。防災とボランティアの日はこの地震をキッカケに災害への備えを図ろうと制定されました。
阪神淡路大震災
1月17日 5:46 淡路島北部、明石海峡を震源としてマグニチュード7.3の地震が起こった。
明石海峡は当時工事中でした。高さ300mある支柱を建設し終わったところで地震が起きました。当初の予定より1m広がりました。基礎が地盤を滑った形跡がない事から、地盤そのものが広がったと推定されています。
被災者の死因
- 地震当日に死亡したのは5036名
- 1時間以内に死亡したのは3842名(76%)家屋倒壊
- 1階がつぶれ2階は残っている
- 大学生が多く住んでおり20代の死者数が多い
- 31の大学で111名の死者数を出している
被害の少なかった建物
建築基準法が改正された後に建てられた超高層ビルは被害が少なかった。
学生が住んでいた木造建築のアパートなどは、1階部分がへしゃげて、2階部分がそのまま落ちた建築物が多かったそうです。
都市型地震で大都市を襲った災害
都市を直下で起こった都市型震災でした。都市型震災は、昭和19年の昭和東南海地震以来でした。
昭和東南海地震は
- 紀伊半島の熊野灘を震源
- マグニチュード7.8を記録
- 津波による被害もあった
- 死者、行方不明者は1223名
いなりの日
いなり寿司の日です。毎月17日は「いなりの日」
いなり寿司
江戸時代にはありました。江戸時代ぐらいからお寿司のお米にお酢を使うようになります。
稲荷神社
稲荷神社の神の使い。キツネの大好物が油揚げです。
おにぎりをお供えしてましたが、誰かが油揚げを巻いてお供えしたところ無くなっていました。キツネが食べたのではないかという噂が立って「キツネの好物は油揚げ」となり、いなり寿司をお供えしたそうな。
稲荷神社の由来は、「稲が成る」ということで五穀豊穣のご利益があるということです。ちなみに五穀とは、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多いそうです。
寿司の歴史
奈良時代から寿司があります。当時は「なれずし」で塩漬けの魚を、米につけて発酵させた保存食だったようです。
滋賀県の郷土料理で「鮒寿司」として残っていて、お米は発酵するので少し酸味があるようです。
室町時代になってから漬け込み期間が短期間になった「なまなれ」というお寿司が出来て、これが安土桃山時代まで続きます。織田信長や豊臣秀吉が食べていたお寿司が「なまなれ」というわけです。
江戸時代になり、江戸湾で捕れる魚をお手軽に出した料理。江戸前寿司が流行ります。大阪では箱寿司、岡山ではちらし寿司としてお寿司が出されるのです。