1903年(明治36年)日本初のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」がオープンした。当時は外国人専用で日本人は利用できなかった。このゴルフ場を作ったのはイギリス人貿易商のグルーム。現在は日本最古のゴルフ場となっている。
グルームの生涯
グルームが来日したキッカケは、グラバー商会で勤務するためであった。
長崎から神戸に来てまもなく、下宿先の善照寺の住職の紹介で、大阪玉造に住む士族の娘と結婚するのだった。夫婦中は「50年1日のごとく、いたわりあって信じあっていた」という。
神戸外国人居留置を訪れてオリエンタルホテルを買収して社長になる。当時は「東洋一の洋館ホテル」で大盛況だったが、最終的には日本人へ売却する。
神戸外国倶楽部のクリスマスパーティー泥酔して転倒し脳震盪。同じ新年会で再び泥酔して転倒して死亡する。
六甲市長
六甲山の開発に力を注いだのは、5男坊が狩猟が趣味で多くの動物を殺しまくっていたので、動物が多く住む六甲山を保護して罪滅ぼししようとした。
六甲山の1万坪を借り入れ避暑地として整備し、45坪ほどの土地に別荘を建てた。六甲山に建てた最初の人家で「101番屋敷」と呼ばれる。
ゴルフ場を建設して4ホールのコースが完成した。会員制のゴルフ場「神戸ゴルフ倶楽部」が完成した。
グルームは植林や山道を整備して、後にリゾート地として繁栄してゆく。六甲山を開発したことで「六甲市長」と呼ばれている。
ゴルフ場の会員権
80年に500万だったのが、5年後は倍の1000万になり、さらに5年後は9倍に跳ね上がっています。
・バブル景気時には2000箇所を超える建設ラッシュ。
・会員権は実際の相場より高くなっていった。
・プレイを楽しむ権利より投資対象と移り変わっていった。
・バブル崩壊後は価格下落が続き倒産が相次いでいる。
・現在は最安値(令和元年)
環境への影響
広大な面積で、植樹や芝生を維持しなければならない。
・農薬や除草剤
その結果、自然環境の破壊、水質汚染、薬剤汚染などが指摘されています。