旅の日
昭和63年「日本旅のペンクラブ」という旅行や芸術を愛する倶楽部。松尾芭蕉が奥の細道に向かって旅立った日にちなんで制定しました。
松尾芭蕉
江戸時代前期の人物
伊賀の国の小さな豪族の次男坊として生まれたといわれています。
身分は農民で暮らしは貧しく、藤堂藩のある侍大将に仕え厨房で生計を立てていました。
藤堂高虎を藩祖とする藤堂藩には文芸を重んじる藩で、俳句を学び始めた。
京都の北村 季吟(きたむら きぎん)に弟子入りして俳句を学びました。
最古の俳句
春や来し年や行けん小晦日 (はるやこし としやゆきけん こつごもり)
これは19歳の最古の俳句で、立春が29日にきたよ。でもこれって新年?それとも去年?よくわからんなぁ。という意味らしい。
伊賀天満宮(文芸・学問の神様)で俳句が選出されて認められる。これがキッカケで28歳。江戸へ出る。
お仕事
プロ活動の傍ら、水戸藩の防災用水の工事に携わる。
働かずに俳句ばっか読んでる売れない俳句師時代
江戸で俳句の免許皆伝をとるのが33歳
松尾芭蕉の誕生
俳句の世界は、師匠がどれだけ弟子をとれるのか?日本橋界隈で俳句の世界があった。(芸能界みたいなもの?)
ほとほと嫌になった芭蕉は、日本橋から深川に移り住む。
弟子たちが慕ってついてきてくれる。その時に植えたバショウの苗が見事な葉をつけた。
松尾芭蕉と名乗ることになる。
奥のほそ道
45歳で出発。
出発1カ月目の俳句は
夏草や兵どもが夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
夏草が生い茂っているけど、かつて武士が戦った場所。昔のことは夢になってしまったなぁ。
松尾芭蕉 忍者説
45歳で「奥のほそ道」で約1768㎞の移動をした。
当時の年齢でかなりの体力をもっている。
もしかして江戸幕府から密命を受けて諸藩の調査ではなかったのか?
江戸幕府が仙台藩(伊達家)が謀反を起こすのではないかと思っていた。松尾芭蕉が密偵として仙台藩まで俳句の創作活動を大義名分として潜入捜査する。こう考えれば旅の資金や関税を通れたことも説明がつく。