盆踊りが始まった。去年は育成会会長で、模擬店全体の設計をしていた。今年は祭礼団体で幹事長として、他町の接待をしていた。
「暇だ・・・」
去年の目まぐるしい忙しさに比べて、祭礼団体の幹事長はかなり暇だった。育成会と書かれたテントに、忙しそうにみんな動いていた。そこは活気と熱気があった。蛍光灯は明るく輝き、焼きそばを鉄板で焼き、女性役員さんが皿に盛りつけたり、フランクフルトを焼いていたり、かき氷のブースには妻が忙しく動いていた。
「去年はそこで楽しかったんだがな。」と僕は物足りなさ、人恋しさもあったのかもしれなかった。設営したテーブルには、薄暗い蛍光灯が点滅して、オードブルが置かれている。祭礼団体のメンバーは、間をあけて座り、気の合う仲間と晩酌を楽しんでいる。
「もう僕のする仕事はほとんどない。」
祭礼団体では、設営と準備までで8割仕事は終わってしまう。幹事長はそいういう役目だ。だから育成会の現場の忙しさが、なおさら懐かしく眺めていた。
こちらはもう問題なさそうだから、僕は育成会のブースに生ビールの差し入れを持っていく事にした。それをキッカケにちょっと雑談でも出来るだろうか。
ポッカリと空いた何かを埋めるように、僕はプラコップに生ビール注いで、お盆に詰め込んで、育成会テントへ歩いていった。
「生ビールいりますか?」と明るいテントの中へ入っていくと、焼きそばの焼ける熱気と、人の体温が混ざって、一気に熱さを増した。懐かしさが押し寄せて、去年はココで居場所が確かにあった事を感じて、お盆に詰め込んだ生ビールは、いっきに無くなった。
「あと何個ほしい?」
と聞くと、妻が女性役員の間から現れて、なにやら自分の額を拳で殴るジェスチャーをしながら、そして表情は険しく、周りの女性役員は「ひどーい。」「マジで!」とか、ざわざわと埃っぽい空気が揺れた。
「殴られたの?ひどい!」という言葉があちこちから聞こえだして、視線は僕に向けられていた。僕は状況が飲み込めずにいて、針で刺されるように皮膚がピリピリとして、居心地の良かったそこは、様変わりして批難の目が突き刺さってきた。
妻の額には傷があり、僕が殴ってついたのだったらしいが、僕にはさっぱりそんな記憶はなくて、更に状況が飲み込めなかった。
娘に聞くところ冷蔵庫でぶつけた傷らしかったが、僕が殴った事になってしまっていたようで、そのまま僕は加害者になった。
僕が独りになる2週間前のことだ。
自分を壊す
自我が抵抗していた。
「俺は間違っていない。家族の幸せを想ってきた。俺は間違っていない。」
自我が声を震わせて僕を怒鳴りつけた。腹の底から怒りを沸き立たせ、身体の芯から突き上げるような叫びだった。だけど僕は抵抗する自我を鷲掴みにして、そのまま引きずり降ろそうと力を込めた。腕はピキッピキッっと、今にも筋が切れそうで悲鳴を上げている。
僕の自我に自由を許すわけにはいかなかった。自分の正しさばかりを主張する自我に好き勝手にさせては、また同じ繰り返しだと思っていた。努力の方向が完全に間違っている。暴れる自我を抑え込んで、さらに抑え込んで、さらに抑え込んだ。
僕の自我は「ガァァァァァ」と言葉にもならない叫びを上げて、暴れ回った。抑え込んでも、跳ねのけられて、さらに抑え込んでも、のたうち回られて、地面を転げまわり抵抗していた。僕と僕の自我は、互いに泥まみれになりながら戦っていた。
「正しいとか、間違っているとか、お前の言う通りに行動してきたが、それがこのあり様だろう。お前の考えはもう通用しないんだよ。わからないのか?」と僕は自我を押さつけて叫んだ。
互いに必死だった。自我は否定されると、今までのすべて無価値になる。今まで生きてきて、信じてきて、守ってきたものが、全部ウソになってしまう。そうはさせまいと自我は激しく抵抗した。
それでも僕は、自分の今までが消えてしまったとしても、この状況を変えないと、将来は無いと必死だった。今の僕を作った自我を、徹底的に否定して、すべてを崩してしまってから、最初から再構築しないと将来はないと感じていた。荒療治しか道はなかった。
自己否定を伴う痛みは、突発性健忘症という短期記憶の欠落を招き、脳腸相関でダメージが腸に蓄積して、過敏症腸症候群を併発した。まるで超聖水を飲んだ孫悟空のように、カリン塔でのたうちまわる事になった。
新しい自分を再構築するために、今あるものを徹底的に潰してしまわなくてはならなかった。これでもか、これでもかと、僕は自我のもつ価値観を叩き潰した。それは血反吐を吐くがごとく痛みを伴う行為だった。
価値観の摘出手術
「暴力がパートナーにどう影響しているかわかっています?」とか、「自分の怒りをパートナーのせいにしてませんか?」とか、カウンセラーの執拗な質問攻めにあっていた。
その質問を浴びせられるたびに、僕は社会で必要のない人間だと言われているようで、身が裂けそうになった。
「暴力の背景にある自分の価値観(自我)に目を向けてみて」と高田(仮名)さんが僕の目を見て言った。
「あのね、私はあなたが悪いって言ってるんじゃないの。暴力に繋がる価値観(自我)が悪いって言ってるの。わかる、この違い?」
皮膚が裂けてゆくような拷問に似た質問攻めで、暴力性のある僕は、すでに犯罪者だった。自尊心はズタボロになり、社会から弾かれた社会不適合者の烙印を押された価値のない惨めな自分が存在した。身体の芯まで冷たさで凍えていた。
「わかる、この違い?」
高田さんは、怯えた子どものような僕の目を覗き込んだ。
「あなたの人格すべてが悪いって言ってるんじゃないの。あなたは真面目な人だわ。ちゃんとこのカウンセリングに参加して暴力に向き合ているんだから。それに優しさもあるでしょう。パートナーさんへの謝罪の気持ちや後悔だって、ちゃんともってる。私が言っているのは、暴力に繋がる価値観(自我)が悪いって言ってるわけ。あなたがダメって言ってるんじゃないの。ちゃんと切り分けないさいね。」
この言葉に僕は救われた。
妻にしてきたアレコレ、そして子どもの前でしてきたアレコレが、僕のこの腕に染みついている。これを洗っても、拭いても、流しても、染み込んだソレはとれなかった。吐く息から暴力の香りがしたし、食べるものから体の外へ吐き出すものまで、暴力にまみれている怪物のような僕は、この高田さんのひとことで人だったことを思い出した。
呼吸は相変わらず浅く、息をするのも忘れてしまうほど、身体はこわばっていたけど、確かに僕は人でいることを許された、高田さんの言葉だった。
「暴力の背景を知りなさい。なにが暴力を呼び込むのか?あなたに染みついている価値観が、呼吸をするようにあなたを動かしているの。だからちゃんと自分はどういう価値観を持っているのか?そして、どう反応しているのか?自覚しなくちゃいけないの。だから自分の価値観(自我)と向き合いなさい。」
そして僕は、僕に張り付いた価値観を見つめる事になった。
この切り分けが出来た時に、僕は僕でいれた。そして自分はどんな価値観を持っていて、呼吸をするがごとくどんな反応を返しているのか。客観的に知るに至った。
向き合えば向き合うほどに、胸の中で次第に黒くふちどりされた塊が浮かびあがってきた。そこにはジェンダー思考がびっしりとこびりついていた。男らしさという呪縛が、太い鎖で根を這っていた。
これか・・・これだったか。
僕はようやく根を這った暴力につながる価値観(自我)を見つけた。言葉でカタチづくり、見えるように浮き出させる事に成功した。そして次の課題は、この暴力に繋がる価値観(自我)をなんとか摘出しなくてはらなかった。おぎゃぁと生まれてから、この50年という年月で精神構造を歪ませてきた価値観の摘出を行わなければならなかった。

実際はここからがたいへんだった。
暴力につながる価値観は捉えたが、僕はこの価値観を捨てると決意したものの、自我の抵抗にあっていた。
根は思ったよりも深く、伸びた鎖を抜こうとすれば、身体が悲鳴を上げた。次第に気は遠くなり、うつ症状が精神を麻痺させて、感情を失った。笑う事が出来ず、なにをするのも楽しくもない。生きる気力も湧き出てこず、後頭部から重くなる感覚が押し寄せてきては、思考ストップに追いやられた。
僕の長所であった言葉の構造化で、暴力への構造を突き止めはしたものの、暴力につながる価値観(自我)から抜け出せずにいた。
カウンセラーの高田さんは、いつだって厳しく血の通う温かさを持って叱咤激励してくれ、僕は時に元気づけられはしたものの、ほとほと限界を感じずにはいられなかった。
暴力を抜け出すには、このDV加害者更生プログラムへの参加だけでは限界があると悟り、同時進行で他の道を模索した。音声メディアのVOICYのワーママはるさんや、アドラー心理学の「嫌われる勇気」を読んだり、積極的に他者の意見に触れることで、多方面からの解決を模索しはじめた。
リベラルアーツの実践だった。柳瀬博一のリベラルアーツ入門を事あるごとに聞きまくって、ありとあらゆる知識とアプローチの多角化で、暴力に繋がる価値観(自我)の攻略に向けて動き出した。
ジェンダー思考という暴力構造
小さい頃から「男らしさ」を教えられて育つ。誰もが学校で言われ、親に言われ、周りに言われる。それは女性も「女らしさ」を刷り込まれる。
物心ついた時には、「男らしさ」と「女らしさ」は、教育というカタチで無意識レベルまで体のすみずみに浸透する。僕たちは気がつかない。息をするがごとく「男らしく」あろうとし、「女らしく」あろうとする。
真面目な人ほど、その教えを頑なに守ろうとし、「男らしく」あろうと、泣くことを我慢し、強くあろうとし、権力を得ようとする。女性は「女らしく」あろうと、亭主を立てようとし、一歩下がって控えめであろうとする。
そうして男性社会の特権を守る地図が出来上がり、女性側への従属的支配が、世の常識とカタチを変えて完成する。社会から期待される「男らしくあれ」「女らしくあれ」は、世の中の正しさとして、脳の神経系にジェンダー思考を生み出し、無意識レベルで反応を繰り返す。
その反応に沿って生きていると、男らしくあろうとし、女らしくあろうとする。次第に、自分らしさを埋もれさせてゆく。個人を捨て、社会の役割として生きるのが、正しい事だと思い込み、洗脳に近いそれは、暴力に繋つながる価値観(自我)を生み出してしまう。
誰も疑う事無く、暴力に繋がる価値観(自我)に自由を与えてしまう。
この暴力が生まれる構造が見えた時ほど、衝撃が走ったことはなかった。社会にがんじがらめにされて、個性や自分らしさと引き換えに、ジェンダー思考がはびこっていた。
これに気がつけたのは、離婚という挫折イベントがあってこそだった。人は順風満帆の時は気が付かない。気が付きようもない。
人生の底辺へと、挫折の折に脳天から落下したとき、はじめてどん底から見える景色が、人を変えるキッカケとなる。
本当に、変わったかどうかは、周りが評価すればいい。僕は今すべきことをするだけだ。
課題の分離と“やめる”こと
柳瀬博一のリベラルアーツ入門で、ダーウィンの進化論が語られたとき、僕の空回りしていたチェーンは、ガチっと音を立てて噛み合った。強い反動を感じて、そこから押し込むと、ゆっくりと前へ進み始めた。
生物は、時代と共に適応できなければ、生き残れない。強い者が生き残るのではなく、変化できる者が生き残ってゆくのである。
出口治明が語る「リーダーが学ぶべき教養」より
この一説が、変わる事に意味を与えてくれた。そして僕はやっと暴力につながる価値観(自我)を捨てる原動力を得ることになる。自我を抑え込んで大人しくさせた瞬間でもある。
そして、ついに暴力につながる価値観(自我)の攻略が成し得た。
◇
「もう祭礼団体を辞めるよ。」と僕はぽつりと言った。
それを聞いた山口は、一瞬の間があった後、「やめろよ・・・」とひとこと言って電話を切った。
しばらく天井を見上げて実感がわかなかった。辞めるという言葉にリアルが追いつかずに、ただ時計の秒針がカチカチと部屋に響いていた。
同じように、育成会も辞め、自主防災会も辞めて、市民協議会も辞めた。仕事に関係があった福祉委員会だけ残して、あらゆる地域活動をやめた。
これら団体との関わりは、仕事のためでもあり、家族のためでもあると頑張っていた。だがこれが余裕を失わせる結果となり、僕は忙しさにバランスを崩し、イライラすることが多く、僕の質感に圧として立ち昇ったのだと思う。たぶん、妻の感性を刺激していたに違いなかった。
街をあるけば、誰かが挨拶してくれた。顔が立ち、世間に知れた顔になっていった。それと共に僕の余裕はどんどん失われてゆき、同時に妻への圧も強まったに違いなかった。
「お前、祭礼団体辞めたんだって?なんでそんな事するん?年下に世話になったやろ。ちゃんと手伝ってやれよ。」と水野が言ったが、僕の意志は変わらない。
「お前、人が足らないっていう時に、なんで辞めるねん。自分の事しか考えてないんか?」と言われた事もあったが、僕の意志は変わらない。
アドラー心理学で学んだ課題の分離を実践していて、もう僕の時間を差し出さない。他人の期待に応えようとして余裕のない環境に身を置くことはない。
この時から他者の期待に応えるのが、僕の人生の目的ではなくなった。
「お前、祭礼団体辞めたら、地元で商売できなくなるぞ。地域で動くから、地域で商売やっていけるんやろ。」とか、「元嫁が祭り観にきてたぞ。」とか、「祭りしてたら元嫁が戻ってくるぞ」とか、根拠のない揺さぶりを、かけられたりした。
と思えば、「お前、ええ加減にせえよ。お前の為に、ちゃんと戻れるように段取りとってやってるんやぞ。」とかキレられた。
揺さぶりをかけては、脅し文句になったりと、周りは僕の罪悪感を引っ張り出して、祭礼団体に戻すことに忙しそうだった。
「僕は戻る事はないんだよ。」いつも最後はこの言葉で境界線をひいた。
もう僕は他人にコントロールを渡さない。
好きな事を軸に、自分の人生を見つける。
他者の期待から、境界線を引いて離れた時だった。
余白が生まれる
いろんなモノと境界線を引き直し、「辞める」決断をしてゆくと、時間と余裕が生まれた。
日曜日はゆったり流れるようになったし、お金も溜まるようになったし、料理にチャレンジすることや、Youtubeの編集をして動画作品を作りアップする楽しみもあった。
一度登ろうと思っていた伊吹山にも登頂出来たし、大型二輪の免許もとり、仮想通貨の投資チャレンジで爆益を得て、バイクもタダ同然で手に入れたりもした。
なにをするにも、自分の時間を自由に使う事が出来た。今日は何をしようか?空が広々としている。風があるな、そうだ!ウインドサーフィンをしてみよう。
新しい趣味は、新しい友達作りの場にもなった。
「あれ・・・。楽しいってこういう事?」と思った。
「あれ・・・。楽しいのに、悲しい?」と感じた。
楽しいハズなのに、悲しさが沸き立った。失った妻とこの楽しさを共有できない事が悲しくて涙が出た。
ここで初めて「僕は余裕がなかったんだ。」と気がつくことになった。
役割を捨て、自分を感じ始めた時に、僕は人の心を取り戻し、妻がいない寂しさが心の底から湧き出てきた。
やっと妻を大切にできるのに、失った後だった。
息子との異文化交流
自分の心を取り戻した頃、息子との交流が始まった。
この頃の僕は、好きを軸に行動していて、息子が「バイクの免許が欲しい」とか、「バイクを買って欲しい」とか話す事に、耳を傾ける事が出来た。
たぶん以前の僕だったら「バイクは危ないからダメ。まずは車の免許とってからだ。」と言ってただろう。
息子の好きはなにか?
嫌いはなにか?
どんな考えを持っているのか?
この頃の僕は、自分の大切にしているものは、霧が晴れたように見通せたので、息子らしさを受け入れるのに苦労はしなかった。
息子との境界線を引いて、自分の意見を押し付けないよう心掛けた。目を見て話し、息子と向き合い、息子の考えを知り受け入れた。
ある日の、進路相談に来た時の話だ。
「働くのもないわ。でも大学っていっても借金が増えるだけじゃん。面白くない。」
息子はプータローになる気なのか?と思ったが、ここで月並みに就職しろと言ったところで、どうしようもない。しばらく様子を見る事にした。
再び息子はやってきて「スタイリストになろうかなと思うんだけど、どう思う?」と息子は僕に尋ねて来た。息子はファッションに興味があったので、それも良い考えのように思えた。
しかし収入が低すぎるという理由で、その道はなくなった。どうも雲行きが怪しくなった。
ただ僕は悩める時に、悩んでいたほうが良いと思っていた。それに世間をタイミングを合わせて進路を決めなくても、悩み迷い停滞する時間も、それはそれで立派な肥しになると思っていた。
やりたい事を見つけるのが一番むつかしい。
「やりたい事が見つからないんだったら、留学っていう手もあるけど、行ってみる気がある?」
息子のすべての打ち手が不発に終わったタイミングで、僕は提案として意見を言ってみた。はじめから「留学にいけ」と言うと息子の考える余白を奪ってしまうかもしれなかったし、押し付けになるのも嫌だった。だからこの最後のタイミングで提案してみた。もちろん断れば、この案はすぐに引っ込めるつもりでいた。
決めるのは息子なのだ。
◇
非暴力コミュニケーションは、他者との関係を成長させた。職場の関係も良くなり、息子との関係も育った。そして暴力的な人との距離感も作った。
次第に、息子との関係が成長すればするほどに、息子には感性で世界を見ている事がわかってきた。世界を感じて生きている。人を感じて生きている。息子は、感じる力が、ずば抜けて秀でている。
これは僕にはない感覚だった。
「感性ってなにさ?」
っと、訳のわからない現代アートを見ながら、なにがなんだかわからずいた僕は息子に質問した。
「感じるんだよ。言葉にしちゃダメだ。もやっと浮き出たものをそのまま感じておく。掴もうとしちゃダメだからね。」
そういう息子は確かに感じている様子だった。もやっと沸き上がる何かを。
イメージで世界を見ていて、感じてそのままにしておける。
息子は言葉のない世界で呼吸が出来た。
魚のように自由に海の中を泳ぐことが出来た。泡の立ち上がる空間を、キラキラと差し込む太陽の間を、ヒラヒラと舞いながら泳ぐことができた。
僕は浮き輪をつけて、手足をバタバタさせていて、感じるよりも溺れないようにするだけで精一杯だった。
そして泳ぐ方法を少しづつ息子に教えてもらった。息継ぎしながら、手足をバタバタさせて、泳ぐまでになったが、まだまだ息子には及ばなかった。
僕は相変わらず、言葉のない世界で僕は呼吸は出来なかった。
僕の感性は眠っていた。自分らしさを封印されたように、感性もまた封印されたのかもしれなかった。

オセロ
感性という海を泳ぐ事で、妻も感性で生きているのかもと思い始めた。
「ママの感性はもっとすごいよ。ただ不安が立ち上がるみたいだけど」
と息子はママの質感を話し、さらに不安という言葉で締めくくった。
感性がどのようなものか感覚的にわかってきていた頃だったので、妻の感性は鋭いという理解はすんなり入ってきたが、表現が不味くてそれ以上のイメージの膨らみは無かった。その時は・・・
そして京都国際美術館で、大森大道の個展で僕の感性が強く反応した折、娘の事を想い出したり、息子の感性に学びをもらったりして、なにか閃いたが如くイメージが開けた。
妻の質感が立ち上がり、そして気がついた。
感性が鋭いのではなく、感性が豊かなのだと・・・
豊かだから、あふれる感性で世界を自由に彩れる。それが今は不安という花を咲かせている、ということらしい。
ここも課題の分離で読み解けば、不安を感じれるのであって、不安な妻ではない。
不安、喜び、愛、憎しみ、悲しみ、などを感性で受け取り、情緒としていろんな花を咲かせることが出来る。きっと想像するに、妻の感性は虹のように鮮やかなグラデーションを彩っているのだろうと思う。
だから心一杯に表現をする。身体一杯で表現をする。
そして、僕の余裕のなさや、圧を感性で感じて、悲しみ、怒り、恐怖の花を咲かせたのかもしれなかった。
あの一瞬、イメージを広げて、妻に立ち上がる質感を感じ取ってから、僕の中である反応が連鎖的に続いている。
まるでオセロの駒が、黒から白へと次々と変わってゆくように、記憶の断片が、次々と意味を持ち始めていた。
あの時の妻は、実はこうだったのではないか?
僕のなかで固定化されていた妻の記憶が、どんどん解釈が変わっていった。
その反応は、どんどん強くなってきている。
Memory Reconstruction
盆踊りが始まった。去年は育成会会長で、模擬店全体の設計をしていた。今年は祭礼団体で幹事長として、他町の接待をしていた。
「暇だ・・・」
こちらはもう問題なさそうだから、僕は育成会のブースに生ビールの差し入れを持っていく事にした。それをキッカケにちょっと雑談でも出来るだろうか。
サーバーから、プラコップに生ビールを注いで、お盆いっぱいに生ビールを乗せて育成会のテントに向かった。
妻は僕が近づいてきたのを感じて、僕の質感(圧)が立ち上がったのかもしれない。
それは違うだろ!
常識だろそんなこと。わかんないのか?
ことごとく自分を否定される感覚が沸き上がったのかもしれない。
私を睨む目つき、怖くてたまらないのよ。
私が感じている世界を、あなたは見ようともしない。
なぜわかってくれないの。私はここにいるのよ。
僕が近づいてきて、僕から立ち上がる圧が、恐怖の花を咲かせてしまったのかもしれない。
「私は殴られた。ずっと暴力を受け続けてきた。私は被害をずっと受けてきた。」
過去の暴力と共に、イメージが重なり、現実になった瞬間だったのかもしれない。
僕が独りになる2週間前のことだ。
◇
実際のところ、わからないが、感性を通じて、妻の質感を感じ始めてから、解釈の変化が次々と起こっていて、もしかしたら、これはこうだったのかもしれないと意味づけが変わり始めた。
いろいろな過去の断片を、妻の感性でどう感じていたのか、少しづつ見え始めているような気がする。
