金曜日の鳥貴族
タッチパネルを操作しながら「なに?ビール?」と息子が言った。僕は頷き、「あとは適当に注文しといて。来たものつまむから。」と息子に任せた。
息子が仕事終わりに「やっほー」とデイルームに入ってきて、「メシいこう」と。そこから僕たちは商店街にある鳥貴族にいる。
今日は3連休の初日なので、たぶん混んでいるんだろうと思ったら、案の定、予約で一杯でカウンターの席にとおされて、二人並んで座っていた。
「レザーおもしろそうなんだけど。レザーってさ、なめすんだけど、これがめちゃ面白そうなの。」と息子は興奮して言った。
「レザーって革だよな。」と僕はあまり興味がなかったんだけど、とりあえず尋ねた。
「そう。ヨーロッパから輸入するんだけどさ、まだ毛が残っている状態でさ、薬品につけて仕上げていくんだけど、めっちゃ臭そうなんだよ。」
今からメシを食うのに、臭そうな話題から入るのかよ思ったが、息子の表情が見た事ないぐらい、イキイキしていたので、完全に衝動が走っていて、息子のモノ作りへの情熱の波動を感じた。
「その工場がさ、兵庫にあるらしいんだ。姫路の近くらへんなんだけど、今度言ってみようかなと思うんだよ。」
見たい、知りたい、触れたいといった衝動が、息子の血管の中を走り回って、毛穴から蒸気のように、好奇心が湧き出ていた。そんな息子が毛を逆立てて、目を見開いて、ワクワクしている姿に、こいつは本物だと思った。
兵庫まで見学に行くだって?
人並外れた好奇心が、モノ作りへの情熱を、人並外れた領域まで押し上げていた。
拒否ではなく選択
「で、次の服の構想はあるのか?」と、伝わってくる好奇心の熱を、生ビールを飲んで、少し冷まそうと思った。興奮のエネルギーに巻き込まれそうだった。今日の息子はトランスモードだ。
「次の構想あるよ。もうパターンも書いてる。だけど生地が無いわ。買わなきゃ。」と言うので、釘を刺す意味でも「金が無いのにか?」と間髪入れず問いかける。
キャッシュカードで買われちゃ、また支払いが焦げ付く。ここは押さえつける必要があった。
「絶望的に金が無いわ。アイデアも、やる気も、スキルもあるのに、生地がないんだよ。そして働こうとしているのに、面接で落ちるんだよ。日本はどうなってるんだよ。人不足だろう。」と、早口でまくしたてる。
エネルギーが有り余っていた。服作りのスキルが確立されて、イメージをカタチに出来るようになって、情熱を注ぎ込みたいのに、金が無いせいで前に進めないというジレンマ。まるでF1のエンジンが唸りを鳴らして、渋滞に巻き込まれているような感じだ。
とにかく息子の熱はコントロールを失って、乱気流のように渦巻いていた。
「ママとは連絡をとっているのか?」という言葉を掛けたかったが、僕は辞めておいた。余計な詮索になるし、アチラの状況に探りを入れるような発言は、僕にとっても、たぶん別れた妻にとってもご法度だろう。ちゃんと距離感をもって境界線を引かないといけない、とてもデリケートなことだから、僕は慎重になる。
代わりに掛けた言葉が「お前のモノ作りの才能を発掘したのは、ママなんだぜ。感謝してもしきれないな。」と言った。母親が息子にどんな関わりをして、息子を愛してきたのかを伝えたかった。
「わかってるよ。」と息子は頷き、レモンサワーをひと口飲んだ。今度、中央公園で同級生と花見をするんだそうだ。その時に酒を飲むことになるので、今日は練習でレモンサワーを注文していた。アルコール度数4%でも、息子にとっては濃い酒だった。
「ママはさ、感性が強いんだよ。」と息子は続けた。「僕と違うところはさ、僕は構造に変換できるけど、ママはそのまま感情になるんだ。」と、息子なりにママの質感を思い出しながら話している。
僕は、こうやって素直に母親の事を話せる息子に、少し安心を覚えた。嫌いであれば、話に出るのも嫌がるものだから。だからひとつひとつ思い出しながら、母親の事を言葉に出来ている事が、素直に嬉しかった。
「感情はさ、なんかさ、ぐるぐるってなって、どーんてなるからさ。」
息子の抽象語は、今に始まった事じゃない。つまり、隣でママの感情の影響を受ける自分がいて、創作の糸が絡まるとでも言いたいのだろう。
「そりゃ、当たり前だろう。ママもお前も感性が鋭いわけで、それが個性だろう。だからママとは気が合うわけだろう?いつも二人でいてたじゃないか。」
「まぁ、それはそうなんだけどさ。要は構造の問題?」と、やっぱり息子の話は、途中の説明がなく、いきなり結論に行くから、翻訳が必要になる。途中の説明が出来ないということは、息子もたぶん言語化が追いついていないのだろう。
「感性が立ち上がるから、ママの考えている事や、見ている事や、感じている事は、お前にもわかる。だから気が合う。というわけだよな。」と、いつものように僕は息子の言語化を手伝った。
「うん。まぁそんな感じ」
「だけど、創作となると、お前は独りでいたいわけだ。そういう事だろ?」と、僕は今まで息子を見てきて、だいたいこういう話なんだろうと言葉を置いた。
「そう! 創作活動って孤独なものなんだよ。」
とわかった風な事を言った。
息子と話すのは、とても疲れる。普段使わない脳の活動を強いられるからだ。
LINE通知
息子との時間を遮ったのは、ひとつのLINE通知がだった。見るとさっくんからだ。
以前、さっくんとLINEで会話をしたとき、「だんじりの写真を撮って欲しい。だからみーちゃんに連絡して」と会話が始まった。僕はそれに断ったが「とりあえず電話して」「3/22ならいけるんじゃない?」と話が噛み合わなかった。
年度更新や確定申告で忙しい旨を説明して、納得してほしかったわけだが、「わかった。じゃあ別日は?」ときて、マジで忙しいんだよと言うと、「じゃあ日曜日で」ときて、日曜日も仕事しているというと、「じゃぁ、確定申告終わりの3/22は?」と、納得してもらうどころか、説明を材料に別の案を探して交渉してきた。
全く、話にならなかった。
丁寧に説明するのには、わかって欲しいという僕の想いがある。
でも、これは僕のコントロールの外にある。
理解するかはさっくんの問題だから、ここは切り分けて考える必要があった。
説明をしたが、話が噛み合わなかった。
これ以上続けても関係が歪むだけだから、僕は説明をやめた。
僕に出来る事は、断るだけでいいと気がついた。
今回のLINEの連絡も、「トヨタの車を買うのならディーラーを紹介するよ」といった内容だった。僕にはそんな紹介必要がなかった。だから断る方向だけど、たぶん聞き入れないだろう。
だから、そもそも会話を始めない。交渉の入口を開かない。
同じように、そう決断したのが、別れた妻なのだろうなと、重なってきて、妻が抱いていた質感が、僕に立ち上がる。
「そうか、そういう事か。」とストンと落ちてきて、手に取ったスマホをテーブルに置き、息子との時間に戻った。
土曜日の計画
「ここからさ、SNS運用しながら、ファンを作っていこうと思ってる」と息子が話して、「ほら、この人みたいに。」とInstagramの写真を見せてくれた。
「なるほど、こうやって作った服をアップしてるんだな。それも着た姿を撮影するわけか。」
「そうそう。着ないとシルエットがわかんないでしょ。だから着て撮影するんだ。」と息子は言い、こんな感じで撮影するんだよっと、自分の服を着た息子の写真を見せてくれた。
屋上で撮影された写真は、スマホでタイマーでの自撮り撮影だろう。作品を着こんで、パーカーで顔を隠した感じで、上手に撮影されていた。
「パパが撮影してやろうか?スマホじゃなくて一眼でさ。要は服が目立てばいいんだろ?だったら背景をぼかして、服にピントを合わせて撮ればいい。スマホに比べて画素数が大きいから、細かい質感も表現できるぞ。」
僕はソニーのカメラを持っていて、F1.4のGMレンズならキレイにボケる。lightroomで現像すれば、雑誌に載っているクォリティーまで引き上げられた。そこらの素人よりはキレイに現像する自信があった。
「一眼レフで撮影か、もしかして、それ良いかも。Instagramに載ってるのってスマホ撮影ばっかだから。」と言ったので、僕は少し驚いた。撮影方法に価値を乗せて、他と差別化できるという発想まで思考を広げていたからだった。僕の言いたい事がしっかり伝わっている。
「明日、撮影しよう。場所は洋風な背景がいいんだけどな。」と息子が言って、「例えば、中の島にある明治時代の建築とか」と、撮影イメージを伝えてきた。
「洋風か。それじゃ良いところがあるぞ。和歌山マリーナシティーがいいんじゃないかな。」
「どこそれ?」
「ここは、遊園地だったんだけどさ、今は老朽化でほとんど撤去されて、ヨーロッパ風の街並みだけが残っているんだよ。今は無料で入場できるから、コスプレの撮影スポットになっている。ここなら適当だろ。」

息子はすぐにスマホで調べて、「へぇ、こんなところあるんだ。」と感心していた。
「明日、土曜日は15時に仕事終わるからさ、和歌山マリーナシティーへ行って、黒潮市場で海鮮を食って、撮影して、確か温泉もあったから、風呂も入って帰ってこよう。」というと、息子はにんまりして、親指を立てた。
境界線の意味
翌日、仕事を終えた僕は、息子にLINEを入れた。
「15時すぎにアルファード集合で」
息子の返信は、「今日、堀ミシン行きたいだけど、中止でいい?」と予定変更したいとのことだった。
堀ミシンというのは、息子の高校の先輩にあたり、先輩といっても40年以上も先輩なんだけど、良く喋る店主で、息子の事をとても気に入ってくれていた。
この堀ミシンで息子はミシンを購入したので、たぶん、息子は出来上がった自分の作品を、堀ミシンの店主に報告したいんだろう。
「おっけ。撮影はまたの機会にしよう。いってらっしゃい。」と返信した。息子はバイクで出かけていった。
昔の僕ならば、「昨日約束したじゃないか、パパも予定を組んでいるだから、次の機会にしろよ。」とか言っていただろう。
息子が留学する前、高島屋に服を買いに行った時のことだ。助手席で座っていた息子はすっかり眠っていた。駐車場に車を停めて、「着いたぞ」と息子を起こすと、息子は睡魔で起きれなかった。
「ごめん、めっちゃ眠いから、またの機会にしよう。」と、徹夜明けのように、ヘトヘトだった。
この時も、高速代も駐車場代も発生しているのに、と内心思ったが、「じゃ、帰るか」と、僕は言った。
相手に何かを求めるほど、境界は曖昧になる。
それは、たぶん親子でも同じなんだろう。
境界線が引かれていない頃の僕は、息子の境界へずけずけと入っていったに違いなかった。さっくんと同じように、相手の都合よりも、交渉を加えて、自分の都合を押し付けてゆくわけだ。
境界線がぼやけていると、関係性を歪ませる。
当時の僕は、境界線のなさが問題だったが、僕自身がそれを問題視できていなかった。
見ているものも一緒、感じているものも一緒、互いに繋がって生きているという感覚が、愛情そのものだと勘違いしていた僕は、境界線がなく、僕が妻の境界に入ってゆくと、妻にとってはノイズとなり、彼女の質感は乱れていったのだと思う。
「私に自由はないの?なぜそっとしておいてくれないの?」
妻はたぶんそう叫んでいただろう。
だけど僕は何も気がつかず、妻に求めてゆく。あれや、これやを。
僕との間や、空間や、質感を感じ取って生きている妻にとって、余白を埋められると、風通しが悪くなり、空気はよどみ、次第に息苦しくなってゆく。
次第に窮屈になり、気がつけば居場所がなくなってしまっていた・・・のかもしれない。
夫婦でも、親子でも、境界線は、相手の尊重を作る。
いつでも一緒が愛ではなく、相手を尊重することが愛だと、のちに気が付くことになった。
その時には、もう遅すぎたが・・・。
願い
空いたグラスがテーブルに置かれていた。3連休の最初の金曜日だから、忙しいのだろう、片付けが追いつかないようだ。すっかり酔いが回って、皿には食べかけのやきとりが残っていた。
「あのさ、ママはたぶんお前の事を気にかけてると思うよ。」と僕は息子を見た。
息子は黙って聞いていた。
「パパはさ、今まで父親してこなかったしさ、ママにとても辛くあたってきたから、パパにお前を任せるというのも、ママはとても不安だと思うんだよ。私のような目に遭わないかと、たぶん心配していると思うんだよ」
店内は、すっかり満席で、ガヤガヤとしていたが、酔った僕には、息子と座るカウンターだけが、明かりに照らされて、強調されているように感じた。
「今は服作りでモノ作りの才能を発揮できているけど、それを見出したのはママだからさ、そこは感謝しておかないと。だろ?」
「わかってるよ。」と息子は頷き、レモンサワーをひと口飲んだ。
僕は、皿に残ったやきとりを手に取り、天井を仰いで、息を吸い込み、静かに吐いて言った。
「そのうちさ、お前が、服作りで食っていけたらさ、ママの服を作ってやって欲しいんだよ。」
これは僕の息子へのお願いだ。息子に強要は出来ない。母子の問題は、妻と息子の問題だから、僕が立ち入れない。
境界線が関係性を育てる事を、やっと僕はわかってきていた。境界線は、突き放す事じゃなく、ちゃんと相手を尊重する線だから、僕は丁寧に言葉を選んで伝えた。
「ママは大切だと思う気持ちは、お前にはある。話をしていて伝わってくるからね。そしてママも気持ちは同じだと思う。そこにパパが入る事で、いろいろ波風が立ったのかもしれないけど、そんなくだらない事で、大切な人を手放してよいのかね?」
僕には、もう影響力はない。出来る事が限られているけど、数少ない出来る事を探して、言葉として投げてゆく。
「だからといって、ママとお前の関係をとやかくパパは言えない。それはお前たちの問題だから。だから解決するのは、ママとお前なんだ。パパは自分の意見を添えるぐらいしか出来ない。受け取るか、受け取らないかは、お前の選択だから。」
すっかり、会話の階層は深くなっていた。
「じゃぁ、そろそろ帰るか。」と僕は残ったビールを飲み干した。