1920年(大正9年)に赤十字社がイギリスの看護師フローレンス・ナイチンゲールの誕生日をナイチンゲール・デーと制定した。
目次
ナイチンゲール
裕福な家庭に生まれる。
貧しい農民の悲惨な生活を知り、人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになる。
ロンドンの病院で看護婦としてボランティアで活動する。看護婦は病院を世話するだけで専門知識はいらないと考えられていた。
クリミア戦争
(イギリス・フランス同盟軍VSロシア)
看護婦従軍
負傷兵の傷の手当てに従軍する決意を固めて後方部隊の病院へ。
- シスター24名
- 看護婦14名
現場では
- 必要な医療物資がなかった。
- 現地の軍医が看護婦団の従軍を拒否した。
ナイチンゲールらは、病院の便所掃除を始めることによって病院内へ割りこんでいった。
- 「クリミアの天使」と呼ばれる。
- 「白衣の天使」と呼ばれる。
- 夜回りで「ランプの貴婦人」とも呼ばれる。
- ナイチンゲール自身はそういったイメージで見られることを喜んでいなかったようである。
本人は「天使とは、美しい花をまき散らす者でなく、苦悩する者のために戦う者である」と話したという。
- 約42%まで跳ね上がっていた死亡率
- 約5%になった
兵舎病院での死者は傷ではなく、病院内の不衛生(蔓延する感染症)によるものだった。
戦後
ナイチンゲールはスミスという偽名を使用して人知れず帰国した。
病気の分析を進めてデーター化したため、ナイチンゲールを統計学の先駆者としている。
ナイチンゲールはボランティアによる救護団体の常時組織の設立には真っ向から反対していた。
「構成員の自己犠牲のみに頼る援助活動は決して長続きしない」ということを見抜いていたためである。
「犠牲なき献身こそ真の奉仕」という有名な言葉にも表れている。
「構成員の奉仕の精神にも頼るが、経済的援助なしにはそれも無力である」。