3月24日「人力車発祥の日」

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人力車の始まり

日本では1869年(明治2年)に和泉要助・高山幸助・鈴木徳次郎の3名が発明した。

人力車の製造と販売の許可は1870年(明治3年)に東京府が発明者と見られる3名に与えました。条件として人力車は華美にしないこと、事故を起こした場合には処罰する旨があった。この許可をもって「人力車総行司」と称した。

人力車は都市部で活躍

明治時代の道の舗装が進みました。馬車・大砲などを運ぶ軍馬が通れるように、道路が整備されることで人力車がスムーズに走行できるようになり普及しました。

人力車の運賃

大阪府警が「大阪市街図附人力車賃金表」を作成しました。人力車の運賃が距離により設定されました。

例えば

  • 天王寺駅から梅田駅までの運賃は22銭
  • 南海難波駅から梅田駅までの運賃は15銭

この頃の日雇い労働者の日当が約40銭であったことを考慮すると、現在の金額に換算すると、

天王寺駅から梅田駅までの運賃は約4400円

南海難波駅から梅田駅までの運賃は約3000円

人力車の衰退

鉄道や自動車の普及がすすみます。都市圏では1926年頃、地方でも1935年頃をピークに減少しました。おおよそ50年の活躍でした。

鉄道の整備

南海電気鉄道は、純民間資本としては現存する日本最古の私鉄です。南海電気鉄道に、初めて電車が走ったのは明治40年8月11日で、区間は難波-浜寺公園間でした。

公共交通機関の移り変わり

明治時代に主流となった公共交通機関

明治は日本で初めての鉄道が走った時代です。イギリス人の鉄道技師エドモント・レイル氏の指導があり鉄道が出来ました。本来はイギリスから鉄製の枕木を使う予定でしたが、日本は森林の多い国なので木製の枕木のほうが良いという一言で、現在もその形を残しています。

日本人が考えた人力車が走りはじめ、外国から伝わってきた馬車が走ることになります。

大正時代に主流となった公共交通機関

大正時代に入ると、自動車の信頼性も高まり、全国的にバス事業の開始となりました。その頃は、多くが数人乗りの小さな乗用車を使っていたそうです。

東京では、大正12年に起こった関東大震災の影響で路面電車が大きな被害を受け、この応急措置として800台余りのバスを導入し、運行を開始しました。

昭和時代に主流となった公共交通機関

昭和時代は、鉄道が非常に発展しました。都市部を中心に地下鉄や通勤鉄道路線の整備が続いていました。また、1964年の東京オリンピックに合わせて、東海道新幹線の開通などが相次ぎました。一方で、1960年代後半頃からマイカーの普及が本格化し、自動車の台数が大幅に増加しました。

未来の公共交通機関が期待されるものは

自動運転車が期待されています。人が操作を行わなくても自動走行できるシステムを搭載しています。

自動運転レベル3は自家用車。自動運転レベル4はタクシーなどの規定です。日本ではホンダがレベル3の自動運転車2020年に発売しています。走行時に視線を離しても運転が可能が機能を、高級車「レジェンド」に搭載しています。ちなみにレジェンドの価格は1千100万円です。

自動運転と人間の役割

レベル0では人間が全ての運転タスクを担います。

レベル1と2ではシステムが運転を支援しますが、人間は運転の監視と対応を続けなければなりません。

レベル3では、特定の条件下でシステムが全ての運転タスクを実行しますが、作動継続が困難な場合は、人間は迅速に応答しなければなりません。

レベル4と5では、システムが全ての運転タスクを実行し、人間は運転に関与する必要がありません。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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