6月2日「裏切りの日」

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裏切りの日

1582年(天正10年)織田信長が家臣の明智光秀に裏切られ、本能寺に宿泊しているところを襲われ自害した。これを本能寺の変という。

戦いの改革

鉄砲を使う

当時新しい武器が鉄砲。遠くの的を射抜く事が出来るという事で高価なものでしたが、信長は戦いにいち早く導入しました。

傭兵を雇う

当時の兵は農民。農業の忙しい時は攻める事が出来ませんでした。なのでお金で兵を雇い入れて、農作業に関係なく兵を集める事ができました。

仏教弾圧

仏教は日本古来からの宗教です。4世紀ごろに蘇我氏と物部氏が対立。仏教輸入に積極的だった蘇我氏が勝ち仏教と政治を結び付けました。

政治と密接になった仏教は、奈良時代に栄華を誇り奈良の東大寺をはじめとする仏教寺院が建つことになります。聖徳太子が十七条憲法を作ったのもこの頃です。

次第に政治に仏教が影響を及ぼすのが道教。あまりにも影響力が強すぎたので政治と仏教を分離しようと試みたのが桓武天皇であった。

修行をした限られた人だけが救われるということで、「南無阿弥陀仏」を一回唱えると極楽浄土に行けると浄土真宗が流行り出す。そして寺院のまわりに信者が移り住み、次第に自治国家として武装集団となる。

この武装集団が一向宗と呼ばれ、戦国武将並みの権力を得てゆく。ここと対峙した織田信長は比叡山焼き討ちなど、女子どもも容赦せず焼き殺し、仏教を徹底的に弾圧した。

合理的人事

古参の家来よりも能力主義。結果を出さない家来は容赦なく罰していった。明智光秀もそのうちの一人。優秀であるがゆえに出世し信長の近くに配置された。

自信の神格化と本能寺の変

安土城に摠見寺(そうけんじ)を建立し、現世利益があるとされた。

  • 富が増える
  • 子宝にめぐまれる
  • 長寿繁栄
  • 健康になる

ルイス・フロイスの書簡には、「信長は天正10年(1582)の自分の誕生日、おのれを生神とする祭典を大々的に催し、武士のみならず庶民の参詣を強要した。その祭典に諸国から信じられないほど大勢の者が集まった」と信長の自己神格化について書かれている。

信長自身の神体を拝むように強要し、自分自身が神となろうとした。

これは天皇家の祖先は天照大神であり、天皇家をないがしろにするようなものであった。そのため本能寺の変は天皇陰謀説がある。

人物像

彼は中くらいの背丈
極度に戦を好んで軍事的修練を行う
名誉心があり正義において厳格

彼は自らに加えられた侮辱に対して許さない。
睡眠時間は短く早朝に起床した。
全く家臣の忠言に従わず畏敬されていた。

酒を飲まず食を節し、率直に物を云う。
彼は戦運が己に背いても忍耐強かった。
彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏を軽蔑していた。

極めて清潔であり完璧主義。
話は単刀直入でだらだらした前置きを嫌った。

彼は憂鬱な面影であった。
困難な企てに着手するに当たっては大胆不敵。

残虐性

敵対する者に対して必要以上の残虐行為を行った。
うっぷんを晴らすために殺戮を行った。
長島一向一揆で男女2万人の焼殺した。
降伏すれば命は助けるという約束を破って虐殺した。

浅井久政・長政と朝倉義景の3人の首を薄濃(はくだみ)にした。
正月の酒宴の肴として披露した。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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