1875年(明治8年)。明治天皇が水戸家の下屋敷を訪れた際に、お花見のお茶菓子として木村屋(現:木村屋總本店)の「あんパン」が出された。
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あんぱんの発明
木村屋の創業者、茨木県の出身の木村安兵衛と弟の栄三郎が発明しました。
木村安兵衛について
農家に生まれたが、度重なる水害に見切りをつけて江戸に出てきた。
長崎でオランダ人宅でコックを務めた人と出会い、パン屋さん文英堂を作ったが、火災で焼けてしまった。焼け残ったのは石窯だけだった。
明治5年に軍隊食として洋食を取り入れ時流にのってパンが売れた。9月に鉄道が開通したので、駅構内に店を出す。パンは脚気の治療薬として効果があるという噂もあり追い風。商売は繁盛したが、明治6年に再び火事で店を焼失した。
脚気予防
明治政府による日本軍の創設。軍隊食は米だったが、脚気になる兵士が続出しました。脚気はビタミンB1不足で発症して足元がおぼつかなくなる病気です。
脚気予防で軍隊食は洋食化の流れで海軍カレーなどが誕生します。
木村屋として再スタート
洋食化が追い風になり、火災で一旦は頓挫したパン屋も再び「木村屋」として再開。日本初の鉄道が走る折には、駅構内に店を構えて売上を伸ばしていきました。
まだまだ日本人にはパンは馴染みのない時代。日本人の馴染みのないパンを日本人好みのパンを開発しようとして、饅頭にあんこが入っている事に着目。
パンにあんこを入れて「あんぱん」を新発売すると瞬く間に売れ、明治天皇の献上品として採用されました。