「寒いからヤダ」と言われて
昨日は、日勤、夜勤、そしてまた日勤という三連勤のあとの仕事あがり。
さすがに身体はくたくたで、目もとろけそうな眠気が襲っていました。
夕方、息子にLINEで「スーパー行くけど、何かいるか?」と聞いてみました。
すると返ってきたのは「なんか買ってきて」という、なんとも抽象的な返答。

いや、なんかって言われても…
なので「一緒に行くか?」と誘ってみると、「寒いからヤダ」と。
そのうえ「肉を頼む」と、さらに追加オーダー。
寒いならユニクロで服買えばいいじゃないか、と思ってもう一度誘ってみたのですが、



「ま、とりあえず肉買ってきて。頼む!」
と押し切られました。
まぁ、頼まれた以上は、しぶしぶながらスーパーへ。
店内を歩いていると、目に入ったのは380円のブリ。
脂が乗ってそうで、これは「ブリしゃぶ」にしたら絶対うまいだろうな…と。
気づけば、晩ごはんの献立が決まっていました。
帰宅後、ブリしゃぶをつついて、ひと息。
そのあと、少しの時間を使ってブログを書きました。
書くことで整える
毎日日記のようにブログを書く習慣。
これは、自分の心の中の整理整頓みたいなもので、ちょっとした生産活動でもあります。
ときどきアフィリエイトも織り交ぜて、見えない何かをカタチにしていく。
それを誰かが見て、買い物をしてくれたとしたら、手数料というカタチで少しの収入が得られる。
小さな循環だけれど、やっていて心が落ち着くのです。
生産活動を終えると、アニメを見たり、ゲームをしたり。
自分の好きなように可処分時間を消費して、お酒を飲んで、そのまま眠ってしまいました。
目が覚めたのは3:00am。
ありゃ、こりゃダメだと歯を磨き、寝間着に着替えて寝室へ。
ぐーすかと、気持ちよく眠れました。
見てはいけないものを、見ようとする夢
そんな深夜に見た夢。
なぜか温泉地でツーリング仲間と一緒にいて、混浴というシチュエーション。
女性がすっぽんぽんで入ってきて、おっぱいが目の前にあるわけですが…
堂々と見るのは気が引けるので、鏡に映った姿を「何気ないふり」で眺めているという、なんとも妙な夢でした。
自分の中にあるエロ心を隠して、それでもどこかで見ようとしてしまう。
目の前にあるのに直視しない、そんな「せめぎ合い」が妙にリアルで、
夢占いでもしてみたくなりました。
ハーレムな夢だったこともあり、目覚めたくないくらい、よく眠れました。
夢って、本当におもしろいものです。
夢占いの結果
あなたの夢は、少なくとも次のようなメッセージを含んでいるかもしれません:
- 今、あなたは 「癒し・休息を欲している」 状態にある。
- その一方で、 「自分をもっと見せたい」「自分の魅力・興味を出したい」「異性・関係性で動きたい」という心も動いている。
- ただし、その動きには少しの ためらいや距離感もあって、「どう関わろうかな」「これでいいのかな」という思いも含まれている。
- そして、夢占い的には「軽率な恋に流されない」「自分の本音・素の自分を大切にする」ことが望まれるとされています。
夢のあとがき 〜ためらいと向き合う〜
夢を見た夜のこと。
温泉の湯気のなかで、鏡越しに“見ようとする自分”を見ていた。
見たい気持ちと、見ないでおこうとする気持ち。
そのせめぎ合いが、妙に現実的だった。
夢占いを調べてみたら、癒しを求めているとか、自分の魅力を認めてほしい気持ちの表れだとか。
なるほどな、と思いました。少し身に覚えがあるからです。
仕事に追われ、時間に追われ、気づけばいつも何かに疲れている。
それはただの疲労ではなく、過去や不安と長く付き合ってきた疲れに近い。
アンチエイジングにも取り組んでいます。
中年になっても、どこかに色気を残しておきたい。



誰かに見せるためではなく、自分のために。
もう「常識だから」とか「みんなそうしてるから」では動かない。
思ったことを思ったように、自分の人生をちゃんと生きていく。
そう決めてから、少しずつ見える景色が変わってきたような気がしている。
それでも、ためらいは残っている。
過去の出来事や、誰かの揺れに、自分の心が引っ張られることがあるからです。
前に進もうとするほど、立ち止まってしまう瞬間がある。
でも、それは守ろうとしているからだと思う。
過去も、今も、これからも。
もう壊したくないものがあるから。
祭礼団体からは、今でも「戻ってこい」と声がかかる。
ありがたい話ではあるけれど、もう戻らないと決めている。
情に流されて、自分をすり減らすような選択はしない。
その余裕を失うと、生きている実感が薄れてしまうから。
本来の自分を大切にしたい。
だからこそ、「戻らない」と言えるようになったのだと思う。
鏡越しの視線。
見たいのに、堂々とは見られない。
たぶん、人は自分の中の欲や迷いに、簡単には折り合いをつけられないのだろう。
けれど、迷っているからこそ、立ち止まって考えることができる。
ためらいがあるからこそ、自分を壊さずに進めるのかもしれない。
夢は、そのことを静かに教えてくれていた気がしました。
いまの僕は、まだ途中。
けれど、少しずつ輪郭が見えてきている。
そんな朝でした。