明治20年、岡山の医師石井十次が日本初の孤児院「孤児教育会」(後の「岡山孤児院」)を創設した。
「児童福祉の父」と言われる。
岡山四聖人
アリス・ペティ・アダムス
小学校、保育園、幼稚園、和裁洋裁の夜学校に続き、無料の診療所を作る「福祉の母」
留岡幸助
感化院(のち児童自立支援施設)教育や、児童養護施設東京家庭学校および児童自立支援施設北海道家庭学校を作る「社会福祉の父」
山室軍平
労働紹介所、歳末慈善鍋(社会鍋)の実施、児童虐待防止運動、婦人・児童保護、貧困者医療など社会福祉事業をした「社会福祉の父」
キリスト教
神様はアダムをつくった。そして動物たちを作り名前をつけされた。他の動物には仲間がいるがアダムにはいない。
神様はアダムのあばら骨からイブを作り出す。ルールはひとつ。エデンの園の中央にある木の実を食べてはいけない。食べたら死ぬから。
悪魔の化身の蛇がイブをそそのかす。食べたら賢くなるよ。神様みたいになれる。イブは食べてしまう。イブは賢くなりアダムに勧めアダムも食べてしまう。
ふたりは裸でいる事に気がつく。いちじくの葉っぱで局部を隠して羞恥心が生まれた。神の言いつけをやぶった事で羞恥心が生まれたわけです。
そして神様は怒った。なぜ食べたのだ?アダムは云った。イブがボクに勧めたからだと。イブは云った蛇が私に勧めたからだと。責任転換を繰り返して自分の過ちを認めようとしない姿勢に、神はアダムとイブをエデンから追放した。
そして罰を与える。食べるためには労働をしなければならない。子どもを生むには苦しまなければならない。アダムとイブは働き子どもを産み育てた。それが人類である。
ここから
- 責任転換することなく隣人を自分のように愛しなさい。
- 神を信じなさい。神の教えを守りない。
とう教えとなり、孤児院の創設の思想に繋がっていくわけです。
石井十次の生涯
宮崎県で生まれる。下級武士の長男。6歳で明倫堂で学ぶ。明倫堂とはお城の中にあった文武両道を目指す学校である。年配者を敬い親を大切にして、皆で助け合うという精神を学ぶことになる。明倫堂で師に出会いました。師の教えを学びとり首席の成績で卒業することになりました。
海軍士官になろうと上京するも病気で帰郷し、政治談議をすると政府批判と受け取られ50日投獄されたりした。投獄中に西郷隆盛が吉野村を開墾したという話を聞き、自分も開墾しようと事業をはじめたという話もある。
仕事は教師、警察などしていました。17歳の時に宮崎病院長の萩原医師と出会い、医師のすすめにより医者の道を志すことになる。そのころに岡山の医学校に通いながら、岡山牧師を紹介されキリスト教の洗礼を受ける事になった。当時19歳の時だった。
巡礼者の子どもを預かる事になり、その数が増えて孤児院創設につながります。子どもの数は1200名にも膨れ上がるが児童福祉一本でやりきったということです。