今日は1881年(明治14年)に、警察署の管内に7つの「交番」を設置することが定められた日になります。
目次
交番について
交番というのは交代で番をするという意味で、2名~3名の警察官がシフトで番をしています。
交番の長は警部補になります。
警察の階級について
- 警視総監(内閣総理大臣の任命・トップ)
- 警視監(警視庁の副総監・全国38名)
- 警視長(警察本部の本部長・警察学校の校長)
- 警視正(国家公務員・署長の上位・なれる人少ない)
- 警視(警察署の署長・副署長)
- 警部(現場に出ない・チームを率いる・逮捕状請求できる)
- 警部補(令状請求ができる・国家試験合格者)
- 巡査部長(6年の実務経験と昇格試験・刑事)
- 巡査(警察学校を卒業して交番勤務)
交番の歴史
- 明治4年 警察官が屯所(警察署)を中心に見回りする。
- 明治7年 東京警視庁が設置。交番を地域の拠点にした。
- 明治14年 派出所に名称変更した。
- 明治17年 天気予報の掲示を始めた。
- 明治21年 全国に「派出所」が配置され「駐在所」ができた。
- 平成6年 正式名称は「交番」に決定する。
明治時代の警察
明治4年に明治政府は3,000人の警察官を採用します。当時は羅卒(らそつ)と呼んでいました。現在の警察署である屯所(とんしょ)を中心にパトロールを行っていました。そのほとんどが江戸幕府時代の武士でした。
明治7年に東京警視庁が設置。羅卒(らそつ)は巡査(じゅんさ)に名称変更しました。「交番所」に施設を設置することを決定し、そこを拠点に周辺地域のパトロール等を行うこととなった。
目的は明治政府を守るための武力組織です。西郷隆盛を打ち武士の世を終わらせた西南戦争には警察官が参加する「抜刀隊」が活躍したということです。
戦後はGHQに改革されました。天皇を守る武装組織とみられたためです。地方分権に改革が進められて今の体制いなったということです。
江戸時代の警察
遠山の金さんというテレビドラマにあるように、町奉行が警察官の役割をしていました。