「お疲れさま」と中山(仮名)スタッフが帰り支度をして僕に言った。
「また明日の朝が、すぐにやってきて、おはようございますだよ。」
中山さんが仕事を終えて帰って、僕はここから僕は晩御飯をつくり、なんだかんだ仕事をしていると、あっという間に朝が来て、「おはようございます。」と中山さんが出勤してくる光景が目に浮かんだ。
彼女がそのドアを閉めたら、すぐにまた開けて入ってくる。それぐらい夜勤の一夜は、めめぐるしく過ぎ去る。
僕の1週間のルーチンは、火曜日を軸にまわっていた。夜勤のある火曜日が憂鬱で、夜勤から解放された水曜日があって、その週の日曜日終わったら、また月曜日が激務で、そして夜勤の火曜日がくる。
ホントに、1週間が早い。
晩飯
今夜の晩御飯は鮭のバター焼きにチャレンジしようと思っていた。息子にLINEを入れる。「鮭のバター焼きを作るけど、食うか?」
いつものように「まじ」「たべる」という短いLINEが入ってきたので、スーパーで鮭を2パック購入した。
しかし、デイに来た息子は、「もしかし、もう焼いちゃった?」と、なんとも不穏な言葉を言った。
「いや、焼いてないけど」と、言うと
「賞味期限1日前の卵が冷蔵庫にあったから、卵料理にするわ。」と、こちらの都合なんかおかまいなしに、いつものように予定は変更になる。
「 あ、そう。わかった。」と、無機質に答えた。
お米は2合炊いたし、味噌汁も作ったし、揚げ出し豆腐も揚げたし、あとは鮭を4匹焼くだけだったんだけど、もう全てを忘れることにした。
空気が変わったのはこの後だった。
去り際に「あ、そうそう。面接受かったよ。」と唐突に言うので、僕はびっくりした。
僕の驚いた反応に、「え、何? 」と息子は戸惑っていたので、「いや、面接って月曜日だったろ? もう結果わかったの?だいたい1週間後じゃないの採用通知って。」と問うと、息子はスマホを取り出して、メールを見せてくれた。
そこには採用のお知らせが書かれていた。それを見た時、血が沸き立つような感じで、腹の底から電気が走って、反射的に「よしっ」っと小さくガッツポーズをした。
津波のような睡魔
夜勤明けの日勤を終えて、僕は心底クタクタだったが、突然の仕事が入り、僕はまだ事務所にいた。
外はすっかり暗くなっていて、僕の脳みそは36時間休みなく動いていたので、もうモヤがかかったように思考が働かなかった。それでも僕はパソコンに向かっていた。
スマホが鳴り、通知を見ると息子だった。
「おーい、今どこ」
「今、まだ仕事してる・・・」
「えーっとさー、採用されたからさー、勤務するメーカーの服を着なくちゃいけなくてさー、1年分の服を買ったんだよ。」
一瞬、僕は何を言っているのかわからなかった。
イチネンブンノフク??
「なんだって、1年分!?なんだそれ、どんな買い方なんだそれ!」と僕は言葉投げ捨てるように云うと、息子はケタケタ笑っていたから、なんかムカついてきて「そんな金、どこにあったんだよ!」と不満を吐き出したら「給料入るから、ま、それで」とか笑っていったが、また考えなしで、軽く買い物して、支払いに困って泣きついてくるんだ。
「お前バカか!」と吐き捨てたら
「なーに怒ってんだよー。だからさー、靴下だけなくてさー、ユニクロいこうぜー」と、全く反省の色がなかった。
それを聞いて、呆れてしまって、「今、仕事中だよ!」と言って、電話を切った。
寝不足で、思考力の低下している時に、感情だけがポコポコと湧き出たが、感情の輪郭をつかみ切れず、次から次へと噴き出してきた。とにかく心地よい話しではなかった。
仕事が終わった時に、どーっと睡魔が襲ってきた。
ユニクロ
僕たちは湾岸を走って泉南イオンに向かっていた。
「で、何人ぐらい面接に来てたの?」と僕は興味津々に聞くと、「100名以上来てたらしいよ」っとさらっと言った。
「え?100名以上も、すげぇ倍率じゃん。30名募集だったんだろ。」
「まぁそうかな。」
あれだけ面接に落ちまくっていた息子が、この倍率を突破したのかと思うと、なんだか誇らしく思えてきた。
「たぶん。飛行機が飛ばなくなるまで店が開いてるから、夜のシフトになるかもしれない。」
僕としては夜のほうが都合がよかった。何度も、息子の寝坊のせいで、約束をキャンセルしていた僕としては、寝坊でクビを切られるリスクが少なくなるので、遅い時間のほうが安心できる。
「夜の手当てが出るんだろ。時給も上がるから万々歳じゃないか。それにお客さんも少ないだろう。」と、息子のやる気を保つために、メリットを強調した。
「しかし、面白そうだな。客の大半が観光客だから、英語を活かせるわけだろ。」
「そうだね。たぶん英語力は落ちてきているから、また元に戻せるかな。」と、息子は自覚しているようだった。帰国が去年の3月だから、1年は英語から離れた生活をしていたわけだ。その間に、聞き取りはYoutubeとかで聞けるけど、反射的に英語で言葉が出てこなくなっていた。
車を専門店街側に駐車して、ユニクロまで直行した。
泉南イオンのユニクロを、息子はこれからの仕事着を探しに店内を徘徊しはじめた。僕はパンツが穴だらけだった。下着とか買った事がない。すべて別れた妻が買ってきてくれていたので、もう7年もパンツは買っていない。大きく破れて、そこから金玉が出てくるという始末だ。僕は僕で買い物しなくちゃいけなかった。
ズボンを見ていると、中山さんが新しいズボンを、ユニクロで買っていて、ある朝に僕はそれに気がついて、「そのズボンいいじゃん。なんかシルエットが安定したというかさ。」と言うと、「主任、よくわかりましたね。これ、ユニクロで買ったんですよ。」と、裾が少し広がっている感じの、茶色のズボンを右へ左へ体の向きを変えて見せてくれた。
中山さんと同じようなズボンを、僕も欲しいなと思い、店内をうろうろしていたら、ちょうど太ももから裾まで、大きく開いたバレルレッグパンツを見つけた。
なんだかそれは、僕の今の体型を隠してくれるんではないかな?といった期待があって、これを買おうか迷っていたところに、息子が寄ってきて、「ズボン買うの?」というものだから、「これどう思う?」と息子に意見を求めてみた。

すると息子は「そんなもの人の好みだから、パパの好きなものを買えばいいんだろうけど、パパには似合わないと思うよ。」と息子は続けた。
「パパはさ、足が長いからさ、やっぱり体型を隠すんじゃなくて、強調するようなスリムなパンツの方が似合うと思うよ。」と、妙に説得力があった。
息子は小さいころ、試着することが大嫌いで、別れた妻が息子に「これ試着してよ」と差し出しても、「えーめんどくさい」と言って、試着するのを好まなかった。だから妻は、息子の服選びには、だいぶ苦労しただろうと思う。
そんな息子が、僕に向かって、服に対する自分の意見をぶつけてくるわけだ。人は変わるもんだなぁと感心した。
そして息子は「ちょっと一緒に探してみようか」と、なんだか急に息子が大人に見えて、そんな僕の気持ちをよそに、ズボンを探し始めた。店の中で一番奥の方にある、ジーンズコーナーで立ち止まり、いろいろ物色していたけども、気になった逸品を見つけて、僕に差し出した。
「これ、試着しておいでよ。」
と差し出したズボンは、先ほどのバレルレックパンツとは、全く逆方向のスリムフィットチノといった種類のパンツだった。

試着室で足を通してみると、足を締め付けられるような感覚で、「おっと、これはかなり細いぞ」という感じで、両足を通すと、キュッと股下が閉まるような感じで、鏡に映る僕の足は、見事に引き締まって見えた。
試着室を出るなり「うん。それいいわ。それにしなよ。」と息子が言うので、僕はその一言で決めた。
カプリチョーザ
息子は、ラザニアとピザを注文した。僕はエビのスパイシートマトソースを注文する。
息子がラザニアを好むのは、昔からだ。食べ物の好みは変わらないらしい。スパゲッティといえば、僕はペペロンチーノだったが、今日はトマトソースを頼んでいる。ただ、ピリ辛は同じだ。
「友達がさ、攻撃してくるんだよ。お前はいいなって言って。服を作ってることを話してるとさ、ネチネチ嫌味を言ってくる。」
「それはそうだろう。だってさ考えてみろよ、友達は大学に行ってるんだろ。多分親に行けと言われたんだろうけど、やりたいことなんて、まだ見つかってないんだと思うよ。で、そこにお前が、やりたいことを見つけて没頭している。それが羨ましいんだと思うよ。」
「それは分かるんだけどさ、僕だって去年の今頃なんて、服なんてろくに作れなかったし、できたと思ったら、次の日に見てやっぱダサくて、破り捨てるという繰り返しだった。あいつは、僕がコツコツ努力してここまで来たのを、知らないわけだよ。それをすっ飛ばして、今の僕を見ているから、僕は納得いかないんだ。」
僕は黙って聞いていた。
「友達がさ、大学に行くのは勝手で、そこで何を学んでるのか知らないけれど、多分適当に遊んで、多分適当に飲んで、やりたい事を見つける努力もしてこなかったんだよ。」と息子は身振り手振りで続けた。
「僕は努力をしたし、悩んだし、気が狂いそうにもなったけど、あいつはそんな経験はしていないからさ、それで—お前はいいのよな—なんて言われてもさ、むかついてくる。」
息子の気持ちは分かったが、やっぱりちょっと言っておきたかった。
「あのさ、その友達はさ、親の成功体験を教えられて、親の人生を生きているんだとパパは思う。パパもさ、かつてはそうだったんだよ。」と誰しもが、今の息子のような考えには至らないという事を知って欲しかった。
「パパは自身の経験を反面教師としているから、お前は自分の人生を行けと言えるわけ。多分これは、ママも一緒で、自分の人生だから好きなように生きろ!と、お前の背中を押すだろう。親が理解があるって、恵まれた環境だろう。」と僕は笑って言った。
別れた妻と、教育方針は一緒だったと思う。まぁ教育といっても、僕は教育らしいことはしていないが、それでも子供に対する思いは一緒だったと思う。
ただ、それは結婚していた頃の話であって、あれだけ仲が良かった夫婦仲も、今は牙を向けられているわけだから、多分、結婚してた頃の妻を想像して、きっとこうだろうと考えるのは、ちょっと違うのかもしれない。
もう多分別人になってるだろうし、僕の知っている妻はいないだろう。
それに、僕も、結婚してた頃の僕ではなくなっているし、多分別れた妻が、今の僕と会ったとしたら、全く違う質感が立ち上がって、戸惑いを見せるだろう。
お互い様だろうな。
食料品売り場
腹もいっぱいになったし、あと買い物に行こうと思って、食料品売り場まで、専門店街を抜けて歩いていた。
「パパは、友達にマウントを取られているんだよね。まあ別に全然気にしていないんだけどさ、お前の息子大丈夫?—-とか、もっと真面目に考えてあげた方がいいんじゃないか?—-とか、まあいろいろマウントを取られるわけ。」
それを聞いた息子は、僕を見て「何で?」と笑っていた。
「良い大学を行って、良い企業に就職する。これが一般的な、幸せのレールとして世間から期待されるもので、それを盲目的に信じている人って、自分の息子とか娘が、このレールにちゃんとはまっているかが重要なわけ。つまり、親のメンツになっていくわけよ。他所の子と自分の子を比べるのは、これが価値観が基準になっているわけね。」
息子は、少し考えたような顔をしながら、頷いてみせた。
「お前は部屋に引きこもって服作りに明け暮れているわけだから、そのレールからは思いっきり外れているわけ。だから、パパの友達は、心配するわけよ。」
と、言葉にして違和感が立ち上がり、いや違うな・・・と言い換えた。
「心配しているフリだな、パパから言わせると。表では心配しながら、本音は優越感に浸っている。」だから、マウントを取られているような感覚になるわけだ。
「それ、ちゃんと説明しろよ。単に引きこもっているんじゃないって。その後のプランとかさぁ。」と息子は言ったが、僕はそこに意味がない事を知っていた。
「説明したところでわかるかね?お前の友達に説明して、わかった人いた?」
「確かに・・・」と息子は短く答えた。
「そういうこと。世間から押し付けられた価値観に、洗脳され続けてる人に、—-お前は洗脳されてるぞ—-と言ったところで、伝わらないしね。わかって欲しいと思った分だけ、失望に変わるわ。」と、笑って言った。
かつて、僕は、本当にこれでいいのかなと、息子の状況に深刻に考えたこともあったけど、息子の性格や性質、それらのものは、一般的な定規で測りきれない。息子は、どうやら特別な力を持っているようで、その力で世間を渡っていく方がいいのだろうと、今ではそう考え至るようになっていた。
「何に幸せを感じるのか、人それぞれだよ。仮に、お前が高校卒業して、就職してたとしようか。そしてパソコンで事務作業をしていたり、工場で荷出し作業をしていたり、日々鬱屈した気持ちを抱えて、世間のルールに違和感を感じながら、あー疲れた、働くのもう嫌だ、と感じ続けていたとして、それなりの金が入って生活には困らない。それが幸せだろうか、お前にとってどうだろう?」
息子は即答して「そう。僕は社会不適合者だからね。だけどちゃんとプランはあるし、やりたい事をさ、確実に実行してさ、作品を作り続けてさ、SNS にアップして、フォロワーが増えて行ってて、今またアイデアが生まれてて本当に楽しいんだよね。」
僕はその息子の言葉を聞きながら、そうなんだよな、お前はそういう性質を持っているんだよっと、息子のカタチがハッキリ見えていた。
「パパは、今までずっとこれでいいのか不安に思っていたけども、お前の好きという情熱、好きなことに全振りできる能力、そしてお姉ちゃんと一緒で、凄まじい集中力と根気がある、これら全てがお前の長所。その長所をいかんなく発揮するためには、—-好きなことには、どんな犠牲もいとわない—-といったトリガーを、ちゃんと踏むことだと思ったんだ。」
僕は、買い物かごを取り、息子はカートを取って、一緒に食料品売り場へ歩いて行った。
「まあ何しろこれからだな。週5で働いて、時給もいいからそれなりに給料も出てくるし、それで生地を買って、レザーも買って、作品を作って、完成したら SNS にアップして、それの繰り返し。やるべきことはもう見えてる。」
と言い、息子は先を歩き続けて、食品売り場へ消えていった。僕は果物コーナーで立ちどまり、大好きな八朔を手に取った。
どこをどう歩こうと、
どこでどう立ち止まろうと、
未来はどこかに繋がっている気がする。
