履歴書の外側

目次

借金

息子宛に封筒が2通届いていた。封筒には、「重要」と印がされて、国民健康保険と国民年金と書かれてあった。

公的な書類が、やっと現住所に届くようになったと思えば、次は「重要」と書かれ、封筒を見るだけで、嫌な予感が滲む書類が送付されてくる。

慎重さの欠片もない息子の足跡みたいなものだ。

開封しなくてもだいたいわかる。これは督促状だろう。息子は、支払いを焦げ付かせる事が多かった。以前は、キャッシュカードの支払いが焦げついて、ChatGPTの課金が止まり、スマホが使えなくなった。

「キャッシュカード使ったらダメな人だわ」と息子は言ったが、「そんな問題じゃないんだよ。収入がないのに、カードで買い物するのが問題なの。後の支払いの事を考えなかったの?」と僕は呆れた。

今、働いていないのに、未来に金が沸いてでると?石油じゃないんだから、そんな夢みたいな話があるわけないだろう。

「面接に落ちるからさ、どうしようもないじゃん。」と、息子は笑って言った。事の重大性をわかっていない事に、僕は苛立ちを感じたが、ここは力を抜いて視野を広げた。

軽く息を吐いて、改めて聞いてみた。「2か月後なら給与が入っているから、支払いが出来るという目算だったのか?」と問うと「そういうこと!」と息子はニッコリ笑ったが、僕は反対にげんなりした。

結局、この金は僕が立て替えて払う事になり、息子は6万円の借金が出来た。


地鶏

健康保険の滞納は今に始まった事じゃなかった。いつだったか、あれは去年の8月ぐらいの話だ。

「おーい。」

デイルームで仕事をしていると、息子が入ってきた。

息子の後ろには、見慣れぬ女性が立っていて、すぐに僕は息子の彼女だという事がわかった。僕は精一杯の笑顔を作り、「おいでやす」と京都風に挨拶をした。

「私が父です。」と短く挨拶をして、「どうもどうも、息子のご学友ですな。息子からは聞いておりますとも。お会いできるのを楽しみにしておりましたよ。ホッホッホ」と丁寧にゆっくり執事風の挨拶をした。だけど、彼女からは全くツッコミはなかった。

僕なりに場を和ませようと、気を遣ったのだけど、おもいっきり空振り三振してしまったようだ。

名前を聞くと、どうやらキラキラネームみたいな難しい感じだったので、僕はあだ名をつけることにした。名前を忘れてしまったら、失礼だろうと思ったので、覚えやすいあだ名で「まるちゃん」なら忘れないだろうと思った。

「ということで、まるちゃんで呼んでいいかな。ちびまる子ちゃんみたいで覚えやすいから。」と、彼女に笑顔で言うと、「やめろよ。困ってるじゃないか。」と、息子は間に挟まれて僕を制止しようとした。

僕は、そんな息子の様子が可笑しくて、楽しくて、たまらなかった。普段、面倒かけられている分、ここで遊んでやろうと思った。

「全く違うわけじゃないぞ。『ま』は、合ってるだろ。」とまるちゃんを見て、「なぁ、まるちゃん。」と笑ったら、彼女も笑っていた。たぶん暴走した変なおじさんに、笑うしか対応できなかったんだろう。

とても素直で良い子だ。

「まるちゃん。明日、メシでも食べに行こうか」と言い、息子にとっては、僕が何を言い出すかわからない、ハラハラのお食事会が決まった。

まるちゃんが、「明日楽しみにして待っています。」と丁寧に僕を見て、「これ、どうぞ」と手土産をくれた。それは「老舗とらや」のようかんだった。

とらやは、映画「男はつらいよ」ででてきた名店だった。「ありがとう。いっかい食べてみたかったんだよ。」と本心で喜んだ。

「ありがとう。まるちゃんのママ」と心の中で、お礼を言った。

たぶん、まるちゃんママが、「これもっていきなよ。」と江戸っ子弁でまるちゃんに持たせたのだろう。

だいぶ気を遣っているなと感じたが、結婚するわけでもあるまいし、僕が前に出る話しでもないだろう。だから、まるちゃんが買ってくれた品物だという建前で、そっとしとくことにした。

まるちゃんママ、手土産を持たせるなんて、しっかりしてるなぁと思った。この時ほど、別れた妻が隣にいてくれたらなぁと思った事はなかった。僕にはこういったお付き合いの常識が、備わっていないからだ。

たぶん、これからこういう事が増えるんだろうなと、ちょっとだけ不安になった。

2025年8月3日(日)宮崎地鶏で食事

そして、次の日の晩御飯を、宮崎地鶏「車」で食事をした。

僕たちの前に、鶏の刺身が運ばれてきた。

「この刺身が最高なんだよ。」と僕はまるちゃんに刺身醤油を手渡した。

次に、地鶏の炭火焼きが運ばれてくる。これがこの店の看板メニューで、スモーキーな香りを放って、鉄板でじゅうじゅうと美味しそうな音を立てている。

「まるちゃん、これ食べ。これが最高に旨いから」と、息子の大切な女性を、わが子のように大切にもてなした。

映画はミュージカルが好きだとか、遠距離恋愛はたいへんだとか、息子が電話に出てくれないとか、いろいろ話をした。口数の少ないまるちゃんと話すのは至難の業だったし、あまり食べなかった。後から聞くところ、緊張していて、何を話せばいいのかわからなかったということだ。

彼氏の父親と食事で、何を話していいかわからない。それが普通の反応だろう。僕にもそれは良くわかったし、それでいいと思った。

その夜は、ここで別れた。遠距離恋愛でやっと会えたわけだから、邪魔しちゃ悪いなと思った。邪魔者は早々に退散して、僕は僕の時間を愉しむ事にした。

別れ際に「まるちゃん。健康にだけは気をつけてな。」と声を掛けて、僕はひとりで「麺屋 丈六」に向かった。

旨い酒の後は、〆のラーメンだ。醤油で真っ黒になったスープが最高なんだ。

カンピロバクター

まるちゃんとの食事会の3日後の、2025年8月6日(水)だった。

いつものように、居酒屋三徳で佐藤さん夫婦と呑んでいた。

「やまちゃん、息子の晩御飯を注文していい?」と、恵理さんが言った。佐藤さんと恵理さんの、ひとり息子の晩御飯の話だった。

恵理さんと血の繋がりはないのだけど、恵理さんはすっかり母親をしていたし、佐藤さんと息子さんの間に入り、叱る時は叱って、だけどちゃっかり気に掛けていて、晩御飯を持ち帰りで注文したりする。なんだかんだ文句を言っていても、ほっとけないのだ。

この気持ち僕には良くわかった。親子関係に血の繋がりは必要ない。子どもが親だと思えば、そうだし、親がわが子だと思えば、それでいい。ふたりの問題だから親子関係は、絡まりもするし、ほどけたりもする。とても扱いの難しい人間関係だと思う。

僕も恵理さんを見習って「ちょっとまって。僕も息子の分を注文するわ。」と息子にLINEを送信した。

すると、メシどころの話ではなかった。

息子

晩御飯いらない

息子

もう食べて寝ようと思ったら

息子

風邪ひいた

息子

これカンピロバクターじゃないのか!?

息子

症状めちゃくちゃ一緒なんだけど

息子が寒気と嘔吐を繰り返している最中で、具合が悪くて苦しんでいるらしかった。

「なんだろ。カンピロバクターって?」と、僕はLINEを読み上げると、恵理さんが「それって私も感染したことある。めっちゃ辛いよ。」と教えてくれた。

以前、恵理さんは鶏でカンピロバクターに感性していて、なにも食べれず体重を減らしたということだった。それ以来、恵理さんは鳥を食べなくなった。それぐらい辛い症状だということだ。

「え?マジで。」と、僕はそんなひどい症状なのかと驚いた。

「治療がないねん。菌が排出されるまで、ひたすら耐えらないかんやつ。」と、鶏の菌で、発症まで3日ほどかかる特徴があるそうだ。

「そういえば、3日ほど前に、息子の彼女が遊びにきたから、一緒にメシ食って、肝の刺身を食ったわ。」というと、恵理さんが「たぶん、それじゃないの。」と目を細めた。

吞み始めて1時間ぐらい経つ。余市のハイボールを2杯と、角ハイボールを2杯は飲んでいたかもしれない。夜勤明けで、身体は疲れていて、呑んで話して、あとは帰って寝るだけだった。そこに飛び込んできた息子のカンピロバクターの情報だったので、いっきに酔いがさめて、現実に引き戻された。

これは病院に行ったほうがいいなと思った。

以前、別れた妻がインフルエンザに罹ったことがあった。インフルエンザで身体の関節が痛んで、動けない時に、僕は妻の状態を想像できず、大丈夫だろと呑みに行ってしまったのだった。それを今、この瞬間に、リアルに思い出していた。

あの時と同じ過ちは犯すまい。

「佐藤さん。すんません。この借りはどこかで。」と挨拶を済ませて、僕は息子の通院のために帰った。

徳洲会病院 夜間診療

家に到着して、息子と話をしていると「吐き気と寒気が交互にくる」と息子はゲッソリしていた。

今からタクシー呼ぶから徳洲会病院の夜間診療に行こうと伝え、息子もよっぽどしんどかったんだろう、いつもなら「病院?やだよ面倒臭い」と言うのに、今回は違った。カンピロバクターがどのような病気なのかわからなかったが、今夜中に医師の診察を受けておくに越した事はない。

夜の徳洲会病院には、親子づれと、独り身の70歳ぐらいの男性が、待合のソファーで座っていた。夜の病院は音が響いた。歩く音や、話し声が響く。誰もがどうようしもない状況で、駆け込んできた患者だろう。僕たちもそのなかの当事者だった。

「もうあの店いかない。」と、息子は鶏の肝を生で食べた事を後悔していた。

「そうだな。しかし、俺も食べたんだけどな。なんともないし。まるちゃんはどうなの?」と、医師に説明するための、客観的な情報を整理しておきたくて、息子に質問した。

「なんともないみたい。」と息子が言うので、息子だけが体調悪化したわけだ。

診断は医師がするものだが、あくまでも僕の推理としての物語が立ち上がる。

慣れないひとり暮らしで、抵抗力が低下しているのかもしれない。息子は見かけによらずデリケートなところがあった。

「嘔吐と悪寒があって、鶏の刺身は食べたんですけど」と、僕が息子の代わりに先生に説明する。

若い男の先生は、「原因はわかりませんが、鶏を食べたのであれば、カンピロバクターの可能性もありますね。心配なら翌日の診察予約とっておきましょうか?」と言った。

「え?先生、クスリとか治療とか無いんですか?」と僕はあまりにも簡単な診察に、疑問を持ちながら訪ねた。

「カンピロバクターであっても、出来る事は菌を出す事ですからね。一応点滴を打っていきますか?」と、若い医師は説明したが、息子は全力拒否だった。

診察が終わった頃には、息子は元気を取り戻していて、さきほどまでのゲッソリ感は微塵もなかった。

これじゃ、ビオフェルミンでも飲んで、家でゆっくりしてても良かったじゃないかと思ったが、飲み会を切り上げて、病院に連れてきた事実だけでも、昔の自分と比べたら、以前と違うところか、という点で、僕はやっと親らしいことが出来るようになったのかもしれないなと思った。

ただ、ここからだ。今回の本題は。

自費扱い

会計するときになり、「健康保険が使えないので、ひとまずは実費になります。」と言われて、僕は「ケンコウ保険がツカエナイ?」と耳を疑った。

「は?なにそれ。健康保険が使えないとか、あり得るの?」と目を丸くする。

話を聞くところ、ママと一緒に住んでいた頃の住所のまま、住所変更していなくて、そこに納付書が送られていたはずだが、ママが「ここには住んでいませんので」と納付書を受け取り拒否しているという事だった。

「納付書をとりにおいで」とLINEひとつで終わった話が、母子関係のギクシャクのために、健康保険がツカエマセンという状況に発展してしまっている。

僕は、この話を聞いた時に、心底呆れた。息子も母親も自分が正しいと意地を張って、硬直した関係になっていて、どこまでも焦げ付いていた。

人それぞれの現実は、実は曖昧なもので、これを書いている今でも、僕は僕の現実をなぞっているにすぎなくて、妻から見れば全く違う現実だったりする。

なぜ、そんな事が起こり得るのかというと、事実をどう解釈するのか、人それぞれ違う。ひとつの出来事でも、見方が違えば、感じ方も捉え方も違う。黒にもなれば、白にもなる。

自分が正しいと思い込んでいるものは、自分だけの世界で通用するものであり、相手の世界は、違う正しさがある。ただそれだけの事にすぎない。

息子と母親は、どこまでも自分の正しさを証明しようとして、心の距離が離れてゆく。握りしめたものを、手放すだけで、見える景色が全く違ったものになるのに、互いの幸せとは、逆の方向へ突き進んでゆく。

そんな構造を、僕は自分の過去を振り返り、身体で理解していた。自分の正しさにこだわる事よりも、大切なものがあるという事に、なぜ気がつかないのだろうと、僕はため息が出た。

とにかく、目下の課題は、治療代を自費で払わなくてはいけないということで、かなりの高額治療代になるという事だった。

健康保険料を滞納しているなんて、あり得ない話だ。


伝わらない想い

以前の徳洲会病院での自費治療を思い出していた。

あんな事があったというのに、また同じ過ちを繰り返している。

「健康保険料と、国民年金の請求が来てるけど、あり得ない金額だぞ」と僕は、息子に事態の深刻さを知ってもらいたいという願いを乗せて、LINEをした。

すると、「たか!」とか、「12か月分が一気に来ているのか」とか、「ま、ちょっと役所いくわ」とか、的外れた返信が来て、「大切なのは、そこじゃないんだけどな」とピントの合わない気持ち悪さがあった。

僕は「払え」とか、「対応しろ」とか言ってるつもりではなくて、自分がどれだけ日本の制度から外れたところにいるのか?社会保障の傘から外れてませんか?日本国籍なのに、日本の公的サービスを利用できませんよ、ということを知って欲しかっただけだ。

息子の、ピントの外れた反応には、僕の血圧は上がるばかりだったし、学んで欲しい事が、伝わらないのが、もどかしかった。


意地を握りしめるな 力を抜け

封筒は、健康保険と国民年金の他に、もう一通来ていた。

「お前に封筒が来てるぞ。なんとかコーポレーションとこから」と、白い封筒が来てる事を伝えたら、しばらく息子は考えこんで、思い出したようで「あーーー!」と大きな声を上げたと思ったら、そのまま肩を落として、怒りをぶつけるように「また面接おちたわ」と投げ捨てるように言った。

その封筒の中には、履歴書が入っているそうで、8割がた大丈夫だろうと目論んでいた面接結果が、見事に不合格通知と共に、返却されたとのことだった。

「また落ちたんか。」と僕は呆れて言った。まるで鉄板ネタのような「面接おちたー」「またかー」の繰り返しで、どうも落ち癖がついている。

この状況を、どこかで変えないとな、と僕は思案を巡らす。

息子の課題であるけれど、ちょっとこれは干渉しておいたほうが良いだろうと感じ、僕は境界線を越える選択をして、息子にLINEを送った。

「履歴書をチェックしてみるから、なんとかコーポレーションの封筒の中身を見るぞ。」

息子に送られてきた封筒を見るのは気が引けるが、落ちる流れを少し変えておかないと、働こうと思っているモチベーションがしぼんでしまうような気がしていた。

実際、「次の面接落ちたら、もう絶対働かない」とかバカな事を言っていた。

そこで意地を握りしめると、視野が狭くなって見えるものも、見えなくなる。力を抜いて冷静になったら、視野が広がって、次の一手が見えてくる。

息子の気持ちはわかるが、そこで一歩立ち止まるんだよ。

握りしめるな。力を抜け。

それだけで未来が変わるんだから・・・。

人生の縮図


封筒の話をした週末の日曜日のこと。

息子はぎこちない手つきで、にんじんの皮をむいていた。包丁で鉛筆削りのよう皮を切っているものだから、ニンジンの食べれる果肉部分が、ごつごつと落とされて、ゴミ箱に入ってゆく。

「あのさぁ、包丁の裏を使うんだよ。そんな皮の切り方したら、食べるところ無くなるぞ。」

「それを早く言えよ。なんで失敗してから、いつも言うんだよ」

「お前、失敗しなくちゃ、何も学ばないじゃないか。」

相変わらず、僕たちはドッチボールのような会話をしていて、「とにかく経験しろ。失敗して学べ。」といった関わりを僕は繰り返すようになっていた。

息子と接する事が多くなるにつれて、別れた妻ならどうしただろう?と考える事が多くなった。痛みも、やけども、危なく無ければ、身体で学べと妻は言っていた。親が良かれと思って手を出しすぎると、失敗出来ない。学ぶ機会を奪わない距離感で、出来るまで待つ。そんな女性だった。

放任、観察、忍耐が、別れた妻の教育だったと思う。

「ニンジンなんてあまり食わないから、これでいいや。軽量カップはないの?」

「そんなもの持ってないよ。」と、いちいち軽量カップを求めるところ、生活力のなさを改めて感じた。

「マジで、どうすんだよ。」

「だからさ、そのペットボトルが1.5ℓなんだろ。じゃぁ3分の1が500mlだろう。目分量で水入れたらいいじゃん。濃い目に作っといて、味見をしながら調整すればいいだろ。」

設計図を見ずにプラモをつくれるのに、料理となれば、なんでこんな説明が必要なんだろうと思った。

「それもそうか」と息子は納得したようで、ニンジンとじゃがいもを炒め始めた。

僕たちは、日曜日にキャンプに来ていた。息子は夜の都会をバイクで走るのが好きだったが、自分の事を客観的にわかりはじめてから、感性の落ち着く場所を求めるようになった。

大都会のノイズだらけの場所よりも、自然を好むようになり、今日はキャンプに来て、薪を燃やして、ゆっくりと過ごそうと、昼ご飯を作っているところだった。

オリーブオイルの跳ねる音が、耳障り良く、息子は、悪戦苦闘しながら、ニンジン・じゃがいも・たまねぎを炒めていた。それを僕は見ながら、「普通、野菜よりも先に、鶏を炒めるんだけどな」と思っていた。

息子は、クリームシチューを作るつもりだ。まるちゃんが遊びに来た時に、クリームシチューを作ってくれたみたいだから、あの時の料理を再現しようとしているわけだ。

「薪を燃やすから、料理は好きなの作れよ。材料選びから調理まで、自分次第だからな。」と言ったら、クリームシチューを作っている。まるちゃんの影響というのが、わかりやすくて笑えてくる。

「しかし、いつ鶏が炒められるんだろう・・・」失敗してゆくプロセスを僕は黙って眺めていた。

500mlを目分量で、鍋に水が注がれてゆく。鍋の下では薪が燃えて、白い煙が上がってゆく。炒めたニンジンとジャガイモがゆっくり煮られてゆく。そして鶏肉は放置されたまま、クリームシチューのカタチを成してゆくのだった。

「あのさぁ、鶏っていつ炒めるの?」と僕は素朴な疑問を息子に投げかけた。

「あーーー!」

「だから、なんで失敗してから言うんだよ。失敗する前に言えよ!!!」と、取り返しのつかない、巻き戻し不可能な状況を、やっと認識したようで、息子の完成イメージは見事に崩れ去った。

僕は笑いながら、フライパンを差し出して、「お前、失敗も経験だろ。これで鶏を炒めて、鍋に投入すればいいじゃないか。」言うと、なるほど、その手があったかと感心したように、「頭いいな。」と褒めてくれた。

息子は、にんにくを包丁で切りだした。オリーブオイルで、にんにくを炒めて、香りづけをするつもりだ。

包丁で、にんにくの皮を切ろうとしている息子が言った。「にんにくの皮がむきにくいな。切りにくいわ」と悪戦苦闘しているのを、僕はじっと眺めていた。「それって、これで切るんだよ。」と料理バサミを息子に見せた。

「だからーーーーー!!先にそれを出せよ!!」

僕は大笑いして、「頭を使えよ。お前のその灰色の脳みそは飾りなのか?」っと、とても楽しかった。

息子の初キャンプは失敗続きだ。まるで、息子の今の縮図のようだった。

鳥の鳴き声が響く自然のなかで、青空に向かって、煙はまっすぐに昇っていった。

チャレンジは始まったばかり

僕はヘレステーキを焼き、魚を焼いて、ジョニウォーカー黒ラベルで水割りを作って、ひとり楽しんでいた。息子は、クリームシチューを作り、パンで食べている。

一緒の料理をするのではなく、別々に好きな料理を作り、それをちょっとだけシェアし合う。「なかなか、いけるじゃん。」と互いの料理を褒めながら、温かい日差しが降り注ぐ、大自然のなかで、薪を燃やして調理をした料理は、なんでも旨かった。

履歴書の外側

「そういや、履歴書みたけどさ、書き方は別として、内容を修正したほうがいいと思うよ。」と、料理も食い終わり、薪をくべながら、パチパチと再び燃え上がる炎を見ながら言った。

「どこが悪かった?」と、お腹もふくれて、満足した息子は言った。

「えっとさ、バイト履歴を書いてるじゃん。1年未満の職歴とか書いたらさ、職を点々とする人だと思わるからさ、バイトの職歴は書かなくていいよ。」

僕が面接をする時も、まず職歴を見て、1年未満に職が変わっていたら、マイナスポイント。この人は何か問題があってトラブルを起こすんだろうなという印象を立ち上がるし、採用したとしても、すぐに辞めるだろうと様子をみている。実際に、そういう人は都合が悪くなると辞めていった。

「それとさ、20歳という若さだからさ、職歴が無いのが強みになったりするんだよね。これが30代とかで職歴があったらさ、変に癖がついてるから、こちらのやり方に合わせてくれるんだろうか?とか雇う側は警戒するわけ。だから20歳と職歴なしという強みを活かしたほうがいいよ。」

「その発想無かったわ。」と、息子は僕を見た。

「何も知らないほうが、なんの疑問ももたずに覚えてくれるからな。雇う側としては、伸びしろを期待するんだよ。」と、僕は話つづける。くべた薪は勢い良く燃え始めて、白い煙がもくもくと上がってゆく。鼻腔を刺激する炎の香りが、ウイスキーのスモーキーさを際立たせた。

「それにさ、留学から帰ってきた空白の1年のほうが大切でさ、ここに物語を考えておいたほうがいいと思うよ。」

「それ言ってるんだけどね。」と息子は即答したので、それも拾いながら話を進めた。

「今の履歴書で、職を点々としている風来坊のイメージで見られたら、あとは消化試合だよ。どんな物語を聞かせれても、入りが悪いわ。」

僕はフライパンにオリーブオイルを入れて、ウインナーを転がしながら続けた。ウインナーとウイスキーは絶妙に合うんだ。油の跳ねる音と、ウインナーの焼ける香りが、再び食欲を刺激する。

「韓国の友達に、服飾専門学校に行こうと誘われたのは事実だろ。そこから服作りが始まっているわけだから、ちょっと脚色して物語を作るとしたら、そうだな。」

  • 3月に帰国しました。
  • 服飾専門学校の願書が間に合いませんでした。
  • だから来年受けようと思いました。(1年の空白に説明がつく)
  • その間、ミシンを買って独学してました。(目標がある)
  • 独学でジーンズが出来ました。(スキルを獲得する能力がある)
  • 服飾専門学校の受験はせずに、このままプロの世界に興味がでました。(向上心・柔軟性がある)

「で、いいんじゃない?」

「1年を意味づけすんのね。なるほど。」

「そういうこと。すると、空白の1年が意味を成して、計画性がある人だな、自分でスキルを身につけれる人なんだな、行動力のある人だな、という好印象を与えられるでしょ。」

「確かに」と、息子は立ち上がった。

「要は、履歴書は、能力を書くのではなくて、どう見せるかという視点で、書けばいいわけ。」

ウインナーは良い頃合いで食べごろだ。息子は僕の焼いたウインナーをひょいと口に入れて、「おっけー、わかった。」と言って、上手に焼けたウインナーに、ご満悦だった。

「次の面接は4月だっけ?」

「うん。4月かな。これ本命だから。英語を話せるから大丈夫っしょ。」と自信満々だったが、それが危ないわけで、僕は念には念を入れる提案をした。

「履歴書な。パソコンで作れ。お前の字はヘタウマな字だからな。字を絵として認識してんだろ。あの個性的な文字は、印象悪く映るからな。履歴書をダウンロードして、ワードで書いてしまえ。」と、僕は息子にアドバイスした。

「字が下手なのは、すぐバレるじゃん」と息子はまたピントの合わない事を言うので、「そんなもん入ったもん勝ちだろ。面接をパスするためだけの小細工だよ。」と僕は、熱々のウインナーを頬張った。

「いい加減だな。そんなんでいいの」っと、息子は笑っていた。

「バカ。いい加減じゃなくて、良い加減なんだよ」と僕も笑った。

次の面接は、4月8日にある。オープニングスタッフの募集で、しかも英語力もあるから、大丈夫だろうとは思うけども、油断禁物。大手のアパレルで30名募集だというが、時給が高いので競争率も高いだろう。

息子のチャレンジは始まったばかり。

僕の出来る事は、息子に知恵をつけさせ、応援するぐらいだ。

自然のなかで嗜むウイスキーが最高だった。

Soul Love

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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