なぜ心が病むのか?
心が病む時は、きまって目標を見失っている時であって、自分がどこに向かって進めばいいのか迷路に迷い込んでしまった時だったりする。
今やっている事が、将来へと繋がっているのか不安になる。成長を実感出来ない。手ごたえがない。そんな時に心の闇が生まれてくる。
成長はエスカレーターではない
成長のプロセスを見ていると、エスカレーターのように分かりやすく右肩上がりで登ってゆくものではなくて、ある時予期しない形でやってくる。デコボコな感じで登ったり下ったり。
なぜそのような成長の仕方になるのかというと、すべてが繋がっているからだ。絵が上手くなりたいといって学びとらなければならない事はたくさんある。
- 線のひきかた
- コントラストの表現
- 筋肉の知識
- 骨格の知識
- 絵を描く時のマインドセット
などなど、各項目が複合的に繋がりあって絵が生まれる。ひとつだけでは上手にならない。ある程度のつながりが出来た時に、ドンっと成長したりする。
成長は繰り返しの中から生まれてくるもので、大きく見たら成長は螺旋的に成長する。成長したと実感が出来たとしても、また再び同じ悩みにとりつかれる。だが同じ悩みであっても、以前のレベルとは少し違う。次のフロアに到達して見方が変わっている。ただ本人が気がつかないだけ。
同じ悩みを繰り返し成長する
実をいうと、今、ボクは過去の失敗にこだわっている。過去の事を想い出し腹が立ち、苛立っている。これは以前にもあった現象だった。再び自分の思考が過去の失敗に囚われてしまった。
以前、どうこれを抜け出したのか思い出してみると
- 自分の影響の範囲に目を向ける。
- 思い通りにならない事に目を向けない。
- 今、出来る事に集中する。
- 少しづつ影響の範囲を広げてゆく。
こう考える事で着実に前に進む事ができた。
不平不満でマインドフルに生きれていない
思い通りにならない事に目を向けると不平不満しか生まれず「なぜ?なぜ?」と堂々巡りになり、最後には被害者意識が芽生える。
被害者意識で問題を他責にすると何も成長できず、ただただ不平不満に飲み込まれてしまう。
今、自分が出来る事があって、出来る事に目を向けて、確実に出来る事に向き合ってゆくと、出来る事が増えてゆく。
自分が出来る範囲を広げて、思い通りに出来る事柄が増えてゆく。だから今に集中しよう。こう考えると能動的になり頑張れるという。
思い通りにならない事は考えないようになり、目の前の事に集中できた。それはたぶん追い詰められていたからだろうと思う。
そして今現在、多少の余裕が生まれてまた再び「思い通りにならない事に目が向いてきた」のだと思う。
同じ悩みに向き合う時
こうなると心が荒れてくる。そして実生活に表れてくる。例えば
- 部屋がちらかってくる。
- 深酒してしまう。
- 時間をダラダラ使ってしまう。
- 達成感が得られない。
部屋が散らかってきたのは、暮らしを丁寧にせず、おろそかにしてきたということ。心が荒れてくると「明日しよう」というマインドになり、どんどん積み重なってくる。
そしてアマゾンプライムビデオで映画を見たり、Twitterを見たり、Youtubeを観たり、計画的に時間をつかえなくなる。
ついついアルコールの量が増えて、眠くなるまで寝ないという悪い習慣で、夜遅くまで起きていたり、次の日にアルコールが残りしんどくなったりして、全部がぐちゃぐちゃになってくる。
曇りの時の暮らし方
下げ幅がどんどん大きくなるなかで、どう足掻いても悪い方向にしか転んでいかないので、心を立て直すために出来る事は、今まで続けていたことを、手ごたえがなくてもひたすら続けるという事しかないように思う。
ボクの場合だと
- ジムに行きトレーニングをする。
- ペンをとり絵を描き続ける。
- カウンセリングの受講をして人権意識を身につける。
- 家計簿をつけて資産管理をする。
この4点がこの1年で習慣化させてきたこと。この習慣をひたすら続ける。そして心が整ってくるまでひたすら耐える。
再び心に余裕が戻ってきた時に、新しい事に目を向けてゆけばいい。