9月26日「くつろぎの日」

喫茶店「コメダ珈琲店」が制定しました。

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コメダ珈琲店

愛知県名古屋市で1968年に1号店がオープンしました。創業者の実家が米屋だったことで「コメダ」とつけたということです。

憩いの場の条件

  • 愛着をもっている
  • 積極的に利用できる

昔、米屋と酒屋は地域の集いの場でした。規制緩和前で酒は酒屋でしか手に入らず、今みたいに大型店舗が展開されていない時代です。地域の情報は米屋と酒屋に集まり、地域の人が買い物がてら情報交換をして、地域に引っ越してきた人は米屋と酒屋で顔見知りをつくれたようです。

ここで小泉内閣で規制緩和がされて酒も薬も独占販売ではなくなりました。酒はスーパーでも扱えるようになり、加えてダイエー・イズミヤ・イオンなどの大型店舗が展開されることになります。

地域の商店街は閑古鳥が鳴くようになり、米屋も酒屋も衰退してゆき、地域の憩いの場はなくなってゆくことになります。

こんななかで喫茶店も憩いの場を確保するべく奮闘します。

フランチャイズで店舗を数多く展開することで認知力を高め、車で行けるように駐車場を確保し、長居をする事が出来てゆっくり出来るようにコンセントを備えて、リピーターを増やすために金券の発行をしてお得感を出すようにしました。

こうして喫茶店は変わる時代を生き残ろうとしているのです。

喫茶店の歴史

江戸時代

江戸時代に長崎でオランダ人にコーヒーを提供しました。これが喫茶店となるようなものです。当時の日本人にコーヒーは馴染みなく、焦げ臭くて渋みがある飲み物として敬遠されたそうです。

開港後は長崎・函館・横浜で喫茶店が出来るようになります。港の近くという事で外国人が多く来航したからです。

可否茶館

東京の上野でオープン。当時は上流階級の方が文化交流をする場としての意味合いが強くありました。

トランプ・ビリヤード・新聞・書籍・シャワー室を完備してコーヒーを飲みながら交流したそうです。

大阪カフェーキサラギ

温めた牛乳を提供するミルクホールが学生に人気でした。ここでウエイトレスが登場し女性が給仕します。

風俗化する喫茶

大阪ユニオンなどの喫茶店は特殊喫茶と呼ばれ昭和4年頃から活発化します。ウエイトレスがお客の接客を行い、過剰な接客で体を密着させたりする風俗のような喫茶店が流行りだします。

戦後の喫茶店

戦後は駐留軍向けにコーヒーを提供する喫茶店が出来てきます。

多様化する喫茶店

レコードがまだ高価な時代は音楽喫茶というものが流行り、名古屋では漫画喫茶が流行り、ネットが普及すればネットカフェが流行り出します。

漫画やオタク文化が流行すればメイド喫茶やコンセプト喫茶が流行り「いらっしゃいませ」が「おかえりなさいませご主人様」になり、「会計」の事を「ご給仕」と言い、「ありがとうございました」を「いってらっしゃいませご主人様」となり、喫茶店は時代に合わせて変化多様化してゆきます。

喫茶店の減少

コンビニの普及と機能複合化でコンビニでコーヒーを売り出し始めます。炊き立てコーヒーがコンビニで飲めるようになり、次第にマクドナルドでもコーヒーに力を入れ始めます。

次第においしいコーヒー市場がコンビニに移り2000年を境に喫茶店の店舗展開は減少することになります。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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