10月19日「海外旅行の日」

海外旅行愛好者が制定した。遠くへ行くという頃合わせで10(遠く)へ19(行く)という意味だったりする。

日本は島国で外国に行くには海を越えるわけです。だから海の外へ行く事が外国に行くという事になり「海外」へ旅行をする。海外旅行と言われることが一般的になりました。

海外旅行の第一号はジョン万太郎。ジョン万太郎は漁師でした。アジやサバをとっていました。沖合で嵐にあい漂流。伊豆諸島に流されてしまいます。143日間無人島生活をするはめになります。救出されてアメリカに行きつく事になります。

無人島にアメリカの捕鯨船が食料調達に来て、その船ジョン・ハラウンド号に乗せてもらうことになり無人島脱出に成功します。しかし当時の日本は鎖国しておりアメリカの船は日本に行くことができません。つまりジョン万次郎は日本に帰れないわけです。

日本に帰ることなくハワイホノルルに到着。そのままホイットフィールド船長の養子と迎えられて小学校に通い英語をはじめとして勉強し始めました。勉強熱心なジョンは航海術や測量術などを学び船乗りとして一人前になります。

21歳の時にはフランクリン号の副船長を務め7つの海を旅した最初の日本人になりました。日本に帰るためにまとまったお金を稼ごうと計画します。船を降りたジョンは当時のゴールドラッシュに目を付けて金鉱で働きひと資産を築きます。そして船に乗り沖縄に到着。帰国を果たすわけです。25歳になっていました。

帰国したものの英語ペラペラなジョンを不審に感じた奉行所は、キリシタンの疑いを持ちジョンを取り調べします。ただ薩摩藩はジョンを優遇し異国の知識を吸収しようとしました。

その後、生まれ故郷の土佐に帰り藩校の教授になり、土佐藩士に異国の知識を教えています。そのなかに後藤象二郎と岩崎弥太郎がいました。後藤象二郎は大政奉還を坂本龍馬とともに幕府に認めさせた人物。岩崎弥太郎は土佐の警察をしたのち土佐の財政を立て直し、後に三菱財閥の創始者になる人物です。

浦賀に黒船来航しペリーがやってきて幕府は大混乱。異国の知識を必要とされジョンは江戸へ招集され旗本の地位を与えられ、苗字「中浜」を与えられます。

その後は幕府の軍艦操練所の教授に抜擢され勝海舟と共に軍事力強化に努めています。咸臨丸に乗り込み勝海舟や福沢諭吉とともにアメリカに使節団としていったり、明治時代には東京大学の英語の教師をしたりして生涯を送っています。

ジョン万次郎の海外の航海の距離は地球2周分。日本人最初の海外旅行者でした。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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