1776年 アメリカ独立宣言が公布されたことを記念した日
コロンブス新大陸発見
コロンブスは地球が丸いのであれば、西回りで船を進めればアジアに到着して「東方見聞録」にある絹・金・香辛料を手に入れる事が出来るとサンタ・マリア号で出航した。
現在のキューバに到着。ここが黄金の国ジパングであると勘違いするも、絹・金・香辛料を手に入れる事が出来ずに新大陸発見という報せだけを持ち帰国する。
その後、何度か同じ航路で同じ場所に着くが黄金の国ジパングが見つからず船員の不満を買い、女王の信頼も失ってしまう。
アメリカ大陸の開拓
ヨーロッパの国々(イタリア・イギリス・フランス)は南北アメリカを開拓する。
イギリス国内の宗教弾圧から逃れたキリスト教徒がメイフラワー号に乗り込みアメリカに移民したのが1620年ことだった。
マニフィスト・ディスティニー
貧しくとも自分の土地をもてる。自由と民主主義を掲げる。
多くのイギリス人が移民して13の植民地をつくる。
アメリカ独立戦争
イギリス本土が税金の増税を植民地に言い渡した事が発端になりアメリカ独立戦争に発展する。
当時はイギリスの軍事力が圧倒的であったが、アメリカが勝利する。その理由としては
- イギリス本土からアメリカへは2カ月かかる
- 広大な土地と13の植民地のため重要拠点が多数ある
- フランスがアメリカ支援で参戦する
アメリカ本土での戦闘。戦況が刻々と変わる中で本土への情報伝達に2カ月かかる。補給や兵の増員など本土に依頼をかけても、片道2カ月の距離なので少なくとも4カ月はかかった。
広大な土地で重要拠点をひとつ占拠されたところで、補給と兵の増員がままならないところでは、全部を占拠することは不可能であった。次第に戦況が悪化してアメリカ優勢に動いてゆく。
アメリカ独立戦争の翌年にアメリカ独立宣言書が公布された。
パリ条約
- アメリカ合衆国の独立の承認とカナダ等を除く領土の確認
- イギリスはミシシッピ川以東のルイジアナをアメリカに割譲
- アメリカのニューファンドランド周辺の漁業権、ミシシッピ川の航行権の承認
イギリスはアメリカの独立を認める。
フランスは財政難のなかここで戦争終結する。
アメリカ独立宣言書の保管
1823年には、宣言書の模造品が作成された時に水で字がにじんでしまった。
宣言書は約40年間にわたって米国特許庁の壁にピンでとめられていた。
羊皮紙に書かれたアメリカ独立宣言書は乾燥して亀裂が入る。
1951年に宣言書は、青銅と防弾ガラス製のケースに密閉された。ワシントンD.C.の国立公文書館に置かれた。
2003年に不活性なアルゴンガスで満たされたチタニウム製の枠で密閉された。
独立宣言書は国立公文書館の円形広間に展示され毎日約6000人の観光客がきて宣言書を観る事が出来る。閉館時間が来ると宣言書の入ったケースは、自動で約6.7メートル下降して地下の保管室に収められる。