他人からの批判は受け入れなくていい

 

 

 

批判される事は誰にでも経験があるだろう。

批判される側は面白い出来事ではないだろう。

 

 

 

 

批判される時は決まって「君が全部悪い」と言われているように聞こえる。

相手はひとつの行動だけを批判しているつもりでも

批判されたほうはそうは聞こえない。

人によっては人格を否定されたようにも聞こえるだろう。

 

ライカー
こういったものは拡大解釈なのだが・・・

 

今回は、批判に対しての対処方法を書いてみようと思う。

 

 

 

 

選択の自由

 

実に様々な人は気分によって好き勝手言ってくる。人は感情の生き物だ。

 

 

イライラしている時があれば、悲しい時もあり、怒っている時もあり

気分によって人の言う事は変わる

 

 

 

昨日言っていた事と、今日言っていた事が違うといった事もある。

相手の批判は、相手の主観によるもので

その批判に対して真正直に受け止めるかどうかは

あなたの選択の自由。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正しい基準は人それぞれ

そして批判を言う人の性格的な因子も見ておきたい。

正義感を出す人
マウント取りたいだけの人
自分の考えを押し付けたい人
権利主張が激しい人
被害者意識が強い人

 

 

人はそれぞれ違う考えのもとに、自分の正しいと思うことに従い行動している。

人はそれぞれの主観で物事を判断して行動している。

 

 

ここで押さえておくべきは意見は違って当然だということだ。

他人の意見はその人の意見である。

あなたが出来る事は他人の意見を尊重しながら、自分の意見も伝えるということ。

とてもシンプルだ。

 

 

 

 

批判に対する選択

 

意見が違うのは当然である。食い違う意見は批判といった形に変わる。

 

 

異なった意見が批判という形で出てきた時、ボールは相手から投げられている。

それにあなたは選択をするだけだ。

 

もし特に害がないようなら妥協してもいい。
もし自分の意見を通そうと思ったら ノーと言えばいい。
もし同じ意見であればそれを受け入れてもいい。
もし判断に迷うようなら分からないと問題を棚上げしてもいい。
もし相手を懐柔し味方につけたいのであれば偽りのYESを出すのも手だ。

 

 

 

 

 

そしてこの決定は自己責任であるという事が大切だ。

どの選択肢を選ぼうとあなた自身の責任である。

なぜならその選択をするのは他人ではないからだ。

その選択の結果にはあなたが責任を持つということだ。

 

 

つまり、選択をするのはあなただ。

仮にその後の結果が芳しくなくても、それはあなたの選択によるものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

だから言い訳してはいけない。

他人のせいにして自己を正当化してはいけない。

それが自分の行動に責任を持っということだ。

 

 

 

 

 

他者を尊重し選択する

 

以前こんなことがあった。私は当時、育成会の会長をしていた。青年団主催の盆踊りがあり、青年団の団長が例年と違うことをしたいと言い出した。

 

 

子どものために青年団からも模擬店をおこないというのだ。たませんと綿菓子を出すということだが、それはもちろん経費のかかることだった。

 

 

育成会の会計からは費用は出せないという事を伝えたが、それでもやりたいという団長の想いがあって、双方の承諾のもと模擬店が育成会・青年団の2団体から催されることとなった。

 

 

 

盆踊り当日。当初の計画どおり育成会は育成会費の予算を使い模擬店をおこない、青年団は青年団の会計のなかから青年団の模擬店を行った。

 

 

 

それを知った育成会役員Tくんが、会長の私のもとに来て批判してきた。「子供のために行動してくれているんだから経費は育成会が負担すべき。今からでも経費は育成会がもつと話をつけるべきだ。」というのが彼の主張だった。

 

 

 

まあそれも一理あった。子どもを楽しませるための模擬店。育成会がすべき模擬店を青年団がしてくれている。だが私は団長としての判断を尊重したかった。私も会長をしているのでひとつの判断には重責がかかる。団長も団体のトップであるので私と同じ立場だ。その立場の人間がひとつの決断をしたのだ。今更、育成会がしゃしゃり出るわけにはいかない。

 

 

 

経費のかかることは初めからわかっていたはずだ。それでも青年団として模擬店をしたいというのだからそれ相応の覚悟を持って提案したのだろう。

 

 

 

だから見守るという選択をしたかった。

そういった理由で私の選択は「自分の意見を押し通す」という選択になった。

 

 

 

すると、T役員はさらに激しく私を非難した。「団長は子供たちのために模擬店をしてくれている。青年団の団員のなかに、余分な仕事が増えて面白く思っていないものが少なからずもいるのだ。しかもそれに青年団のお金も使っているという団長への批判もある。それでもめているのを知っていいるから言っているのだ。団長を立場を守ってあげるためにも経費を出すべきだ」と詰め寄ってきた。

 

 

 

 

そして私はまた選択に迫られた。

 

 

 

 

①団長を助けるために経費を出す。
②団長のメンツを尊重し非難されても受け入れない。
③よくよく検討すると問題を先延ばしにする。

 

 

私の選択は②

役員Tくんの非難を受け入れず、自分の意見を押し通した。

 

 

 

そして再び役員Tくんと口論となる。そもそも団長が言い出したことだ。団長の想いを尊重する。再びそれを伝えたが 彼は一向に引く気配がない。私を非難をするばかりだ。

 

 

 

私を非難をするという行為は、役員Tくんの自由だ。自由な意見をする権利だ。だから自由に私を非難してくれていい。

 

 

 

ただし、私がその非難を受け入れるか受け入れないかは私の自由だ。

私の自由な選択だ。

 

そして私は役員Tくんの非難を受け入れない選択をした。

 

 

 

つまり、交渉決別ということになる。それでも役員Tくんは食い下がったが、私の選択は変わらなかった。彼はイライラしていたが、それも彼の自由だ。イライラして私に不平不満を募らせてくれて結構。繰り返すがそれは彼の自由であり、そして彼の問題で私の問題ではない。

 

 

 

他者を尊重するということ

 

私への非難は3年経った今でも続いている。

彼は相当しつこい。素晴らしいしつこさだ。これだけしつこいのも稀にみる才能だ。

彼のそんな性格を私は尊重する

尊重しつつ少し距離を置く。ただし関係は切らない。

 

 

 

多くの意見を自分の中に取り入れることは、自分の成長に繋がっていく。

取り入れるか取り入れないかは自分の選択における自由意志だ。

非難されて彼を尊重しないという選択ならば、

「バカな奴だ」と関係を切ってしまう結果になるだろう。

 

 

だが私はどんな関係でも紡いでゆく。

人とのネットワークのなかに成長の種は埋まっている。

成長の機会を失うのは自分に得ではない。

害が及ばない限りは妥協の道を探る。

 

 

 

 

役員Tくん。彼の良いところを挙げておこう。

①彼なりの考えをしっかり持っているということ。
②後輩の面倒をよく見て飯をおごる。

悪いところは自分の意見を押し通し、人を変えようとするといったところか。

 

 

相手を尊重するということは、相手の良いところと悪いところを知るということだ。彼をひとりの人として尊重することで、相手を頭から否定するわけではなく、相手なりの考えを聞いた上で、こちらが責任持って選択をする

 

特に私が疲れていたり、悩みを抱えていたりすると、必要以上に周りの目が気になったりする。周りの目が気になれば、批判されることに対して過剰に反応したりする。

 

そんな時に、批判してきた相手をストレスの原因として排除してしまうようでは、あまりにも包容力がないではないか。

 

 

 

 

結論

 

話を戻そう。

相手の批判は受け入れる必要はない。

自分の行動の選択は自由である。相手の反応も相手の自由である。

 

 

ただし、批判を受け入れる受け入れないに関わらず、自分の選択には最後まで責任をもつというのが大前提である。

 

 

 

責任をもたず逃げるだけは平等ではない。

 

 

おわり。

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