1872年(明治5年)のこの日、明治政府が「女子の断髪禁止令」を出しました。
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明治維新の近代化政策
外国に対抗するために近代化を急いで勧めました。
廃藩置県で藩を解体して、藩主の地方の支配権を奪って、中央集権体制にしました。
地租改正で土地所有者から税金を集める事で、明治政府の財源を確保しました。
フランス学校制度を手本に、小学校6年・中学校3年・大学4年と定めました。近代化を目指して技術者や職人が育てゆくことになります。
鉄道、道路、港の整備をして軍備拡張が行われました。
廃刀令で士族の特権であった刀を持つことが禁止されて士農工商の身分制度が崩れました。
断髪令でちょんまげを落とした。外国と対等で付き合うためには「ちょんまげ」が邪魔になる。西洋文化に溶け込み対等に付き合うために断髪令があった。
断髪令と自由と男女不平等
断髪令は外国と対等に渡り合うためのものという側面もありましたが、違う側面もありました。
まげを結わないでよい。士族でも帯刀しなくてもよい。髪型や服装の自由を認めるという側面です。自由が認められたという事で、女性も髪を切る人もでてきたりします。
今までの長い髪を切る事が出来るということで女性も髪を切る事ができたわけです。女性も服装や髪型を自由に選べる世の中が来たわけです。
女子断髪禁止令
しかしそうはなりませんでした。
女子断髪禁止令が出て、髪を切る事が禁止されました。相変わらず「長い黒髪こそ女性らしい姿」という価値観が根強く残っていたわけです。