今政猪熊が明治35年3月頃から明治36年7月頃まで高知でバスを営業運行した。これが日本で最初のバス事業だと思われる。
大阪
明治36年3月に大阪で開かれた「内国勧業博覧会」行のバスが梅田と天王寺で運行。
当時は外貨を稼ぐために輸出品を創作する時代。「内国勧業博覧会」と称して東京・京都・大阪で開催されました。
名古屋
平野新八郎がバス経営を試みたが自動車が高価で営業を断念しました。
京都
二井商会がバス営業に乗り出す。バス1台を2000円で2台購入。当時の1円は4000円ぐらい。1台8.000.000円の160.000.000円の投資。2人乗りを6人乗りに改造する。
営業開始日に営業中止命令
取締り規則がまだ出来ていないので営業するなというお達しが届く。試運転という名目の営業という体裁をとり9月20日に営業スタートにこぎつけた。
営業開始
- 1区間を4銭。当時の1銭が200円なので800円。
- バス停で5分停車
- 6人乗りで屋根なし
パンク
乗客に景品を渡したりして多くの乗客がつめかけた。6人乗りは満員。2人乗りを6人乗っているのでタイヤがパンク。当時はタイヤ専門店がなく応急処置をする。
故障
応急処置で営業を続けた結果、バスが炎上して大破。
時代を先取りしすぎて廃業
当時の道路は未舗装で車への負担が大きく、燃料代も高騰し、自動車修理工場もなく、しかも自動車が高価であるので採算とれずに廃業に追い込まれてしまいました。
広島
広島では初の国産バスで12名乗りの営業をスタートさせた。広島ではバスの日は2月20日になっている。これは11名以上の乗客を乗せるという意味で本来のバスであるという意味合い。
この広島でも故障などで廃業になっている。
大正時代で鉄道会社が参入
大正時代に乱立していた個人や零細事業者によるバス事業を買収して、鉄道路線を中心に拡大してゆく。