7月20日「月面着陸の日」

1969年(昭和44年)7月16日に打ち上げられたアメリカ有人宇宙飛行船「アポロ11号(Apollo 11)」が月面に着陸し、人類が初めて月面に降り立った。

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月面着陸

  • ニール・アームストロング船長
  • バズ・オルドリン月着陸船操縦士

2名のアメリカ人がアポロ月着陸船「イーグル」号を月に着陸させた。

約2時間15分をともに船外活動した。21.5㎏の月物質を採取した。その間、マイケル・コリンズ司令船操縦士が月周回軌道上で司令船「コロンビア」号を飛行させた。

アームストロングとオルドリンは21時間半を月面で過ごしたあと、月周回軌道上で再び「コロンビア」に合流した。

「イーグル」号を投棄し地球へ帰還する軌道にのり7月24日に地球に帰還した。

アームストロングが月面に最初の一歩を踏み下ろす場面は、テレビで全世界に向けて生中継された。平均視聴率は82%。

アポロ11号は実質的に宇宙開発競争を終わらせた。1961年に故ジョン・F・ケネディ大統領が掲げた「この60年代が終わるまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という国家目標を見事に達成した。

宇宙開発競争

1950年代後半から1960年代前半にかけて、アメリカ合衆国(米国)は地政学的な競争相手のソビエト連邦(ソ連)と冷戦の最中にあった[12]。1957年10月4日、ソ連は世界初の人工衛星となるスプートニク1号を打ち上げた。この出し抜けの打ち上げ成功でソ連は世界中を驚かせ、人々の不安を煽り、想像力をかき立てた。ソ連には大陸間の距離を越えて核兵器を打ち込める能力があることを証明して見せ、米国の主張する軍事・経済・技術的優位を試したのである[13]。これにより、突如としてスプートニク・ショックが起こり、宇宙開発競争の端緒が開かれた[14]。

ソ連によるスプートニクの挑戦に対して、米国のドワイト・D・アイゼンハワー大統領は国家航空宇宙局(NASA)を創設し、人を地球周回軌道に乗せることを目指す[15]マーキュリー計画に着手した[16]。しかし、1961年4月12日にソ連のコスモノート(宇宙飛行士)、ユーリイ・ガガーリンが世界で最初に宇宙を飛行し、初めて軌道上で地球を周回した人物となった[17]ことにより、スプートニク・ショックで傷ついたアメリカ人の自尊心に追い打ちをかける形となった[18]。ソ連に遅れることおよそ1か月、1961年5月5日にアラン・シェパードが約15分間の弾道飛行の旅を成し遂げ、初めて宇宙を飛行したアメリカ人となった。シェパードは大西洋から回収されたあと、アイゼンハワーの後任のジョン・F・ケネディ大統領から祝いの電話を受けた[19]。

ケネディは、他国に優越せんとすることは合衆国の国民的関心の中にあって、米国の国力に対する認識は少なくとも現実(の国力)と同程度に重要であると信じていた。それゆえに、宇宙探査の分野においてソ連が(米国よりも)先進的であることは耐えがたいことであった。ケネディは、合衆国は競争しなければならないと固く決心し、勝機を最大化する試練を探し求めた[12]。

当時、ソ連は米国よりも優れたブースターロケットを有していたため、ケネディは米国がソ連と対等の立場で競争を始められるよう、既存世代のロケットの最大出力を超える試練を要求した。たとえそれが軍事上、経済上、科学上の理由で妥当なものとして認められなかったとしても、壮大な見世物であった。ケネディは自身の顧問と専門家に相談した結果、そのような事業計画を選択した[20]。1961年5月25日、ケネディは “Urgent National Needs” (至急の国家的要請)に関して合衆国議会で次のように演説した。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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